第9話 少女の目的
リュートは現在、自宅に帰ってきていた。
自宅とは言っても、とても立派なものじゃない。
ボロっちいアパートの一室。とても安価で、収入の安いリュートのような低級探索者が愛用している部屋だ。
部屋の壁は罅が入っているし、床には染みがあちこちに散見される。冬は隙間風で寒いのに、夏は部屋の中がサウナ状態。
正に絵に描いたようなボロ部屋。
「それで……まぁ、色々言いたいことはあるけれど、最初にお礼を言っておきます。助けてくれて、ありがとうございました」
そんなボロ部屋に、リュートは少女を連れ込んでいた。
誓って、疾しいことを考えて連れてきた訳ではない。
(そ、そうだ! ただ話を聞くだけ! 特段なにかあるわけでもない!)
さすがに外では色々話をするにも邪魔が入るだろうと考えて、どこか室内でいい場所と考えた際に真っ先に思い浮かんだのが自分の暮らす家だったというだけだ。
そう。これはいわば不可抗力の類ではないだろうか。黒装束たちの襲撃があったから、仕方なく自分の家に連れ込むしかなかったのだ。
(ていうか、別に気にする必要もないよな。なにか変なことが起きるわけもないし、ただ彼女の事情を聞くだけなんだ。うん、なにも問題はないはずだ!)
一体誰に言い訳しているのかわからないが、それでも言い訳を並べ立ててしまうくらいにはリュートは焦っていた。
リュート自身、それが何から来るものなのかはわからなかったが、少なくとも少女を家に連れ込んでいるというせいだというのはわかっている。
それに今はそんなくだらない事を考えるべきではないのだ。
目の前の少女には聞きたいことが山ほどある。
なぜ追われていたのか。あの黒装束たちは誰なのか。君は一体何者なのか。
(一先ず、彼女の名前を聞かないとか)
そう。そもそも、リュートは少女の名前を知らない。
その場の状況と流れから彼女を助ける行動を取ったが、顔を合わせたのは【マテリア】に向かう途中でぶつかったのが初めてだった。
ならば、少女の事情を聞くよりも先に名前を教えてもらうのが先決だ。
リュートはそう決めて、顔を上げた。
「――ねぇ! 聞いてるの!」
「ひゃいっ! ごめんなさいッ!」
気付けば少女は怪訝そうなリュートの顔を覗き込んでいた。
どうやら思いの外、思考の渦に囚われてしまっていたらしい。何度も呼びかけていたらしいが、リュートはそれに気づいていなかった。
おまけにびっくりして、変な声まで出してしまう始末だ。
顔から火が出てしまいそうなほど恥ずかしい。
「はぁ……まぁ良いわ…………」
「ほ、ほんとうにすみません……」
少女は呆れてしまっているらしい。
溜め息を吐き、目線を逸らしてしまった。
「あ、あの……色々聞きたい事はあるんだけど、名前を教えてもらっても良いかな?」
「名前…………。そういえば名乗っていませんでしたね。私はティエラ・フィルネス。あなたは?」
「俺はクガ・リュートって言うんだ。よろしく、ティエラさん」
「…………えぇ、よろしく」
ティエラは一瞬迷った様子を見せながらも、握手に応じる。だが、握ってすぐに手を離し、手のひらを服の裾で拭き始めてしまった。
……そんなに握手が嫌だったのだろうか。
そんなふうに考えてしまい、リュートは落ち込んだ。
「別に……触られるのが嫌なわけじゃないわよ。ただ、その……私の手、汚かったから。泥とかなにやらで……」
「え、そんな事気にしないのに……」
「私は気にするのよ」
どうやら嫌ではなかったらしい。
リュートは安堵しながら、次の話題を探した。
「えと、それで……答えにくかったら良いんだけど、あの黒装束たちはなんで君を追っていたの?」
「…………私が、アイツらにとって不利益な存在だからじゃないかしら。詳しくは……知らない……」
「不利益……?」
不利益とはどういう事だろうか。それに、詳しくは知らない?
あの黒装束の様子からして、ティエラは不利益を齎すどころか何かに必要とされているような感じだった。だが、彼女が言うには不利益な存在らしい。
それともティエラ自身が知らないだけで、本当はなにか別の価値があるのか。
いや、そんな事あるだろうか。
(……なにか、言いたくない事なのか? それとも言えない理由がある?)
