第二章 2

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 三番目の月、藍海松の月がやってきた。風はまだ冷たく、水も温まない。イェータとレヴィルはルスルという王国の街に居着き、そこでイェータは魔導師として働くことになった。

 前の魔導師が老いて亡くなってからむこう、水道も使えず風呂も沸かなくなって困っていた街の住人は彼女を手放しで歓迎した。

「早速働いてもらうよ。難儀していたんだ」

「はいよ」

「契約の話は後だ。住居はここ。お連れさんはあっちの部屋だよ」

「有り難い」

 レヴィルはあてがわれた部屋で休み、イェータは街を歩き回って井戸を調べて水回りを見て、早速水道を引いた。魔導師にとって水道を引き、人々に日常の水をもたらすのは重要な役割であったから、それはすぐにも生じられた。

 新しい魔導師が着任したという知らせはすぐに駆け巡り、彼らは早速蛇口をひねって水道が復活したことを喜んだ。

 次に、イェータは家々の風呂を見て回った。薪に魔法をかけて、燃えやすいようにする。そして、発火してからはなかなか消えにくくするのだ。これを全戸でやる。それだけでも、人々の暮らし向きは随分と変わる。

「やれやれ」

「終わったかい」

 肩をとんとんと叩きながら帰ってきたイェータを迎えたレヴィルは、特別することがなかったので暇を持て余していた。そんな彼をじろりと睨み返して、イェータは言った。

「なんだい、自分は昼寝かい。いい気なもんだね」

「おっと」

 疲れているのか、機嫌が悪い。そうでなくとも、この女は口が悪いのだ。レヴィルは挑発しないように労いの言葉をかけながら、食事ができてるよ、と言葉をかけながら立ち上がった。イェータはふん、と言いながら席についた。

「この街は大きいから、大変だっただろう」

「ああ、大きいね。だいたい五百戸はあった。疲れちまうよ」

「前の魔導師は高齢で、一回りするのにえらい時間がかかっていたそうだ。あんたみたいに若いのが来てくれて、大歓迎だそうだ」

「そうかい」

 それから、イェータはむっつりと黙り込んでしまった。しまった、なにかまずいことでも言ったかな、とレヴィルは危惧したが、なんのことはない、疲れているのだとはたと気がついて、それからは黙っていることにした。

 自分は饒舌な方だが、世の中には寡黙な人間というものも確かに存在するものだし、彼らは黙っている方が心地よいというのだから、黙っていてやろうというのが礼儀というものだ。自分と違って、彼女は一仕事した後だ。

 それに、明日から仕事を抱えている。自分も、仕事を探さねば。それに、エイナとの暮らしのことを考えて行かなければならない。そのことに思いが募って、頭が痛くなった。 帝国のお尋ね者となった今、なにをするにも金がいる。働き口がない今、それは悩みの種でもあった。明日からは、早速職探しだ。

 それから、今までいた帝国の話となった。なぜ帝は、あんなにも魔導師を目の敵にするのか、その話に花が咲いた。レヴィルは最近まで帝国の釜の飯を食んでいた身の上だが、とんとそんな話は聞いたことがなかった。

「なんでそんなことになったのか、聞いたことはなかったのかい。ちょっとしたことくらい、聞いたこととか、耳に挟んだこととかなかったのかい」

「うーん」

 もぐもぐと肉を噛みながら、レヴィルは魔導師狩りに参加した時のことを懸命に考えた。「帝の噂なんか、聞かなかったなあ。ただ、気になることは聞いてた。なんだったか、魔導師の魔導師たる、本当の名前を聞いたときは、その名前を書き取って、必ず帝に献上するように、誰にも見せないで、上官にも見せないで、必ず直接献上するように、どんな下士官でも必ず直接、って言われたな」

「へえ……」

 イェータの、海のように青い、おおきなおおきな瞳がきらりと光った。

 それには気づかず、レヴィルは能天気にパンを食べている。

「なんなんだろうなあ」

「……」

 イェータは返事をしない。

「そんなことよか、俺は仕事探しだ」

「せいぜい頑張んな」

「つれないなあ。あんた、口きいてくれよ」

「嫌だね」

「ちぇーっ」

 魔導師の連れとはいえ、他人である。友達ですらない。前途は、多難だ。

 次の朝から、比較的大きいと言える街のなかで、レヴィルはあちこちで色々な職探しをして回った。前身は兵士でもあったから、それらしい用心棒の口から田舎出身の出を活かして薪割りの時間稼ぎまで、なんでも探して歩いた。

 当然のことながらイェータと財布は別であったから、必死であった。なんとか皿洗いと子守りの仕事を探して、レヴィルはくたくたになって宿へ帰ってきた。

「おや、その顔は仕事が見つかったようだね」

 食卓で、イェータは心得顔で彼を待っていた。

「ああ、皿洗いと、一日交代で子守りだ」

「どこの家だい」

「子守りはリスの樹通りのティマって娘の家だ。皿洗いは『蛇使い座』って旅籠の」

「そうかい。じゃああの家には特別に早く行って竈に火を入れてやらないと。それに、旅籠の水道も水が大量にいるね」

「あ、ああ」

 そうか。そんな気遣いもいるのか。酒を飲みながら、滞在して二日目なのに早くもそんな配慮をするイェータの心遣いに、レヴィルは内心で舌を巻いていた。

 魔導師の能力は、人々の生活に直結している、そんなことを伝え聞いてはいたが、実際はどんなことまでをしているかまではよくはわかっていないレヴィルであった。だがこうして話を聞いていると、なかなかどうして話に聞いている以上のことをしているようである。

