第7話 影潜みて、狩る

 リュートの回し蹴りが短剣使いの横面を捉え、体を錐揉み回転させながら瓦礫へと叩きつけた。

 短剣使いは呻き声を上げながら、顔を隠す黒布の隙間から覗く琥珀色の瞳を吊り上げながら、リュートを睨みつけている。


「ど、うして……どうして、ジョンの腕が落とされているんだ! 答えろ! お前は、何をしたんだ!!?」


 腕を落とされた魔術師――ジョンというらしい人物に何が起こったのかを、短剣使いは怒気混じりに叫んでみせた。

 瞳の震え、声の強張らせ方、流れ落ちる汗。それは短剣使いの動揺を赤裸々に語る。


「…………は? なにもしてない? そんなわけあるか! じゃあ、なんでアイツの腕は……!」

「本当だよ。アレをやったのは俺じゃない」

「……説明しろ! なんで――」


 声を荒げる短剣使いに向けて、リュートは口の前に人差し指を持っていって見せつけた。


「静かにした方がいいですよ? そんなに騒ぐと、はすぐそこまで這い寄ってくる。そして、その首を引き裂かれるかもしれないですよ?」

「――は? な、なにを言って…………」


 優しく、喚き散らす子供をあやすような甘い声で、リュートはそう忠告をしてみせた。

 そう、短剣使いは知らない。いや、短剣使いだけではない。この場にいるリュートとあの少女以外の人間――黒装束全員が、今この場でなにが起こっているのかを知らない。

 腕を落とされた張本人も、静かにしろと忠告された短剣使いも、横で味方がやられた魔術師も、逃げ惑っていた謎の黒装束も。


 いや、どうやら逃げていた黒装束は気付いたらしい。

 その顔を勢いよく上げて、周囲を見渡し始めている。


「な、なんだ? これ……なんで、こんな…………」


 これで合点がいった。

 なぜ、非戦闘要員である奴がこの場にいたのか。この黒装束こそが、あの少女の言っていた決して逃げきれない理由なのだろう。そして、恐らく奴の使う《固有魔術オリジン》は周囲の生体反応を識別するものなのだろう。


 だからこそ、その異質さに気づけてしまった。


「教えておいてあげますよ。この《居住外特区》は魔物たちの侵攻――《魔物の行軍スタンピード》で壊滅したのは知ってますよね? それが起こったのは夜。みんなが寝静まった頃だった」

「なんの話だ……今、この状況となんの関係が……」

「ちゃんと説明しますから聞いていてください。聞くつもりがないなら、ここでお前の首を刎ねても良い」

「…………ッ!」


 リュートは口を挟んできた短剣使いに、殺気にも似た圧をぶつけた。それは身体の芯の奥底から冷え冷えとするほどの、恐怖を駆り立てる圧だ。


「なぜ夜だったのか。理由は単純。夜行性の魔物が集団で行動していたからです。だから、まだ明るいこの時間帯なら《居住外特区》は比較的安全なんですよ。ただ、これはの話です」


 リュートは知っている。

 ここ《居住外特区》になにがいるのかを。魔物たちの種類も、そのさえも。


「《クワイ・シャドウ》という魔物を知っていますか? 鋭い爪を持った影のような魔物です。奴らは攻撃に特化しすぎるあまり、防御という面においては最弱レベル。おまけに速度もない。低級の探索者でも倒すのは楽なんです」


