第二章 6
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伝説の魔法の泉を求めて、ルウェインとヴラリアは西を目指した。
初めは、ただ西だけを求める曖昧なものだった。西といっても真西なのか、それとも北西なのかもわからないし、西のどの辺りなのかもよくわからない。だいたいどこの領地にあるかもよく知らないし、不明なことだらけである。
「やっぱりやめましょうよ」
ヴラリアは初めから乗り気ではない。
「まあそう言うなって」
ルウェインは片っ端から知っていそうな人々に聞き込みをし、情報屋に声をかけ、色々な場所で尋ね回った。
旅を始めたのは三番目の藍海松の月であったというのに、もう六番目の月、藤二藍の月である。
もうすぐ夏だ。二人が出会った月がやってくる。知り合って一年が経とうとしているのだ。
「もうそんなになるのね」
「なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない」
ヴラリアは呟く。ルウェインは、自分を捨てたりしない。このひとは、どこにも行ったりしない。こんなにも一生懸命になってくれている。だから、心配しなくてもいい。
「行きましょ」
「ああ」
不安を打ち消すように、ヴラリアは声をかける。大丈夫、私たちは大丈夫。そう自分に言い聞かせる。すると、もう一人のヴラリアがどこからかやってきて、意地の悪い声でこう囁くのだ。
あんた、自分がどういう存在か知っているの? あんたは針師よ。呪われた、許されない存在。禍々しい、毒された生き物。誰かと幸せになるなんてこと、あっちゃならないのよ。一人。一生一人。ずっと一人。今までも、これからもずっと一人なのよ。
耳を押さえる。
どうした? ルウェインが訝しげに声をかける。
「ううん、なんでもない」
すべて、幻。みんな、幻。左手を見る。指輪はそこにある。歩き出す。夢だ。みんな夢。 どこからが夢? あの声? それともこの幸せな生活?
「あそこの酒場に賢者って呼ばれる男がいるんだってよ。聞きに行こう」
「賢者が酒場にいるかしら」
「そう言うなって」
昼間の酒場は人がまばらで、カウンターに主人がいる以外は、ほとんど人がいなかった。 賢者と思しき人物は、隅の方で一人で飲んでいた。ロープを目深に被り、年齢不詳で、起きているのだか眠っているのだかわからない顔つきをしていて、口元をもぐもぐとさせ、杯を手元で弄び、終始ぶつぶつと言っていた。
「爺さん、ちょっと聞きたいことがあるんだが、魔法の泉のことを知っちゃいないかい」「魔法の泉だと?」
「ああ、どんな願いでも叶えてくれる魔法の泉だよ」
「そんなもののことは知らん。魔法の泉のことなら知っておる」
ルウェインはヴラリアを振り返って肩をすくめて見せた。
「だめだこりゃ」
「魔法の泉のことなら知らんぞ」
「話にならねえな。行こう」
「じゃが、魔法の泉の場所なら知っておる」
「待って」
立ち上がろうとしたルウェインを、ヴラリアが止めた。
「もう一度聞くわ。魔法の泉の場所を、知っているの?」
「ヴプリウムの泉の場所なら知っている。西の帝国の百合の池のほとりじゃ」
「帝国?」
「帝国だと?」
二人は顔を見合わせた。
「そうとも。百合の池のほとりにヴプリウムは棲むという」
「爺さんそりゃ本当か」
「わしゃ本当のことは言わんよ」
「もっかい言ってくれ」
「魔法の泉なんてものは存在しない。すべてまやかしだ」
「おいおいそりゃないぜ」
「そんなもんは知らん」
「おーい」
「行きましょ」
食い下がろうとするルウェインを引っ張って、ヴラリアは歩き出した。諦めきれないルウェインと違って、ヴラリアはさっぱりとした表情である。
酒場で昼食を取りながら、ルウェインは頭を抱え込んだ。
「どうしたもんかなあ」
「もうよしましょうよ」
「なに言ってんだよ。あと少しじゃないか」
「だって」
「いいか」
杯をどけて、ルウェインはヴラリアを覗き込んだ。
「よく考えろ。針師じゃなくなる生活のことだ。逃げなくてもよくなるんだ。誰の目も憚らなくてよくなるんだ。なににも怯えなくていい生活、誰にも委縮する暮らしをしなくてよくなるんだ。どこにだって住んでいいんだ。暖かいとこでのんびり暮らしてたっていい、寒いとこにいたっていいんだ。好きにしていいんだ。いたいとこにいていいんだ。子供だって持てるかもしれないんだぞ」
「子供……」
「そうだ。俺とお前の子供だ」
ヴラリアの脳裏に突然知らない世界が降って沸いた。
暖かい土地で、ルウェインと共に暮らす。それだけではない、誰にも気兼ねしないで、好きなように好きなことをして生活する。お針子をしたっていい、鍼灸をしたっていい、誰にも気を遣わないで、好きな時に好きなことをできる。私は暖炉の側で頼まれた編み物をして、横でルウェインは本を読む。その側では、私たちの子供がお昼寝しているの。
私が子供? 子供を持てるの? 針師の私が? 本当に? ぽかんとして目の前のルウェインを見ると、彼は少し照れくさそうに目をそらす。それでそれが現実なのだと少しだけ話がわかった。
ヴラリアは唖然として、そしてちょっとだけにじんできた現実を噛みしめるように、呟くように、
「……行きたい」
とだけ言った。
ルウェインは小さくうなづいて、そして地図屋に行こう、と言って立ち上がり、地図を求めると、
「百合の池を探しながら帝国に行くぞ」
と帝国行きの船を探し始めた。
帝国までは二週間の船旅である。
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