第5話 居住外特区

「貴様……なんのつもりだ…………」


 黒装束の一人がイラつきを隠せていない声色で、リュートに問いかけた。

 声はくぐもっており、男性か女性かを聞き分ける事はできない。だが、確かに明確な敵意を持っているのだけはわかった。


「なんのつもり? それはこっちのセリフだ。この娘一人を四人で追いかけてなにをしていた?」

「それを私たちが答える義理はない」

「なら、俺がこの娘を助けた理由を答える義理もないだろ」


 リュートは一切臆する様子もなく、毅然と反論した。

 そもそも、自分の事を語らないくせに、相手の事を聞き出そうなど言語道断だろう。


「…………今、ここから退けば私たちは君を追わない。命を保証すると誓おう。だが、それを拒否するならば……」


 お前を殺す事も厭わない――。

 黒装束は全てを語らず、言葉に含みを持たせた。

 即ち、これは警告や忠告などではないのだ。これは単なる脅迫だ。

 自分たちにはそれができる実力があると、そう確証している事の証左に他ならない。


「拒否したら、どうなるっていうんだ?」

「こうなる」


 だからこそ、敢えて含みに気付かない素振りをした。

 こういう手合いは脅しに屈して逃げようとも、脅しに屈さず拒もうとも、裏の意味を取れていなくとも、なにがあっても殺そうとしてくる。

 事実、黒装束の一人がリュートに対して、爆炎を放ってみせた。


 リュートはそれを先程の再現のようにして、切り裂いてみせた。

 完全なる不意打ち。

 純然たる殺意を持って放たれたそれを一瞥して、リュートはさらに警戒を強めていく。


「…………なるほど。格下だと侮っていたが……なかなかできるらしいな」

「そりゃどうも……。これでも、探索者なんでね。ある程度は戦えるさ」


 リュートは黒装束から目を外す事なく、後ろで震えている少女へとにじり寄っていく。

 黒装束たちは各々が焔を生み出し、それをリュートへと放とうとしている。これから放たれる焔の数は四つ。


 それらを放たれれば、リュートは無事でも、後ろの少女は決して無事では済まないだろう。加えて、ここが幾ら外区の際であろうと、人が少ない訳ではない。

 寧ろ、家を持てない、貧しい子供や老人たちが多く暮らしているのだ。

 あの焔を無差別に放たれてしまえば、それらの人々にも被害を与えてしまうのは明白だろう。


(ここで戦うのはだ。戦うならここじゃない方が良い…………)


 つまり、今現状でリュートが取れる手段は一つしかない。


「――キャ……ッ!?」

「――なっっ!!?」


 リュートはを選択した。

 少女を抱き抱え、黒装束たちに対して背を向けて、在らん限りの脚力を振り絞って駆け出したのだ。

 黒装束たちも急に逃走したリュートに対して、一瞬ではあるが呆気に取られてしまっていた。そして、それが致命的な遅れとなる。


「は、速い……!?」


 リュートの速度に黒装束の一人が目を見張る。

 人一人を抱えての逃走であるにも関わらず、徐々に黒装束たちが引き離されていくのだ。


「一体……どんな身体能力をして…………!」


 驚愕に染まっていく黒装束を他所に、リュートは加速を緩める事はない。

 未だ最高速度には達していない。が、それでも振り切れそうではある。


(……このまま撒けるか? あの黒装束の連中も着いてこれてない。なら、このまま――)


