第8話 呪縛

 窓ガラスが全て割れ、壁がところどころ崩れ落ちたビルの中へと入る。ガラスの破片が床に散りばめられており、この上を無音で歩くのは困難だ。

 リュートが銀髪の女の子をこの建物に連れてきた時は、まだ《クワイ・シャドウ》を誘き寄せていなかったから安全に通り抜けられた。だが、今はそういうわけにはいかない。

 この上を通れば間違いなくガラスの割れる音に引き寄せられて、《クワイ・シャドウ》たちは現れる。


「はぁ……行くしかない、か…………」


 リュートは諦観のため息を溢して、意を決してガラスの上へと一歩踏み出した。

 パリ……ッ、という小さな音が建物内に反響した。それが二歩、三歩と続けば、それだけ音がよく響く。


 そして、四歩目を踏み出した。

 その瞬間、左から顔面に向けて爪が振り払われた。

 それを上体を逸らして鼻先ギリギリで回避すると、肘鉄を《クワイ・シャドウ》の肉体目掛けて打ち込んだ。

 《クワイ・シャドウ》はそれだけで肉体が砕かれ、その身を黒い灰へと変えていく。


「やっぱり……脆いな。Bランクって言っても、コイツは身体スペックだけを見ればEランクだから、特徴さえ押さえてれば対処は簡単……。まぁ、知らなければBランクが妥当、かな」


 《クワイ・シャドウ》は影に潜る魔物だ。攻撃の瞬間まで影に潜み、ほんの一瞬だけ姿を現して攻撃を仕掛けてくる。だが、影から出る一瞬、その近辺に波紋が立つのだ。

 それが事前知識としてあれば、意識を向けるのは影のある場所だけで良い。攻撃は影の中からしか来ないのだから。

 黒装束たちが《クワイ・シャドウ》に翻弄されていたのは、魔物の特徴を知らなかったから。もし知っていたなら、あそこまで上手く事が運ぶことはなかっただろう。


「……にしても、思ったより少ないな。この調子ならあの子の所にもすぐに着ける。俺の忠告をちゃんと聞いてるなら静かにジッとしているはずだけど……」


 《クワイ・シャドウ》は影に潜って、音を頼りに攻撃を仕掛けてくる。そのために彼らは聴力が発達しているのだが、それと引き換えに視力はほとんどない。

 そのため周りを《クワイ・シャドウ》に囲まれていても、その場で静かに留まっていれば攻撃をされることはない。


 リュートがここを勝負の場に選んだのも、その特徴を知っていたからだ。

 リュートは襲いくる《クワイ・シャドウ》を片手間に処理しながら、少女が待つであろう場所へと歩みを進めていく。


「――あ、いた」


 入り口が一つしかないコンクリートの壁に四方を囲まれた部屋で、その少女は両手で口を覆い、その場に座り込んでいた。

 どうやらリュートの言葉を聞いて、静かに大人しくしていたらしい。


 それを確認して、リュートは少女のそばへと近寄っていった。

 少女の方もリュートの存在に気づいたのか、涙目のままリュートを睨みつけている。


「あ、あの……大丈夫でした?」

「大丈夫だと思うの!? こんなとこに一人で放置されて、逃げようと思っても動けないし! 本当にどうしようかと思ったのよ!」

「ご、ごめんなさい……!」


 少女は感情の赴くままにリュートの胸を握り拳で何度も何度も叩いた。


「大体、静かにしてろって説明だけでこんなところに置いていくって、アンタどんな神経してるのよ! そりゃあ、守ってくれた事には感謝してるけど! でもこれは酷すぎよ!」

