第一章 9
どの村に行っても、どの町に行っても、初めはいいが、次第に針師であるということがばれて、結局居づらくなったりいられなくなったりしてそこから去らねばならなくなったりした。ある街に滞留することになって、そこから隣国のゴチェイ王国へ行こうということになった。
大陸でも有数の大国だし、色々な人間がいて紛れやすい。ゴチェイまではまだ距離があるので、近在の街で逗留することになった。
年末が近づいてきて、十二番目の月、
ルウェインとヴラリアもゴチェイ王国まで出向いてその市場に繰り出した。ヴラリアはヴラリアで家にいるのは専ら自分であるという理由で色々とものを揃えたいからという事情から、ルウェインはルウェインで、好きな女になにか贈ってやりたいからという理由から、それぞれの事情で市場に出て行った。
ゴチェイの城下町は大きな街だからそこの宿に三日も寝泊りすることになり、では市場に行こうということになって出て行くと、物凄い人の入り乱れようである。
年始の色々なものを揃えなくてはいけないし、日常生活のちょっとしたものも要るというので、あちこちに寄らなくてはいけなかった。
あっという間に二日が経ち、慣れない人いきれと買い物の数々にくたくたになったルウェインがげっそりした三日目、
「そんなに疲れたのなら明日は休んでれば?」
とヴラリアに言われ、
「いや、俺も明日は行くぜ」
「そう」
まったく、女って生き物はなんであんなに歩いても平気なんだ? とぶつぶつ言いながら、ルウェインはベッドに横になった。あんな人混みをすいすい歩きながら、ヴラリアは平気な顔をしているし、疲れた顔もしていない。ルウェインは戦場を三日戦い抜いても疲れたことなどないし、その間寝ないでいても大丈夫だ。それなのに、この差はなんだ?
理解できない。
翌日、花を見ているヴラリアの横顔を見ながら、そうか、花か、と考えながら、ルウェンはあいつ、なにをあげれば喜ぶかな、とルウェインは考えていた。
ふと武器を売っている屋台に目がいって、短剣を見ながらいいなこれ、と値段を見ていたら、ヴラリアが離れた屋台でじっとなにかを見つめているのが目に入った。なにを見てやがる。
すると、彼女はそこからすっと立ち去ると、どこかへ行ってしまった。慌てて追っていくと、彼女はその隣の香草屋でなにかを求めているようである。ほっとして、ヴラリアがいた屋台の店主に声をかけた。
「おい親爺、彼女がみてたのはどれだ」
「これだよ」
それは、楕円形の形をした、青い石であった。青といっても、紫と青の中間のような、不思議な色をしている。よく見ると、石の下部分に刷毛ではいたように青い線があった。
「いくらだ」
「金貨三十枚」
彼は眉を寄せた。
「高いな」
「サファイアだからねえ」
「うーん」
しかし、この石を見つめるヴラリアの横顔が思い出された。焦がれるような、諦めのような。ルウェインは首から下げていた革袋を出した。
「くれ」
「まいど」
石を懐に入れ、なんでもないように歩き出し、ルウェインは口笛を吹きながらヴラリアの元へ歩き出した。
「あら、どこへ行ってたの」
「ちょっとな」
「ここの香草、なかなかいいわよ」
「そうか」
「行きましょ」
買い物を終え、そうして二人は住んでいる街へ帰って行った。
次の日、ヴラリアが買い物に出て行ったのを見計らって、ルウェインは隣町の細工師のところへ出かけて行った。交渉は思っていたよりも難航したが、どうやらうまくいきそうである。
上機嫌で家へ帰って行くと、まずいことにヴラリアは先に帰っていて、彼の留守を案じていた。
「どこに行っていたの?」
「え、あ、ちょっとそこまで」
「そこってどこ?」
「えーあーその、なんだ」
「?」
「そこはそこだ」
「おかしなひとね」
そうこうする内に、年始となった。二人が住んでいたヴェイ大陸は、年末になるべく高い杉の木を森から伐ってきて、そのてっぺんの枝を玄関に飾る。他の枝は、葉を丁寧に削ぎ落して串にし、それを料理に使うのである。
葉は、燻して年始の料理に使う。葉を燻して焼いた肉を年始に食べて一年の息災を願うのだ。他にも、山査子の実を水飴に漬けて食べたり、羊の肉を香草で焼いたり、ヴェイならではの料理はいくらでもある。そうやって最初の月、初空月が過ぎて行く。