「……無理よ。アイツらの追跡からは、どうやっても逃れられない」

「それって、どういう……」


 少女の言葉がリュートの思考を遮断した。

 リュートはこのまま逃げ切れる。そう判断した。その判断は正しいもので、後ろを見れば、すでに黒装束との距離は離れ過ぎている。

 この状況で逃げられないとは、一体どういうことなのか。

 リュートの考えている事がわかっているのか、少女は顔を俯かせて答えた。


「言葉のままよ。アイツらは私がどこまで逃げても追いかけてくる。アイツらには私の場所がわかってるのよ」

「場所が……わかる…………」


 少女の言うことが憶測ではなく、ただの事実であるならばどこまで逃げても先回りされる可能性が高いということになる。

 万が一、逃げ切れたとしても、駆け込んだ先で再び襲われる事になる。


 もしも、そこが人入りの良い店だった場合、今この場所での被害よりも大きなものになる可能性が高い。

 そうなってしまえば、被害を出さないようにするために逃走を選択した事が無駄になってしまう可能性の方が高いということになってしまう。


「もしも、貴女の言う事が本当なのだとしたら、確かに逃げ切るのは難しいでしょうね」

「…………その言い草。私の言う事、信じていないって事かしら……」

「いや、これは信じる信じないの話じゃないんですよ」


 不満そうな少女に対して、リュートは冷静にそう返した。

 少女はリュートの言葉の意味を理解していないらしく、首を傾げてしまっている。


「憶測だろうが、事実だろうが、リスクがあるならそれを少しでも回避しなくちゃならない。要は……それが嘘でも、本当でも、どっちにしろ向かう先を変えなくちゃならない」

「向かう先を…………どこに?」


 これも探索者として、一人で遺跡を巡る際にリュートが心掛けている事だ。常に、リスクがある選択をする必要があるとき、なるべくリスクの低い方を選ぶ。

 そして、この場合。リュートは逃走先を変更する事を選択した。

 少女の怪訝そうな表情を見ながら、リュートは不敵に笑ってみせる。


「これから、俺たちが向かうのは――」


☆☆☆


「――本当に、あの人はここに逃げ込んだのか?」

「え、えぇ……恐らく、間違っていないはずですが……」

「だが、本当にこんなところに? だって……ここは…………」

「あぁ、ここは…………《居住外特区》だ……」


 黒装束たちが口々に語る。

 そして、黒装束たちは己が目と仲間の『追跡』を疑ってしまっていた。

 辺りを見渡せば、鉄骨に瓦礫、生き物の骨や赤黒く変色した染みがその目に飛び込んでくる。


 『居住外特区』――そこは、今からおよそ15年ほど前まではヨコハマの居住区として、外区に位置していた一つの区域である。

 ヨコハマの外区にある円壁えんへきは、完全な円状にはなっていない。ある一部分が抉られたように内側に入り込んでいる。


 そして、その抉られた円壁の外にあるのが、この《居住外特区》である。

 ここは、今やヨコハマから放棄された、《特別危険区域》に指定されている場所である。


「もし、仮にここが逃げたのだとしたら、あの男……相当な阿呆だと見るが」

「……よっぽど、自分の実力に自信があるのか。いや、それでも無謀としか…………」


 『居住外特区』は15年前、魔物の大群が押し寄せる大災害――《魔物の行軍スタンピード》によって壊滅してしまった。

 ここに住んでいた約20万人のうち、およそ八割である17万人以上の死者を出した。


 無論、この大災害が起きた時、《探索者協会》も多くの探索者たちを派遣した。だが、あまりの魔物の数に、逆に押し込まれてしまい、結果この場所を手放す事になったのだ。

 以来、この《居住外特区》は魔物たちが跋扈する《特別危険区域》に指定されてしまった。


 そんな場所に、リュートはあの少女を連れて逃げ込んで来たのだ。

 誰もが考えなかったであろう、避難場所としては危険すぎる場所。

 もし、仮にここに逃げ込んだのだとしたら、リュートの目的はなんなのだろうか。


「一体、奴はなにを――」

「本当に追って来れたのか……。やっぱり、場所を変えて良かった。半信半疑だったけど、『追跡』なり、『探索』なりの《固有魔法オリジン》持ちがいるって考えてて良かった」

「…………なるほど。間違いではなかったか」


 リュートは鉄骨が剥き出しになったビルの三階部分から、黒装束たちを見下ろしていた。

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