第4話 邂逅

 グロスは真剣な顔をしながら、天板に置かれた《ランド・スネークの牙》をまじまじと見る。


「さてと……話もここまでにして、そろそろ素材の値段交渉と行くか」

「は、はい……」


 リュートの顔が緊張で歪んだ。

 今回が初めての取引というわけではない。今までも素材の買取をグロスに頼んできた。それでも、いつまで経ってもこの瞬間ばかりは緊張してしまうものだ。


(一体いくらなんだ? 俺にとっては初めての素材だし、どれくらいが相場なのかもわからない)


《ランド・スネークの牙》というリュートにとっては未知の素材。それが幾らで取引されるのか、期待と不安がない混ぜになっている感情のまま固唾を飲む。

 一方のグロスはと言えば、腕を組み、目を閉じて、神妙な面持ちをしながら無言を貫いている。


「…………それじゃ、値段を発表するぞ!」


 グロスは時が来た――! と、言わんばかりに目をあらん限りに見開いた。

 リュートからしてみれば、自分が剣を折ってまで討伐した《ランド・スネーク》の素材だ。せめて、折れた剣以上の金額になる事を期待して、祈るように目を閉じる。


「買取金額は――」

「……ゴクッ」


 グロスはそこまで言って、数秒溜める。

 リュートは薄目にグロスを見て、今か今かと発表を待った。

 そして、その時は静かに訪れた。グロスはゆっくりと、重々しい声でその値段を呟いた。


「――70万」

「…………へ?」

「70万でどうだ?」


 リュートは茫然としながら、手元に置かれた素材を見る。


(俺が使ってた剣がだいたい5万円……。それで、《ランド・スネークの牙》が一本で70万円。差し引き65万円の利益…………)


 固まってしまったリュートを怪訝な表情で見ながら、グロスは目の前で手を振ってみたり、軽く額を小突いてみるが反応がない。

 これでは価格交渉もクソもない――と、痺れを切らしたグロスがリュートの耳元に両手を伸ばす。


 ――パァァァァンッ!!!


「どぅわあぁぁぁぁ!?」


 耳元で突如鳴り響いた轟音に、リュートは体勢を崩し、椅子から滑り落ちていった。

 そのあまりの反応の良さに、グロスは笑いを堪えようと口元を手で抑える。が、堪えきれずに肩は数度に渡って上下に揺れていた。

 リュートは情けない声を上げて、椅子から落ちた恥ずかしさを誤魔化すように、グロスを睨みつける。


「……グロスさん?」

「す、すまん…………。さ、流石に……ふふっ……そこまでいい反応するとは思わなくて…………クハッ!」

「……確かにボーッとしてた俺も悪いですけど、そこまで笑わなくても…………」

「だから、ごめんって…………ぶくっ……! ちょ、タンマ! マジで笑いが治まらねぇ……ッ、ァハハハ!」


 ついに、グロスは抑える事ができず、腹を抱えて大笑いを始めた。

 リュートとしては自分の痴態を見せてしまい、それがグロスのツボに入っているので良い気はしない。

 グロスの爆笑が治まるまで、リュートは赤面の表情のまま地面を下に向けた。

 会話が再開したのは、それからほんの数秒後。グロスか未だ荒れる息のまま、話を切り出した。


「はぁ……それで、どうする? 《ランド・スネークの牙》……売却するか? 一応、コイツは本物だし、品質も良さそうだから定価以上で提示したが……」

「…………定価って、幾らくらいなんですか?」

「そうだな……大体、一本5、60万くらいだろうな。ただ、この《ランド・スネークの牙》は大分良いもんだぞ? 太いし、中もぎっしり詰まってそうだしな。素材としては最高品質だろうな」

「そんなに……」


 リュートは素材の買取の適正価格というものを知らないし、素材の良し悪しを判断する目もない。だからこそ、グロスが言ってる価格が本当なのかはわからない。


(本来なら他のところにも持っていって、より高く買い取ってくれる店で売るのが良いんだろうけど……)