「ふーん……」

「?」

 手を頭の後ろで組んで、レヴィルはイェータを感心したように見た。

「魔導師ってどんなこと勉強するんだ?」

 こりゃまた余計なこと聞いたかな、どやされるかな、とひやりとしてしまったが、意外や意外に、赤ワインを入れた杯を傾けながら、イェータはじっとなにかを考えているようである。

「……一秒はセシウム133原子の基底状態の二つの超微細構造準位の遷移に対応する放射する周期の9,192,631,770倍の継続の時間とか、そんなことよ」

「……なんだって?」

 鳩が豆鉄砲でも食らったようなレヴィルの顔に、イェータがぷっと吹き出した。

「おかしな顔しなさんな」

 その笑顔に、レヴィルはどき、とした。

 この女の笑顔を、初めて見た。

「あはははは。あの顔」

「そ、そんなに笑うことはないだろう」

「だって」

「笑いすぎだ」

「あははは」

「む」

「悪かった悪かった」

 涙を拭いて、イェータは杯を呷った。

「しかし、古代科学までやるのか、魔導師というものは」

「そうね、だいたいの知識はやるね」

「すごいんだな」

「ひとの生活を守らなきゃいけないからね」

 しみじみと、肘をつきながら言うその顔は、どことなく自嘲的だ。なんとなく踏み込んではいけないところまで来てしまったような気がして、レヴィルは思わず息を飲んだ。

「さあ、もう寝よう。あんたは明日皿洗い、私は明日も水道を見なくちゃならない。寝よう寝よう」

「あ、ああ」

 立ち上がってそれぞれの寝室に下がり、眠る段になってもレヴィルはイェータのあの横顔が忘れられなかった。それでなかなか寝つけず、翌日は皿を割ってばかりで、叱られっ

ぱなしであった。

 事件は一週間後に起こった。



 その日は子守りをする日であったレヴィルであったが、肝心の赤ん坊が熱を出してしまい、どうにも母親から離れられそうにもないというので、この日の子守りはなしということになった。それで宿にすごすごと帰って行ったのだが、役人が宿に詰めかけていて、お尋ね者でもある彼は、思わず物陰に隠れて身を潜めた。

 なんだ……?

 見ると、なにやら人相書きを持っているようである。それには、女のものが書かれている。イェータだ。冷たい汗が背中に流れた。あいつら、何者だ。ここは帝国領ではない。 それに、ここは帝国となんの引き渡し条項も締結されていないはずだ。なんだ。なんなんだ。

 しばらくやりすごすと、役人たちはなにかぼそぼそと話し合いながら立ち去って行ってしまった。イェータは留守のようである。この時間は、竈の状態を見に行っているはずだ。レヴィルはリスの樹通りを見に走った。

「イェータ!」

 彼女は、ちょうどそこにいた。びくりとして振り返ったイェータは、突然のレヴィルの訪問に眉を寄せて気を悪くしたようだった。

「なんだいあんたかい。一体……」

「こっちへ」

「ちょっ……」

 乱暴に引っ張られて、イェータは物陰に隠れさせられた。

「役人が来た」

「――」

「あんたの人相書きを持ってた。あいつら、何者だ」

「……」

 イェータは爪を噛んだ。

「ちっ……帝国の回しもんだね。大方、金で釣られたんだろう。隣国だから、そんな奴らはごまんといる。早く逃げないと、捕まっちまう。行こう」

「えっ」

「えっじゃない。行くよ」

「に、荷物はどうする」

「そんなこと言ってる場合か。一刻を争うんだよ」

「でも」

 言い争っていると、道路の向こうから人影がやってきた。

「まずい、あっちだ」

「えっ」

 引っ張られてぐえっとなっている内にあちこちに連れまわされ、レヴィルがまだ覚えきれていない街の地理に目を回していると、袋小路に入った。

「あっ」

「えっ」

「しっ」

 イェータがレヴィルの口を押さえた。見ると、三人の役人が銀髪の女を取り押さえている真っ最中であった。

「手配中の女、イェータだな?」

「違います、私、アンナです」

「銀髪に青い目、確かにイェータだ」

「違います、アンナです」

「うむ、そっくりだ」

「違います、信じてください」

「誤魔化すな」

「うまいぞ。あいつら、あのひとをあんただと思って連れて行こうとしてる」

「……」

 イェータは黙ってその様子を見つめている。

「違います違います。アンナです。信じて! アンナです」

「やめてください! この子はアンナです。イェータ様はこの街の魔導師様ですが、この子じゃねえですだ」

「黙れ! 庇い立てすると同罪だぞ」

「連れて行け」

「いいぞいいぞ……このままあの女が捕まれば……あっ」

 レヴィルが呟いたと同時に、イェータが歩き出した。

「な、なにやってる」

「魔導師はひとの暮らしを守る存在。ひとを犠牲にして自らを守ることがあってはならない」

「ちょ、ちょっ……」

「待て。イェータは私だ」

 すたすたと歩き出し、イェータは自ら役人にその身を投げ出した。

 そうして捕まってしまったのである。


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