第2話 新都・ヨコハマ

 砂と血に塗れた装束のままに、リュートは荒れ果てた街道を歩いていた。

 ボロボロの石壁で作られた瑣末な建物が立ち並び、苔の蒸した石畳に、ひび割れたコンクリートを押し上げて生える樹木が特徴的な街――新都ヨコハマ。


 人口およそ160万人ほどが暮らす大都市である。

 そんな大都市をそんな格好で歩けば、必然的に多くの視線を集める訳で、


「おい、アイツ…………」

「ひどい汚れね…………」

「探索者だろ? ほら……例の……」


 リュートをチラチラと見ながら、街のあちこちで小さな声で住人たちが話をしているのが聞こえてくる。


(そんなに見なくても…………)


 リュートは自分に向けられた好奇の視線に辟易としながらも、歩みを進めた。

 しばらく歩いた後、赤い看板が飾られた店のすぐ脇にある裏路地へと入る。


「ふぅ……取り敢えずは、これで視線に晒されなくても済むだろ…………」


 リュートは肩を落としながら、裏路地を進んでいく。

 この街に於いて、ある一定の職種が視線に晒される事は決して珍しくはない。その職種とは、《探索者》と呼ばれる者たちの事である。


 探索者とは街の外に出て、さまざまな魔物と戦ったり、迷宮と呼ばれる魔物や罠の巣窟を駆け抜けて、そこにある資源を持ち帰る事で生計を立てる者たちの事だ。

 彼等は国が管理する《探索者協会》――通称、《ギルド》に所属しており、個人の依頼や、企業からの依頼を受ける事でも、金銭を稼げる仕組みになっている。


(俺も……どっかの会社の人と契約できれば、もう少しだけ楽に金を稼げたのかなぁ…………)


 ここで言う企業からの依頼は確かに《ギルド》に対して出されるが、それを受けることのできる探索者は依頼を出した企業と契約している者たちに限られる事が多数だ。

 なにせ、企業が依頼を出すという事は、それ即ち自分の会社の業績に大きく関わるような事案であることが多いからだ。


 それを何処の馬の骨とも知れない探索者に依頼を出すわけがないのだ。

 となれば、必然的に企業からの依頼を受けられるのはその実力を認められた上位の探索者のみという事になる。リュートのように、個人で名の売れていない探索者にはとても縁のない話なのだ。


「はああああぁ…………。このまま、なんの目標も、夢もないまま死ぬのかなぁ…………」


 自身の現状を憂いて、大きなため息が溢れる。

 リュートが探索者になったのは、特段大きな理由があった訳ではない。

 ただ、教養もなく、知恵もなく、繋がりもなかった少年が日銭を稼ぐには探索者になる以外なかったというだけ。大きな志も無ければ、目的もない。

 ただ、今日も生きていられればそれで良いと、自分に言い聞かせながら生きる日々だ。

 それが別に悪いとは、リュートも思っていない。


(なにか生きる目標…………俺は、探索者になってなにがしたいんだろ…………)


 それはリュートが探索者になってから漠然と考え続けてきた事だ。

 リュートはそんな事を今更に考えてしまっている自分自身を嘲笑うように言葉を漏らす。


「ま、今考えたところで、なにか思いつくわけでもないんだけどさぁ……。 あ、そろそろ抜けるな」


 気がつけば、路地の抜ける手前までリュートは進んでいた。

 リュートは歩みを早くして、小走りしながら、路地裏を抜けようとした。


「――キャッ!?」

「――わわっ!?」


 その瞬間、リュートは少女とぶつかってしまった。ぶつかった少女は、その場に尻餅をついてしまっている。

 リュートは唐突な事故に驚きながらも、自分とぶつかってしまったその人に、手を差し出した。


「だ、大丈夫です……か?」

「…………えぇ」


 リュートは少女を見て、ほんの一瞬動きが止まってしまった。

 透き通るような銀のストレートヘアー、雪兎を思わせるような白い肌に、炎のように真っ赤な吊り目がちな大きな目。それら全ての要素が、少女の整った顔立ちをより強調し、引き立てている。