 グロスの事は信頼している。

 彼は自分の仕事に絶対のプライドを持っている。だからこそ、不誠実な行為を絶対に許さない。商品を持ってくる客も、それを見て買い取るにも。


「じゃあ、売りま――」

「おっと、まだ話は終わってねぇ」

「へ?」


 売ろう――そう決意した、リュートがその言葉を口にしようとした時、グロスは片手を前に出してリュートの言葉を遮った。

 一体どうしたというのか、今回の買取になにか別の問題でもあっただろうか。

 リュートは目を見開きながらも、努めて冷静に頭をフル回転させる。


「お前……武器がないんだろ?」

「は、はい……これを売ったら、新しいのを買おうかなと考えてましたけど……」

「ふむ…………一つ、提案がある」

「提案、ですか?」


 グロスの提案とはなんなのだろうか。

 誠実な対応を是としているグロスの事だ。リュートに対して不利益になるような提案はしないだろうが、それが利益だけになる事もあり得ない。

 リュートは困惑しながら、グロスの言葉の続きを待った。


「お前……これで、を作るつもりはあるか?」

「武器…………《ランド・スネークの牙》で、ですか? でも、それを鍛治師の人に依頼するお金なんてないですよ?」

「そこは俺が融通してやる。代わりに、どこかのタイミングで良い。俺の指定する素材を取ってきてくれ」

「…………なるほど。依頼の前払い報酬として、その素材で武器を作ってくれる、と」


 確かに、この提案はリュートにとって魅力的なものなのは間違いない。

 だが、リュートにはどうしても気になる点があった。


「指定する素材……っていうのは、なんの事なんですか? それの難易度によっては、俺はその提案を呑むことができないです」

「自分が死ぬ可能性もあるからか? それとも、自分が飛ぶ可能性があるから?」

「そのどっちもです。だから、俺はその提案に飛びつくような真似……できません。もしかしたら、グロスさんが不利益だけを被るかも……」


 リュートは真剣な表情で、グロスにそう告げる。

 その言葉を聞いて、グロスはゆっくりと大きなため息を一つ吐いた。


「クソ真面目だなぁ…………。大丈夫だ、俺はお前が死のうとこっちの利益を取り立ててやるからな。それに素材に関しては、追々伝えるからな」

「え? 今の話なんじゃ……」

「違う違う。先の話だよ。俺が素材が欲しいってなった時に、無償で譲渡してくれりゃあそれで良い。それとも、お前は自分の利益に対して不満があるか?」

「お、俺はないですけど…………」

「なら、決定だ。これは俺にとっても利益のある事なんだ。お前一人が美味い汁を啜ることはないからな」


 そう締め括ると、グロスは《ランド・スネークの牙》を布で包むと「そんじゃ、これは知り合いの鍛治師のとこに持っていってやる」と言って、裏へと持っていってしまった。


(よ、よかったのかなぁ…………)


 リュートは押し切られる形になってしまった事に些か不満があった。

 自分にとって利益だらけの提案。グロスが欲しい素材がずっと無かった場合、この話は自然消滅する可能性だってあるわけだ。

 無論、リュートはそんな事をさせるつもりなど無いのだが。


『――皆さんは知っていますか!』


 リュートが頭をうーんと、捻っていると、突然外から大きな音量で声が響いた。


『この世界は偽りに満ちている! 現在、魔力は我々が生きていくために必要な力となった! その理由は、魔物どもの侵攻に対処するために必要だったからだ!』


「…………またか、いい加減うるせぇよな」

「あ、グロスさん」


 裏から戻ってきたグロスは不満げな表情をしながら、扉の先で演説しているのだろう声の主を考えて、愚痴をこぼした。


『だが、考えてみて欲しい! そして、知って欲しいのだ! 今、この世界の現状を作り上げたのは、他でもない魔力だ! 魔力の流入…………それによって、世界は天変地異に襲われ、文明はここまで崩壊してしまった!』


 定期的――ほぼ毎日、同じような事をマイクを通して、音割れするのではないかと思うほどの音圧でこうやって演説している者たちがいる。

 彼らは自分たちを『世界浄化教団』と称し、こうやって道路の傍らでこうやって演説しているのだ。


「…………なにを信奉しようが自由なんだろうが、こうも毎日のようにだとうんざりするな」

「本当、飽きないんですかね?」

「飽きないんだろ。だから、こんな事続けられてるわけだしな」


 外を見遣って、リュートとグロスは同タイミングでため息を吐く。


『魔力は本当に、必要だったろうか! 魔力によって、世界は破滅への道筋を辿っている! だからこそ、立ち上がるべきなのだ! 魔力のない、平和な世界を取り戻すために! 元の美しい世界を取り戻すために! 我らが『救世主メシア』の名の下に集え! 民衆よ!』