 《クワイ・シャドウ》という魔物は。攻撃に性能を全振りしている癖に、速度もあまり速くない。攻撃を受ければ一撃で倒れる。

 その貧弱さ故に、探索者から侮蔑の意味を込めて付けられたもう一つの名前は《ヴァルナー》。


「……でも、その実。《クワイ・シャドウ》はBランクという高い等級区分をされた魔物なんですよ。話を聞いただけだと良くてDが妥当でしょ?」


 魔物にはEからSランクまでの等級が存在している。Eが最底辺、Sが最高峰の危険度を持つ魔物という事だ。ちなみにだが、探索者もこの等級区分で区別されている。

 ここでいう《クワイ・シャドウ》は取り分け、危険度としてはかなり高いのだ。


「なら、その理由はなんなのか。わかりますか?」

「…………わからない」


 短剣使いは顔を歪めながら答える。その視線が向かう先は、未だ血を垂れ流し、動揺している黒装束仲間たちに向いている。


「答えは単純。アイツらは接近に気づかせないからです。静かに獲物に近づいて、攻撃範囲に入ったら一撃離脱する。ただひたすら、それを繰り返す」

「は……っ?」

「気づきました? ここは《クワイ・シャドウ》の狩場。俺たちは既に、そこに踏み込んでいる」

「きっさまぁぁぁぁ!!!!」


 短剣使いが怒りの咆哮を上げた。

 どうやら、先の忠告を忘れているらしい。


「俺は教えておきましたよ。、と。彼らは何より音に敏感ですから」

「――づっ!?」


 リュートがもう一度同じ忠告をした。

 その瞬間、一条の黒い流星が駆け抜けた。

 短剣使いは反射的に身を逸らし、それを回避しようとしたらしいが完全には躱しきれなかったのか、二の腕に血を滲ませている。


「わかってもらえました? 俺がここを戦いの場に選んだ理由」

「これが……お前の作戦だったと?」

「えぇ、そうです。数で勝る貴方たちに勝つには、この場所しかなかった」

「……っ、他の魔物だって来る可能性があったはずだ」


 確かに《クワイ・シャドウ》のみを狙って呼び寄せるなど不可能に近いだろう。いくら、知識があっても《居住外特区》は魔物の巣窟だ。

 《クワイ・シャドウ》以上に危険度の高い魔物が現れて盤面をぐちゃぐちゃにされている可能性だってある。下手をすれば、敵味方関係なく全滅していたかもしれない。

 だからこそ、黒装束たちはこの盤外戦術に驚愕するほかなかった。こんな大博打を打つなど、思ってはいないのだから。


 だが――


「俺は――初めから、こうなるってわかってた。最初に言ったろ? ここの魔物は全員がだって。そして、ここは《クワイ・シャドウ》の狩場だ。夜活動する魔物が、昼間に大きな音のする別の魔物のテリトリーに来ることはない」

「だから……《クワイ・シャドウ》のみを呼び寄せることが出来たと? あり得ない……」


 これはリュートが蓄えていた知識の一つに過ぎない。知識さえあれば不可能だって可能にできるのだ。

 短剣使いは震える声で「狂ってる……」と、そう零した。


 確かに狂っているのだろう。たとえ可能であっても。知識があっても。こんな命懸けの行動を取ることなど想像すらできるわけがない。

 たとえ他の魔物が来ないとわかっていても、自分が呼び寄せた《クワイ・シャドウ》によって死んでしまうかもしれないのだ。


「そう、あり得ない。だから、勝ち筋を見出すならそこしかなかった。ただそれだけの話ですよ」


 これは始めから自分たちを狩るための戦いだった。


 その事実に気が付いた瞬間、短剣使いは体の奥底から震え上がっていた。恐怖、忌避、厭悪――様々な悪感情がないまぜになりながら。


「た、助け――ギャッ!?」

「――クロウ! どうして、こんな…………」


 気付けば、黒装束の一人が一瞬だけ断末魔を叫び、首から飛沫を上げながら倒れた。

 どうやら頸動脈を切られたらしい。地面を濡らす血の量から見ても、もう助からないだろう。事実、その場に力無く倒れているだけだ。


「……ひっ!? く、来るな!」


 その様子を尻目に見ながら、リュートは踵を返して、ゆっくりと力を失った指輪を大事そうに抱えている黒装束の元へと歩み寄っていく。


「……お前が、あの娘の場所を探知するための鍵であってるよな?」

「た、助けて……くれ…………!」


 立って逃げることができないのか、この黒装束は地面を這うようにしてリュートから距離を取ろうとしている。

 だが、普通に歩いているリュートと地面を這っている黒装束では、リュートの方が遥かに速い。


「…………」

「や、やめろ……やめて…………!」

「ごめんだけど、無理だよ。ここから逃げるのに、アンタの《固有魔術オリジン》は邪魔だ」

「…………グラン」


 リュートは黒装束のそばに来ると、刃をその首に当てて滑らせた。

 その瞬間、黒装束の動きが止まった。

 地面に倒れ込みながら、赤黒い水溜りを体の下に形成していく。


「…………人を殺すのは、慣れないな」


 探索者という仕事は常に命を懸けて行われている。魔物たちは凶悪で、狡猾に人の命を刈ろうとする。だが、なにも探索者が警戒するのは魔物だけではない。

 悪意を持って攻撃を仕掛けてくる人間にだって対処しなくてはならない。


 狩った魔物の独占をしようとする者、殺した人間の装備を奪い売却しようとする者、果ては快楽を求めるままに人を殺す者。

 いずれにせよ、探索者として生きていく上で人を殺さなければならない時もあるのだ。

 現に、リュートも何度かそういう輩と遭遇し、その度に殺してきた。だが、それでも人殺しは極力したくはないのだ。


「…………死にたくないなら、早くここから逃げる事をオススメするよ。あそこで動揺してる魔術師も連れて、ね」


 リュートは一言だけ短剣使いにそう言い残すと、その場から立ち去ってしまった。


「…………ッ、クソがッ」


 短剣使いは声を抑えながら、その拳を固く握り締めた。手の平に爪が食いこみ、血が滲んでもお構いなく。

 そして、顔を上げると未だ見えぬ敵から逃げ惑っている残った黒装束――ジョンのそばへとふらふらと覚束無い足で近寄っていく。


「ジョン、声を荒げるな。静かにして、そのままここから離れるぞ……」

「わ、わかった…………」


 黒装束たちはその瞬間、姿を消した。

 戦いの場に残ったのは無数の血痕と死亡した二人の肉体。そして、未だ狩りのために影に潜んでいる《クワイ・シャドウ》のみとなったのだった。

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