第一章 8

 翌日、街の人間が集会所に集まってきた。

 ルウェインは彼らにヴラリアのことを説明しなければならなかった。彼女が針師と呼ばれる人間だということ、人々に思われるような忌まわしい存在ではないということ、本人は到って無害な人間であるということ、平和に、ただただ静かに暮らしたいと思っている一介の人間であるに過ぎないということを懇々と言って聞かせ、この街で二人で暮らして行きたいということを願っていると告げ、どうかわかってほしいと頭を下げた。街の人間の半分は針師なんて危険だと言い、追い出すべきだと反対し、半分は街を救ってくれたのだからここにいさせてやろうと言った。

「危険分子を街に滞在させるなんて俺は反対だ」

「そうだそうだ。針師なんて聞いたことがないが針を呼ぶ体質の人間だなんて危険極まりない。追い出すべきだ」

「しかし彼女はうちのかみさんの命を助けてくれた。命懸けでだ。他人のことを自分の命を懸けて助けるなんて、誰にでもできることじゃない。いさせてやるべきだ。人助けをしてくれたんだ」

「そうだよ。あの子はいい子だ。縫い物はしてくれるし、鍼だってしてくれる。あたしゃどれだけあの子によくしてもらったか、わかったもんじゃないよ。針師がなんだってんだい。そんなものは迷信だよ。迷信なんて、人が創り上げた根拠のないもんだよ。俗信だ。 あたしはあの子の味方だよ。人の役にたつあの子の、どこが危険だっていうのかね。狼を追っ払うのの、どこが危険だっていうのかね」

「そうさ。あの子の縫い物は正確で、細かくて、いつも期日までやってくれる。賃金だって決して高くないよ。気立ても優しい。あの子のどこが危険なんだい。居たいっていうのなら居させてやりなよ」

「そうだよ」

「そうさ」

 そんな声が反対派を押して、結局賛成派が勝ち、二人は街にいられることになった。

 ルウェインが勇んでヴラリアにこの土産話を持ち帰った時、ヴラリアは信じられないようにぽかんとしてその話を聞いて、立ち尽くしていた。

「どうだい感想は」

「……」

 ルウェインはにやにやとして腕を組み、まだなんと言っていいかわからなくてそこに立っている彼女を見つめている。

「……ここにいてもいいの?」

「ああ」

「本当に?」

「ああ」

 短い返答は、それが真実だということを端的に物語っている。

 ほろり、うすい青色の瞳から涙が次々と流れ出た。ぽろぽろと流れる涙は、それそのものも青いのではないかと思うほど大粒であった。

「泣くなって」

 ルウェインは彼女の側に歩み寄って、そっとその肩に手を置いた。ヴラリアはたまらなくなって、その厚い胸にすがりついた。こんな思いになるのは、生まれて初めてだった。 それからも、二人はこの街で暮らし続けた。人々は相変わらずこの石造りの家にやってきては、ヴラリアに縫い物や鍼灸を頼んだり、たまにルウェインに用心棒の口を持ってきたりした。

 しかし悪いことというのは起こるもので、それからしばらくして、街の若い男の幾人かが話し合い、どこからか話を聞きつけてきて、なにかを企んでいたようである。それはひそやかに、しめやかに進められていた。

 ある寒い日、ルウェインが留守にしている夜、ヴラリアは若い男の訪問を受けた。恋人のためのストールの刺繍を急ぎで縫ってほしいと頼まれ、その意匠を詳しく相談している真っ最中であった。

「うーんなかなか難しいわね」

 暖炉のほうを向いて意匠の図面を覗き込んでいるヴラリアは、その時、飲み物になにかを入れられていることには、気が付かなかった。にやり、と男が口角を釣り上げたことにも、気が付かなかった。

 だから、図面を睨んでいる内にとろりとろりと自分のうす青い瞳が閉じていることにも、いつの間にか自分が眠りに落ちていることにも、気がついていなかった。

 男はヴラリアが完全に落ちてしまったことを確認すると、ことん、と彼女が音をたてて前のめりになるのを支えると、合図をするかのように後ろの扉を振り返った。

 すると、それを待っていたかのように戸口がかたりと開く。五、六人の若い男たちが、次々と入ってきていた。彼らはいずれも口元に狡猾な笑みを浮かべ、なぜか自信に満ちた態度でそこへやってきてヴラリアに触れると、乱暴に鍼灸台の上に寝かせた。

「おい、本当に大丈夫かよ」

「平気平気。親父の話じゃこの女の旦那は二、三日は帰ってこないって」

「でもばかでかいんだろ」

「帰ってきたらの話」

「いないんじゃ話にならない」

「この女、ほんとに針師なのかな」

「嘘に決まってる」

「でも一人で狼の群れを倒したって」

「それも嘘さ」

「それにしてもきれいだなあ」

「針師はあそこに針を仕込んでるってほんとかな?」

「それがほんとなら今頃旦那は死んでるさ」

「それか、病みつきになって離れられなくて、それで一緒にいるに違いない」

 下卑た笑いが起こった。

「ほんとかどうか、試してみようじゃないか」

 生唾を飲む音と衣擦れの音が、たちまちあちこちから聞こえてきた。続いてヴラリアの服を脱がせようと手を伸ばす者が出た、その時である。

「おーい、帰ったぜ。仕事が上がりになっちまった」

 ルウェインが帰宅したのである。

 男たちはぎょっとなって戸口を振り返り、そこで硬直した。驚いたのはルウェインも同じである。半裸の若い男たちが、眠るヴラリアの服を脱がせようとしていたのであるから、なにをしようとしていたのかは一目瞭然だ。

「なにをしていやがる」

 それに、ここは彼の家でもある。言い訳は無用というものだ。男たちは逃げようともがき、ルウェインはそんな彼らを追い詰めた。

 彼らはみな若く、ルウェインは百戦錬磨の傭兵であったから、両者の勝敗はすぐについた。男たちの多くは未成年であったから、彼らの親たちが呼ばれた。男たちの言い分はこうだった。

「針師だなんて、嘘だと思った。みんなの注目を集めたくて、嘘を言ってるんだって」

「みんなと寝たくて、それで嘘を言ってるんだって、それで確かめてやろうって」

「お望み通り襲ってやれば、喜ぶだろうって、ジョゼフが言い出して」

「でもほんとに針師だったら怖いから、一服盛って眠らせて、みんなで楽しんで、知らないうちにずらかれば後腐れないだろうって」

「旦那がいないときに狙えばいいだろうって」

 その言葉は、いたくヴラリアを傷つけた。またルウェインは、手加減というものを一切しなかったので、彼らの多くは大きな手傷を負った。彼はそのことでひどく責められ、街に居づらくなった。

「……ごめんなさい」

「お前が謝ることじゃねえ。それより、お前になにもなくてよかった」

 それより、彼はそっと言った。

「それより、支度しておけ」

「え?」

「この街を出る。居づらいだろ。ここを出て、どこか別のとこに行こう」

「……」

「なんとかなるさ」

 そうして二人は旅立つことになった。旅立ちに際してヴラリアは、街の人々にひどく惜しまれて発つことになった。

「またいつかここにおいでねえ。馬鹿どものせいで、とんだことだよ。あんたの鍼がないと腰が悪くて仕方ないよヴラちゃん」

「元気でねおばあちゃん。はちみつ茶、置いていくから飲んでね」

 行くぜ、と促されて、手を離そうとしない老婆に別れを告げて、ヴラリアは街の人々に別れを告げた。いつもいつも針師だということがばれて居ついた場所から去っていったヴラリアであったが、こんなにも去り際が辛いのは生まれて初めてであった。


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