 そして、彼ら――世界浄化教団が信奉し、一つの絶対なる主と据えているのが『救世主メシア』と呼ばれている者らしい。

 その姿を見たことがあるのは、教団の中でもごく一部の幹部連中のみで、団員はおろか、一般人の前にその姿を見せることはない。


「魔力のない世界、ね……。結局、変化を許容することのできない馬鹿どもの戯言だろ? アイツらになにができるってんだよ……」

「さぁ? でも、魔力のない世界を望む人も多いんですよね……。あの人たちは小規模の団体じゃない……」

「ま、そうなんだろうな。実際、救世主メシアとか言うやつの下に多くの人間が付いてる。聞けば、この国の上層部も何人かは教団に入ってるらしいしな」

「カリスマ性がある……って、ことなんですかね?」

「なんだろうよ。ま、俺としてはどうでも良いことではあるんだがな」


 世界浄化教団はなにも日本だけの組織ではない。

 日本で発足した教団ではあるが、その手は世界を跨ぎ、未だにその信者の数を増やし続けているのだ。その中には国の上層部の人間も多いらしい。

 そのせいなのか、彼らが持つ権力は一国家の有するそれとは比にならないほどに大きくなっている。


「それより、今後の予定はどうするつもりなんだ?」

「今後ですか? ……とりあえず、暫くは武器ができるまでは探索はお預け……ですかね」

「ま、そりゃそうか。一応、三日もあればできると思うが、できたら俺の方に連絡が来ることになってるから、その時はメッセージに一言入れとくぜ」

「ありがとうございます」


 探索を休めるほど金銭に余裕があるわけではないが、武器がないのでは探索に出ても死ぬだけだ。それにリュートも探索者の端くれ。一週間ほどなら質素な暮らしができるくらいの蓄えはある。


「それじゃあ、俺はこの辺で……」


 リュートがそう言って立ち上がると、扉へと近づいていく。

 グロスは出ていこうとするリュートの背中に向けて、声をかける。


「くれぐれもをしないようになぁ」

「はい!」


 リュートは自信満々に笑って、親指を立てて見せながら、店から退店するのだった。



(新しい剣…………まさか、グロスさんがあんな提案をしてくれるとは……。あの人、基本的に守銭奴だから、ああいう自分に不利益がありそうな提案はしないと思ってた……)


《マテリア》を出てから数分。変わり映えのしない街並みを尻目にリュートは思考に耽っていた。

 専ら考えているのは、グロスが知人の鍛治士に頼んでくれているであろう《ランド・スネークの牙》を使った新しい剣についてだ。


「まぁ、どっちにしろグロスさんの事だし、きっとなにかとんでもない素材を要求されるんだろうなぁ……。今から、怖くなってきた…………」


 果たしてどんな素材を要求されるのか。

 遥か天空にいるという太陽すらも覆い隠す白い鳥の一枚羽か。はたまた、遠い砂漠の地を牛耳るとされる山脈並みの巨大なカバの牙か。または、海の奥底深くで蠢く大陸並みの海蛇か。


「……今から考えても仕方ないや」


 リュートはそう結論付けた。

 先程挙げた魔物たちの素材など頼むわけもない。せいぜい、竜の一匹でも倒して鱗を持って帰って来い、とかが関の山であるはずだ。


 気付けば、リュートは裏路地へと入っていた。

 リュートの向かう先は、ヨコハマの郊外も郊外。ヨコハマは魔物からの侵攻を抑えるべく、円周上に建てられた壁。その近辺にある自身の家だ。


 ヨコハマは構造上、二つの円状に囲われた壁――『円壁』によって隔絶されている。荒れに荒れている建物の乱立する一般人が住む外区と、道路や建物などが綺麗に整備され金持ちが住む内区だ。

 リュートの家は外区の中でも、より外側にある。壁の近辺は危険度が高いため、他の家より安い傾向があるのだ。

 リュートのような底辺探索者の多くは、外区の壁際に居住区を置いているのだ。


「さ、もう少しで……ん?」


 視界の先に人影が見えた。

 それも一人ではなく、複数――数えて恐らく五名。

 それだけならば、リュートも特段気に留めることもなかった。


「誰か……助けて……!」


 だが、それはあまりにも異様な光景であった。

 一人を四人が必死に追いかけている。しかも、追われている一人は見覚えがあった。


「あの娘は…………あの時の!?」


 リュートがぶつかったあの銀髪の少女が、性別がわからない黒装束の集団に追われている。

 黒装束のうちの一人。後方に位置取っている者が、その手に焔を燃やし始めた。

 それを見た瞬間、反射的にリュートは駆け出していた。


「――まずい!」


 放たれた焔は蛇のように畝りながら、彼女を飲み込まんとその火力を上げていく。

 しかしてそれは、少女へ届くことはなく。

 焔は眩い閃光と激しい熱を放ちながら、少女の眼前で二つに裂かれた。

 少女の視線の先で、黒装束の動きが止まる。

 その原因もまた、少女の視界に収まっていた。そこに居たのは、折れた剣を正面に構えた一人の少年。リュートが少女に背を向けて、守るようにして立っていた。

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