第6話 獰猛な獣

(……本当に、こんな所に逃げてくるなんて。あの人は一体なにを考えているの?)


 少女は、黒装束の前に姿を現したリュートの背中を見て、疑念を抱いていた。

 リュートは逃走が無理なら――と、《居住外特区》で黒装束たちの撃退を提案した時、少女は目の前の少年がおかしくなってしまったのかと思った。


(あんなの……作戦にしたって、無茶苦茶すぎる……。そんなに都合よく、あの人が言っていた状況になるわけがない。最悪……私たちも……)


 だが、信じるほかない。

 今、この状況下を誰よりも把握していて、この盤面を掌握しているのは目の前の少年に他ならないのだから。


(私はまだ、死ねない……。もし、最悪の状況になったら、ここから離れる……誰にも気取られないように……)


☆☆☆


 リュートは眼下で自身を見上げる黒装束たちを見下ろしながら、周辺に視線を振る。


(…………うん。大丈夫そうだ)


 ならば、なにも問題はない。

 リュートは鉄骨から飛び降りて、黒装束たちのいる場へと舞い降りた。


「手早く済ませるぞ……。こんなところで長時間戦うのは、どちらにしろ厳しそうだ」

「安心してくれよ。そんなに。ほんの四、五分だけ……俺に付き合ってくれれば大丈夫ですよ」


 リュートは微笑を浮かべてみせた。

 研ぎ澄まされた刃のような空気が肌を突き刺す。


「――【爆炎イグニス】」


 爆ぜる焔が唸りを上げながら、リュートを呑み込まんと急迫する。

 リュートはそれを地面を蹴った衝撃で横に回避。

 転身して、爆炎を放ったであろう後方にいる小柄な黒装束へ向けて、駆け出した。


「させるか!」


 リュートの眼前に短剣を装備した黒装束の一人が割って入ってきた。

 本来なら直剣の攻撃範囲を考えれば、短剣は内側に入らせるべきではない。だが、それはあくまで通常の直剣であればの話だ。


 リュートの現在装備している直剣は折れていた。直剣としての機能など死んでいるだろう。

 その攻撃範囲は現在、リュートが斬り結んでいる短剣使いのものと大差がない。


「【雷撃トニトルス】!」


 稲妻が走る。

 リュートはそれを視認すると同時に後ろに跳んだ。無論、先ほどまで斬り合っていた黒装束も同様だ。

 放たれた雷は、誰に当たる事もなく近くにあった鉄骨に衝突し、激しい音ともに霧散していく。


「…………シッ!」


 後ろに跳んだリュートの隙を縫うように、短剣が再びリュートに牙を剥いた。

 リュートは的確に短剣を弾きながら、周囲を見渡す。

 黒装束たちはそれぞれが既に次の《魔術》の準備をしている。


(一人の前衛を基軸にして、二人の後衛が《魔術》で動きの撹乱。決着は誰かが付ければいい。だからこそ、その一つ一つの動きに俺を殺すっていう圧がある)


 炎、雷、斬撃。

 三つの攻撃が嵐のように襲いかかってくる。

 一つを集中して対処すれば、その隙を狙って他二つが確実に攻撃をしてくる。


 かと言って、三つに意識を向ければ、必ずどこかしらのタイミングで被弾して、そのまま決着まで持っていかれてしまう可能性が高い。

 これが一人一人を相手にしているならば、リュートの勝率のほうが高い。

 若しくはこれが魔物相手であるのなら、リュートは数で不利を取っていても勝てている筈だ。


 だが、これはあくまで一対一の真剣勝負ではないし、相手も魔物ではない。

 現在、行われている一人対三人の現状に於いて、数という絶対のハンデを背負っているリュートの方が圧倒的に不利なのは間違いない。


(だけど、一つ不可解な点がある……。はなんで動かないんだ?)


 リュートの視点は後衛である二人の更に奥。

 一番後ろで、攻撃に参加していない一人の黒装束に固定されていた。


(……アイツは何をしているんだ? 現状、一対三で俺には余裕なんてない。ここで四人目が参加してくれば、間違いなく向こうに形勢が一気に傾く。なのに、なんで戦ってこないんだ?)


 ここで考えられるのは主に二つだろう。

 一つは、リュートを一撃で沈めるために、強力な魔法の準備を進めている為、その場から動かず、魔力を練り上げながら時を待っている説。

 その場合、リュートが一瞬でも隙を見せれば、その時点で終わりだろう。


(だけど、アイツからは魔力の高まりが感じられない。熟練の魔術師マギは大技を使う時であっても、魔力が揺らがないと聞いたことがある。でも、アイツからは戦闘慣れしているような圧がない)