「だ、だって……説明してる暇なんてなかったし、説明したらしたでこうなる気はしてたし…………」

「だったら尚の事……っ!」

「わ、わかった! わかったから! 文句なら後で聞きますから! 一先ずここを離れないと……!」


 リュートはそう言うと、視線を右に向ける。

 少女はそれを確認すると、リュートの視線を追ってその先を見た。

 そこには建物の陰を蠢く『影』が無数にあった。

 それらは今まさに、物音を立てる二人の獲物に襲い掛からんと準備を始めている。


「ひ……っ!?」

「ね? だから一先ず話はここを離れてからにしましょ?」

「そ、そうね……。護衛エスコートをお願いするわ……」


 少女は震える体をリュートにすり寄せながら、ただ一言そう呟いた。


☆☆☆


「――ッ、クソが! あのガキのせいで、こんなッ! クソがァァァァァ!!!!」

「…………ジョン、落ち着け。傷に障るぞ……」


《居住外特区》から大きく離れた荒野で、ジョンは左拳を地面に叩きつけて吼えた。

 肘の先から大きく欠損した右腕は二の腕付近に布がキツく縛り付けられており、軽い止血こそされているがそこから滴る血液の量が0になることは決してない。


 ただでさえ、失った血の量を考えるなら安静にして、迅速に治療を受けなければならない。

 だが、その状態にあって尚、怒りで震えるジョンは自制が効かなくなっていた。


「落ち着け? 落ち着けだと!? 落ち着けるわけがないだろうがッ!!! 仲間が二人も殺された! 俺も右腕を失ったんだ!!!」

「ジョン、お前の怒りもわかる……。だが、今は抑えるんだ。じゃないと失血死してしまう……」


 短剣使いはジョンを諭しながら、彼の左脇に体を滑り込ませて立ち上がった。

 一先ず、ジョンに治療を受けさせなくてはならない。そのためにも、目の前に聳え立つ巨塔に戻らなくてはならない。

 そう考えて、一歩踏み出そうとした。


「――おい、そこでなにしてる?」


 その時だった。

 後ろから声が掛かった。

 底冷えするような、冷徹な熱の籠っていない声だ。


「――答えろ。なぜ、お前たちがここにいる。あの御方はどうした。連れて帰って来いと、そう命令を受けていたはずだろう」


 心拍数が増加する。

 呼吸が荒くなっていく。

 足から力が抜けていく。


「――他の二人はどうした。それにあの御方の姿も見えないな。まさかとは思うが、取り逃したのか? 命令を遂行できぬまま、逃げ帰ってきたのか?」


 瞬間、二人の体は地面に沈んだ。

 後方にいる人間は動いていない。直立不動で、地面に這いつくばる二人を見下ろしている。


「――答えろ。お前たちはどうしてここにいるのか」


 男の言葉と共に、二人の黒装束は更に深く地面へとめり込んだ。

 ミシミシと軋む骨の音を聞きながら、心臓の音が身体内に大きく響き渡る。

 近付く死の気配に先に音を上げたのは、ジョンだった。


「お、お赦しを! 思わぬ、じゃ、邪魔に、遭ってしまい、あの御方を逃して、しまいましたァァ!!!」

「…………そうか」


 痛みと恐怖から言葉が途切れ途切れになりながらも、確かに男に対してそう言った。

 これは最善手だった。ここで下手に誤魔化すことは、すなわち自身の死に直結するとジョンの直感が悟っていたのだ。


 事実、二人の体に掛かっていた『重さ』は緩んだ。

 暫く動ける気はしないが、それでも助かったのだ。

 その事実が安堵を齎したのか、ジョンは『重さ』に抵抗する為に全身に入れていた力が緩んだのを感じた。


「…………なら、死ぬしかないな」

「へ?」


 その言葉を皮切りに、先程までとは比にならない力で地面へと体は押し込まれた。

 抵抗する力が抜けていたジョンは呆気なく、地面の染みとなり息絶えてしまった。


「あ、あぁ…………ジョン…………。そんな…………」


 短剣使いは共に生き残った仲間が呆気なく殺されてしまった事に絶望した。そして、同時に自身の死を悟り、ただ這いつくばる事しかできない。

 そんな姿を見下ろしながら、男はゆっくりと短剣使いの元へと近づき、腰を落とした。


「……なぁ、カナメよ。どうして、お前はそんなに弱いんだ? どうして、お前はそんなに無能なんだ? お前が女だからなのか? 兄である私に教えてくれ。なぁ、妹よ」

「――――ッ」


 短剣使い――カナメと呼ばれた彼女は、兄から放たれる無情な言葉に何も言うことができなかった。


「お前がそんなに弱いと、俺らの名に泥を塗ることになるだろう。俺たち一族は生粋の戦闘集団。その末端がこの体たらくだと、割を食うのはこの私だ」

「も、申し訳、ありません……!」

「実力も、実績もないお前に何の価値がある。俺たちの価値は強くある事。にも関わらず、お前は弱いまま。なんなんだ、お前は。何が為せる、お前には」

「申し、わけ……ありま、せん…………ッ!」


 男はカナメの頭を踏み躙りながら、ただ冷酷なまでに罵倒の言葉を並べ立てていく。


 弱者はいらない。強者だけが存在できる。

 無能はいらない。有能な者のみ生きる権利がある。

 何も為せない、何者にもなれない。なれるのはただの頭陀袋。


 そう言い聞かせられながら、その身に痛みを刷り込み、恐怖に抗えなくする。

 心は折れ、抵抗する気力を削ぎ、その身を縛る。


「私のために、お前はその身を捧げろ。私のために、お前は死ねばいい。お前には、なんの価値もないのだから。わかったな?」

「…………。……はい」

「次はない。必ず、あの御方を連れ戻せ」

「…………わかりました」


 それを人はこう呼ぶのだろう。

 ――『呪い』だと。


(誰か……助けて…………)

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