どっちにしろ、これ以上追求してもティエラは詳細は答えてくれないだろう。
それならば、別のことを聞いた方が良いのではないのだろうか。
「いや、でも……そうね。そっちの方が…………」
「……?」
「…………ねぇ、リュートくん」
そんな事を考えていると、ティエラから声が掛かった。
「私の共犯者にならない?」
「は? 共犯者?」
共犯者とは一体何のことだろうか。
ティエラの表情は至って真剣で、一切ふざけていないことはわかる。
だからこそ、リュートは言葉の意味を図りかねていた。
「それは……つまり、どういう?」
「言葉のままよ。私はこれから、世界にとって良くない事をするかもしれない。それの手伝いをしないかっていう誘いよ?」
「どうして、急に……?」
「……考えたのよ。ここでアイツらに追われてる理由を言わないのはどうなのかって。不本意とはいえ、あなたを今回の件に巻き込んでしまったしね」
つまり、理由を教える代わりにその良くないことの共犯者になれという事らしい。
だが、状況が呑み込めない。そもそも、ティエラの言う良くないことがなにを指すのかが分からない。それが分かっていないのに、無責任に協力するとは言えない。
リュートにとって、ここが人生の分岐点にあたるものなのだろう。
ここでの選択一つで、状況は二転三転していくに違いない。そして、この選択で重要なのが、今回の件でリュートが関わっていると黒装束に思われているということだ。
(このまま何も知らずに黒装束に追われる生活をするか。事情を教えてもらって彼女に協力するか……)
どうやら選択肢があるように見えて、実はないらしい。
どのみち今回の件には少なからず巻き込まれ続けることになるのだ。事情を知らないで、ただ逃げる生活をするのも癪に障る。
「本当にそれだけ……?」
だが、急にそんな提案をしてきた事は不可解だ。
先程までは、リュートの質問に対してどこかはぐらかしていたのに、急に事情を教えるから共犯者になれという提案は裏を感じずにはいられない。
それこそ、とんでもない大犯罪に手を貸す事になってしまうのかもしれないのだ。
「まぁ……打算はあるわ。私の目的を達成するには、強くて、協力的な人が必要なのよ。その点、あなたはアイツらに勝てるくらいには強いし、見ず知らずの私も助けてくれた。これ以上の条件が揃ってる人材はなかなかいないわ」
つまりは仲間がただ欲しいだけ……という事で良いのだろう。
リュートが有用そうだったから共犯者に誘ったという事らしい。
「……わかった。共犯者になるよ」
「オーケー。なら、今から私と貴方は共犯者。私の話を聞いて、やっぱり降りるって言うのは無しよ」
「流石に全部、話を聞いて何も知りませんってスタンスは取るつもりないよ……」
「そう? なら、良いわ」
リュートは溜め息を溢して、共犯者になることをしぶしぶ了承した。
現状、それ以外に自分がこれから戦うことになるかもしれない敵の情報を知るには、共犯者になる以外に方法など存在しないのだ。
「じゃあ、まずアイツらの正体について。あの黒装束たちは《陰》と呼ばれる、戦闘に重きを置いてる集団よ。奴らはある組織の命令で人を殺すし、魔物だって狩りに行くわ」
「《陰》…………。そんな集団、名前も聞いたことがない。このヨコハマで動きがあれば、少なからず何回かは名前を聞くはずなんだけど…………」
リュートは生まれてからずっとヨコハマに住んでいた。だが、市民からも他の探索者からも、《陰》という集団がいるなど聞いたことがない。
ティエラはあの黒装束たちはある組織の命令で人を殺すと言った。人を殺せば、少なからず話題には上がるはずだ。
でも、名前を聞かないのは違和感を覚えてしまう。
「聞かないでしょうね。アイツらは表立って行動することはない。アイツらの起こした事件は全て揉み消されているの。だから、普通に暮らす分には名前なんて聞くはずもないわ」
「なるほど……。確かに、事件を揉み消されてるなら話を聞くはずもないか……」
それなら、納得はできる。
リュート自身、大企業と契約した探索者が事件を起こした際に、契約していた企業がそのニュースを揉み消したという話は幾度となく聞いてきた。
だが、そうなれば《陰》の裏にいるとある組織というのは相当大きな団体なのだろう。なにせ、今の今までに起こしてきた事件――一つ二つではきかないであろう、その全てを揉み消しているのだから。
「その裏にいる組織……っていうのは一体なんなのか教えてくれる?」
「えぇ、構わないわよ。でも、私とその組織の関係については一切語らないし、語るつもりもないという事は覚えておいてね」
ティエラは伸ばした背筋を丸める事なく、整然とした様子で言い切った。
彼女は真剣な眼差しで自分を見つめるリュートを見て、瞑目した。そして、一呼吸間を置いてから目を薄く開く。
「その組織は……《世界浄化教団》。聞いたことくらいあるでしょ? 毎度毎度、街中であれだけ喧しく演説を繰り返しているのだから」
「知ってる。でも……そうか。それなら、確かに全て揉み消せるわけだ……」
リュートは納得がいったように、何度か頷いてみせた。
なるほど、世界中あちこちの権力者たちが暗に協力しているとされる《世界浄化教団》なら、それをできるだけの力を持っているわけだ。
そして、こうなってくれば気になるのはティエラと《教団》の関係についてだ。
しかし、それは予めティエラは語らないと断言している。
「…………なら、君の目的は《教団》を潰すこと?」
リュートは敢えてティエラの目的について、《教団》というキーワードを出して踏み込んだ。
《教団》を潰すという目的ならばなにがあったのかはわからないが、少なからず彼女にとって恨みや怒りの対象になっているということはわかる。
「ある『意味』ではそうなるのかもね。でも、私の目的は《教団》を潰すことじゃない」
「じゃあ……君の目的はなに?」
だが、ティエラの目的はどうやら《教団》を潰すことではないらしい。
潰すことになるかもしれないが、それはあくまで彼女の言う目的の過程か、その果てに起こる一つの結果のようなものなのだろう。
そうなってくると、いよいよ《教団》がティエラを狙う理由がわからない。推察をしようにも、推察するための材料が少なすぎるのだ。
ならば、ティエラの目的を知らなくてはならない。教団が躍起になってまで狙う少女の目的を。
「私の目的は……どこかの《迷宮》にあるであろう、とある《迷宮の核》を手に入れること。そして、それの破壊よ」
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