 端的に言うなら、リュートはその少女のあまりの美貌に見惚れてしまっていた。

 突然として、フリーズしてしまったリュートを見て、少女は訝しげな表情を見せる。


「な、なに?」

「あ、いや……なんでもないです…………」


 リュートは少女の視線を受けて、苦笑いを浮かべる。

 少女はリュートの手を取ることはせず、その場に立ち上がり、スカートに付いた砂を手でほろう。

 リュートは空中で差し出していた手を彷徨わせた後、その手を引っ込めた。


「…………? 貴方、どこかで、――っ!?」

「…………?」


 少女は何かを言いかけて、反射的に後ろを振り向いた。

 少女の突然の行動に、リュートは驚きながらも彼女の向いた先を見る。

 しかし、そこには特になにもない。

 リュートが不思議そうにしていると、少女は顔を青ざめさせ、リュートを押し退けた。


「ごめんなさい、私急いでるので!」

「えっ? あ、ちょっと……」


 なにかに怯えた様子で逃げ去ってしまった少女に、リュートはその手を伸ばしたが、少女の手を掴む事は叶わず、彼女は遠くまで走っていってしまう。


「な、なんだったんだ?」


 リュートは突然の出来事に呆気に取られながらも、自身の目的地へ向かうために再び歩みを再開した。


☆☆☆


「おいおい、流石に安すぎるんじゃないか?」


 ――素材屋【マテリア】。

 新都・ヨコハマに無数にある探索者が取ってきた素材を取り引きする店の一つであり、そのボロボロの佇まいと、立地の悪さから客が少ない店である。

 そんな店の中で、一人の男がところどころ裂けてしまっているモノクロの皮と玉虫色に輝く傷まみれの鱗をカウンターに叩きつけた。

 それを見て、顔面に斜め十字の傷がある、スキンヘッドの男――グロスはため息をついた。


「いや、適正価格だな」

「馬鹿言うんじゃねえ! 俺はな、今まで素材を幾つも売って来たんだ! コイツは、あの《ラージ・カウの皮》と、《タイラントザードの鱗》だぞ! にも関わらず、たったの千円ぽっちじゃあ割に合わねぇだろうが!」

「まぁ、これが本当にそのモンスターたちの素材なら、もっと良い値段がするだろうな」


 《ラージ・カウ》も《タイラントザード》も、非常に強力なモンスターであり、個体数も多いわけではないため、高値で取り引きされている。

 無論、グロスとて素材屋の端くれ。その価値を知らない訳がない。


「なら――!」

「だが、これは偽物だな。まず、本物の《ラージ・カウの皮》は確かに白黒だが、これは面白い特性があってな? 叩きつけると衝撃で弾むんだ。だから、あの牛の皮は探索者たちにとって自分の身を守るための防具となる。だが、これは…………」


 グロスは男の目の前で《ラージ・カウの皮》だと言うものを天板の上に軽く叩きつけた。

 しかし、それは弾む事はなく、机の上にビタっと引っ付いて終わった。


「ほらな? 弾まないだろ? つまり、この皮は《ラージ・カウの皮》じゃなく、大方普通の牛の皮なんだろ?」

「ぐっ!? だ、だがこの鱗は本物だ!」

「いや、《タイラントザードの鱗》も偽物だな。確かに玉虫色に輝く鱗だから、外見の特徴は一致……してるように見えるが、この鱗は傷のついた箇所は黒く変色するんだ。なのに、これはそれが見えない。つまり、これも偽物だ」


 グロスは呆れ返った様子で《タイラントザードの鱗》を指で弾いた。


「――ッ! 良いから、早く買い取れよ! 俺は早く金が必要なんだよ!」


 男は狂気の色を宿した目をしながら、グロスに掴み掛からんと身を乗り出した。

 グロスはそれを片手で制し、首根っこを掴みながら男を持ち上げる。


「な、なんで…………っ!? お、俺は……冒険者、でっ!」

「お前なぁ……俺は冒険者相手に商売してんだぞ? こんなボロい店で、警備員も無しなんだ。少なくとも、お前より俺は強いぞ」


 グロスは淡々と男に言い聞かせる。

 男は宙吊り状態で、グロスの手から逃れようと体を捻るがびくともしていない。


「そんじゃ、ご退店願おうか」

「ひ……っ!? や、やめ――!」


 グロスは男を右手にある扉へ向けて振り被り、勢いよく放り投げた。

 それとほぼ同時。


「グロスさーん。今、大丈夫ですか?」

「あ……」


 扉が開いた。

 グロスはそれを認識した瞬間、顔を青ざめさせた。


「リュート、避け――」

「…………え?」


 グロスがリュートに対して回避を促すも、時すでに遅し。

 ――へぶっ!? という、情けない声と共に、リュートは投げ飛ばされた男の下敷きとなった。


「クソッ!」


 投げられた男はグロスに対して、怒りの目を向けながら逃げ去っていった。

 リュートはと言えば、店の扉付近で潰れたカエルのように倒れてしまっている。


「…………だ、大丈夫か?」


 グロスはリュートの側によって、顔を上から覗き込んだ。


「な、なんとか……?」


 リュートはたらりと垂れてきた鼻血を手で押さえながら、ゆっくりとその場に起き上がった。


「と、とりあえずティッシュ……使えよ、な?」

「どうも…………」


 グロスは近くに置いてあったティッシュの箱をリュートへと手渡した。

 リュートはそれを素直に受け取ると、ティッシュを一枚手に取り、鼻に詰めたのだった。

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