ルウェインはその月の三週目、そろそろ約束の日かな、と思い、ヴラリアがいないのを見計らって隣町にいそいそと出かけて行った。
「よう、出来たかい」
細工師の家にノックもせずにやって来ると、職人は相変わらず不機嫌な顔をして槌を持って仕事をしていた。
「あんたか。出来てるよ」
職人は眉を寄せて振り返るとにこりともせずにそう言い、側の机を顎でしゃくって見せた。そこには、汚い革の小さな袋が置かれていた。
「これか。ちゃんと言ったとおりに出来たんだろうな」
返事は、なかった。
ルウェインがぶつぶつ言いながら小袋を開いてみると、そこには彼の予想以上のものが入っていた。
「お、おっさん。これ……」
「言ったろう。儂は一流だ」
「恩に着るぜ」
「金は払えよ」
「ここに置いとく」
ルウェインが金貨を乱暴に置き、
「じゃあな」
「二度と来るなよ」
「贔屓にするからよ」
「ご免だよ」
そこを後にすると、ルウェインは一目散に家に帰って行った。具合のいいことに、ヴラリアはまだ帰っていなかった。素知らぬ顔をして暖炉の前で読書をし、しばらくすると帰宅したヴラリアに声をかける。
「おう」
「変わったことはあった?」
「いやなにも」
「そう」
そして、相変わらず寒いわね、そうだな、と言い合う。なんでもない、冬の寒い日のやりとり。
そして、二番目の月、残月の月となった。
その初日、ルウェインは食卓でヴラリアに言った。
「今日が何の日か、知ってるか?」
「?」
ヴラリアはぽかんと口を開けた。しばらく考えたが、特別なにも浮かんでこない。
「……知らないわ」
ルウェインはにやりとした。
「やっぱりわかってねえな」
「なんのこと?」
「お前、自分のことなのにちっとも関心がないんだな」
「え?」
「今日はお前の命名日だろ」
「あ……」
「船の上で言ってたじゃねえか。残月の月の初日が命名日だって」
「そういえば今日だったわね」
だからなに? とさっぱりとした顔で言われ、ルウェインは肩透かしを食らった。そして改めて、ヴラリアという女の不幸な生い立ちを見たような気がして、彼女を気の毒に思った。自分の生まれも生まれだが、命名日くらい祝ってもらったことくらいはある。
しかし、彼女はきっとそれすらもないのだろう。そのことがこの反応からも窺える。
「ほら」
ルウェインは青いこぎれいな革の袋を無造作に彼女に投げてよこした。
「?」
ヴラリアは最初それを、なんのことかわからなくて不思議そうに見ていたが、
「開けてみろよ」
と言われて戸惑いながら不器用に紐をほどいていった。
「――」
いつかゴチェイの市場で見た、楕円形の青い石が、指輪になってそこにあった。それは横向きになっていて、金の覆輪に囲まれていて、透明な小さな石が両脇にあって、あとは白金の輪になっている。ヴラリアは呆気に取られてそれを見ていたが、じきに我に返って顔を上げた。
「……これ……」
「いいだろう。指輪にしたら、お針子してる時でも鍼灸してる時でもいつでも石を見られると思って作らせたんだ。職人に指輪にしてくれって言ったら寸法がわかんないと作れないって言われて苦労したんだぜ。寝てるお前の指をなんとか糸で測って印つけて、それで隣町まで持ってって。でもその甲斐あってぴったりのはずだ。着けてみろよ」
「……どの指なの?」
「試してみろって」
ヴラリアが震える手で一本一本試してみると、それは左手の中指であった。
「大当たりだな」
大輪の花のような笑顔が見られるかと思いきや、ヴラリアがうつむいてしまったので、あれ? と思ったルウェインは、次の瞬間大慌てに慌てた。彼女が手で顔を覆って泣き出したからである。
「おいおいおいおい」
そのうす青い瞳からほたほたとこぼれる大粒の涙に焦って、ルウェインは歩み寄った。
「なんだよなにが悲しいんだよ」
「ちがうの」
泣きながら、ヴラリアはやっとのことで言った。
「うれしいの」
「――」
「うれしいの」
言って、彼女はルウェインに抱きついた。
「ありがとう。大事にする」
一生大事にする、ヴラリアは尚も言った。
「絶対に外さない。死ぬまで大事にする」
死ぬまで。
彼女はその言葉を守ることになる。
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