 となれば、有力なのはもう一つの説。

 そもそも、戦闘能力が皆無であり、この戦いに参加することができていないのではないか。

 ならば、なぜそんな人間を追跡に向かわせたのか。


「こんのォ!!!」

「――っぶな!」


 思考の渦に嵌っていたリュートは、寸前まで迫っていた短剣の刃に身を捩りながら、後ろに五メートルほど飛び退いた。

 追撃は来ない。

 どうやら、《魔術》が届く有効範囲外では手を出して来ないらしい。

 流れ出る冷や汗を手の甲で拭いながら、リュートは笑ってみせた。


「…………やってみるしかない、か」


 リュートは自ら向こうが攻撃してくる範囲へと突入していった。

 待ってましたと言わんばかりに、短剣使いがリュートへと肉薄し、超至近距離での攻防が繰り広げられる。

 短剣使いが一度攻撃する隙に、リュートは二撃を叩き込み。防御に入ろうとすれば、その間を縫いながら肩口を折れた刃が薄く切り裂く。

 実力はリュートの方が勝っていた。

 このまま行けば、短剣使いを落とせる。


「【雷撃トニトルス】!」

「――チッ!」


 だが、それが叶うことはない。

 徹底して、リュートに一対一の構図を作らせないように、後衛の魔術師二人が立ち回っているのだ。

 短剣使いが不利だと判断すれば、迷わず《魔術》を放ちリュートを引き剥がしてくるのだ。明らかに、この二人は戦い慣れている。

 でなければ、ここまで徹底した行動を取れるはずがないのだ。


(……これが本当にうざい。でも、逆にだ!)


 この瞬間、リュートは短剣使いと引き剥がされてしまった。しかし、それは足止めをしているだろう短剣使いもリュートから離れてしまったのと同義だ。

 それ即ち、今までであった前衛が消えたということ。

 リュートは地面を蹴り、短剣使いの方ではなく、《魔術》によって妨害と攻撃をしてくる後衛へと肉薄した。


「――【爆炎イグニス】ッ!」

「――【雷撃トニトルス】ッ!」


 炎と雷が互いに混ざり合い、干渉し合いながらリュートへと迫る。

 それをリュートは更なる加速を以て、無理矢理振り切って、後衛の横を通り過ぎた。

 背後で爆炎の熱と轟雷の音を聞きながら、一点に狙いを定める。

 狙うは、後衛の更に後ろ。

 戦闘に参加せず、俯瞰の姿勢を貫く一人の黒装束だ。


「ひぃ……っ!?」


 迫りくるリュートの刃に、その黒装束は情けない声を上げながら背を向けて逃げ出そうとした。

 短剣使いは引き剥がした。

 後衛の魔術師たちは《魔術》を使う事を躊躇っている。

 あまりにも簡単にこの状況まで持ってこれた。

 凶刃は振り払われ、逃げ出そうとした黒装束の首元へと吸い込まれていく。


(取った……!)


 まず、一人――。

 リュートが確信したと同時。

 黒装束の付けていた指輪が微かに光を放った。


「くそ……っ! 《防護の指環プロテクト・リング》か!」


防護の指環プロテクト・リング》は、たった一度だけ、装着者が命の危機に瀕した際、装着者の魔力に反応して絶対防御の壁を四方に展開する魔道具だ。

 リュートの攻撃に反応して発動された絶対防御。

 『絶対防御』と聞けば誰もが防御のみの性能と思うだろう。だが、その実この防御には『反撃』という二面性も併せ持つ。


 いくら絶対防御と言えどその効果時間が終わるまで鍔迫り合いをし続ければ、いずれは効果が切れ装着者はやられてしまう事になる。

 故に、この防壁はただ攻撃を妨げる物ではない。

 この指輪に埋め込まれた術式の正体――それは『完全反射』である。


 即ち、それの意味するところは相手が加えた力の分、それと同等の力で弾き飛ばすのだ。

 それは魔術も物理攻撃も関係なく。


「……隙あり、だ」

「――ッ!」


 刃を弾き飛ばされたリュートの間隙を縫うようにして、背後から接近していた短剣使いが心臓へ向けて刺突を敢行した。

 いや、『敢行した』という言葉は正しくないのかもしれない。

 それは、ただ相手の移動してくる先に『仕掛けた』即時発動型のトラップだ。空中により体勢を立て直すことのできない、回避不可能の即死罠。


 このままでは間違いなく、リュートの敗北という結末でこの戦いは幕を下ろす事になるだろう。

 リュートは死亡し、少女は逃げ切れず、黒装束たちが目的を達成してしまう。少なくとも、リュートが考える限りの最低な結末だ。

 まもなく、心臓を短剣が貫く。失血死か、はたまた痛みによるショック死か。

 それを選ぶ権利をリュートには与えられていない。


「…………。……ハハっ」

「……? なぜ、笑って――」


 ――いや、選ぶ時ではない。


「――――ッ、ァァァアアアア!!!」

「は!?」


 仲間の鼓膜を劈かんばかりの悲鳴。

 短剣使いは咄嗟に後ろを振り返り、その目を大きく見開いた。


「う、嘘だ……」


 その先に見たのは、右腕の肘から先を失い、血河を垂れ流しにしている仲間の姿だった。

 短剣使いは即座に構えを解き、仲間のそばに駆け寄ろうと踵を返した。


 しかし、それは致命的な失敗ミスだ。

 この瞬間、短剣使いは選択を誤ってしまったのだ。仲間を見て尚、構えを解かず、先にリュートの心臓へと刃を突き立てるべきだったのだ。

 なにせ、後ろに居るのは――


「俺の、勝ちだ……!」

「くぶっ!?」


 ――獰猛な獣なのだから。

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