アポカリプス・レコード〜退廃した世界の迷宮異譚〜

ホードリ

第一章 始動編

第1話 砂漠の逃避行

「はぁ……はぁ……!」


 崩落寸前の廃墟の中、地面に降り積もった砂塵を巻き上げながら、走り抜ける人影が一つ。

 その人影――クガ・リュートは黒色の瞳を忙しなく左右に振り、耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄まし、ひたすらに廃墟の中を駆け抜けていく。

 身に纏ったボロボロの外套をはためかせながら、向かう当てもなく走る。


「…………くっそ!」


 リュートが駆け抜ける先、突如として目の前の地面がけたたましい轟音と共に爆ぜた。


「しまった!?」


 砂埃は吹き荒れる嵐となり、リュートの視界を完全に奪い去る。

 だが、確かにリュートの目には映っていた。


『シャアアァァ――――!!!』


 耳を劈く方向とともにその縄のような体をくねらせながら、巨大な牙を剥き出しにしてリュートへと噛み付かんとする巨大な蛇の魔物――《ランド・スネーク》。

 リュートが走り続けた原因であり、地面が爆ぜた元凶である。


「しつこいんだよ、お前!」


 リュートは目の前から差し迫る《ランド・スネーク》の顎を蹴り上げ、その脇を颯爽と抜けようとした。

 しかし、《ランド・スネーク》は大木のような尾をしならせながら、リュートへ音速に差し迫らんばかりの鞭打ちを見舞った。


「――――ッ!?」


 ほぼ反射的に尾と地面のスレスレをスライディングで通り抜けた。


「あっぶな…………。あとは、このまま逃してくれれば良いんだけど……やっぱ、無理だよねぇ」


 リュートが後方へと視線をやった先、そこにはすでに《ランド・スネーク》の巨体が見えなくなっていた。

 リュートはため息を吐きながら、忙しなく動かしていた足を止めて、その場でゆっくりと数度深く息を吸う。

 腰に挿してある剣を抜いて、再び自身の前に現れるのを待つ。


「…………聞こえた」


 岩を削る音が微かに響く。

 リュートから聞こえる音の距離は遠い。

 だが、確かに音はリュートの下へと差し迫っているのが感じられた。


「位置は…………」


 体感時間は極限まで短縮されていた。

 極まった集中力は、当人の意思と関係なく感じる時間を圧縮してしまうもの。

 自身の体に流れる血潮が。自身の体を打つ心音が。そして、自身に向けられた明確な殺意が。リュートの脳内をより明瞭なものにしていく。


 そして、次の瞬間――


「左ッ!!!」


 その巨体からは到底似つかわしくないほどの速度と共に、《ランド・スネーク》はリュートから見て左手の壁を砕いて突撃を敢行した。

 砂嵐と相まってこの突進を躱すことなどほぼ不可能に近い。躱せたとしても、それは運が良かっただけに過ぎない。


 だが、それはあくまで常人だったならの話だ。


「シ――ッ!」


《ランド・スネーク》の突進をすんでの所で回避し、その胴体に斬撃を数度叩き込む。刃は激しい火花スパークを上げ、その刀身から鋼鉄の破片がこぼれ落ちていく。

 リュートの斬撃を受けても尚、鱗に付いたのは薄い斬り傷のみ。《ランド・スネーク》に対してのダメージはほとんどないだろう。


「やっぱり斬りづらい。あの鱗をどうにかしないと……」


 先に自身の剣がダメになる。その事実に呪詛を吐きたくなる気持ちを抑えて、リュートは入れ違い、自身の後方に回った《ランド・スネーク》へと向き直った。

《ランド・スネーク》の方も、すでに獲物であるリュートを見ている。

 その瞳に獰猛な光を宿し、再び地面へと潜航。


「また潜ったか……」


 リュートはその場から動かない。刃の先を地面につけ、目を閉じて待つ。

 聴力に最大限の力を注ぎ、地面を掘り進んでいる魔物の位置把握に努める。

 そうすれば、自ずと獲物の方から近づいくる。


「…………。……来たッ!」


 跳んだ。

 足にまとわりつく砂をものともせず、およそ5メートル余りの跳躍。

 それとほぼ同時、《ランド・スネーク》がリュートが先ほどまで立っていた地面を抉り、その姿を見せた。


『ジャアァァァァッ!!』


 リュートの体が自由落下を始めた。

《ランド・スネーク》はそれに合わせて、その大きな口を最大限にまで開く。

 このままでは噛み砕かれるだろう。


「ハァァッ!」


 リュートはその身を捻り、自身の位置を左へと転身。落下の勢いそのままに、剣を振り下ろす。

 振り下ろされた刃は《ランド・スネーク》の左口角に接触し、そのまま斬り裂きながら胴体の中心部付近にまで大きな裂傷を刻み込んだ。


『ガァッ!?』


《ランド・スネーク》から溢れ出る鮮血を全身に浴びながら、リュートは砂をクッションに地面へと着地した。

 一方の《ランド・スネーク》も地面に着地はしたが、落下による斬撃を受けて、深手を負ったためなのか再び地面に潜航する事なく、その場でリュートを凝視している。


 静かな時間が流れた。

 その間、《ランド・スネーク》の胴体から漏れ出した血液は地面に流れ出し、砂を侵食していく。


「――――ッ!」

『シャ――――ッ!』


 リュートが全身全てのバネを利用して突撃した。

《ランド・スネーク》はその場で迎撃の態勢を取り、リュートが懐へ来るのを待つ。

 そこからの攻防は一瞬だった。


「だあァァァ――!!」


 リュートが力をあらんばかりに込めて、《ランド・スネーク》の硬い鱗を目掛けて刃を振り下ろす。鉄と鉄がぶつかり合ったような甲高い音と共に、鱗が砕け、肉を削いだ。

 二撃目。これもまた、同様の結果。

 三撃目、四撃目。同じ結果を齎す。


『ヅ――――ッ!!?』


《ランド・スネーク》は金切り声を上げながら、自身に襲いかかる痛みの暴雨を耐え凌ぐ。

 リュートはそれを尻目に、五、六、七――と、速度を上げながら刃を振い続ける。その度に、手に伝わる鉄を打つような振動、全力を出し続ける筋肉の悲鳴。

 それは微小ながら、それでも確かにリュートの体力を削り続けていく。


「いい、加減にッ! 倒れろォォ!!!」


 すでに斬撃の回数は十を超えた。

 何発も斬撃を叩き込み続けたリュートの体力は限界に近い。

 そして、それは十発以上の斬撃を受けた《ランド・スネーク》も同様だ。

 これは、一人と一匹の生存競争プライドバトル。両者共に、決して退くことはしない。


「ぅあ゙あ゙あ゙ぁぁぁ!!!」

『ギィァ――――!!!』


 舞い散る汗と血潮の果て。

 先に限界が来たのは、リュートでも、《ランド・スネーク》でもなかった。

 ――ガキィン……。


「…………っ!?」


 リュートの

 刀身の中腹から上が鉄屑となり、消失した。

 それを見た瞬間、《ランド・スネーク》は最後の力を振り絞って、リュートの頭部へと噛み付かんと動いた。


 死のイメージが脳内を支配する。

 このまま無抵抗で《ランド・スネーク》の牙で頭を砕かれ脳漿を撒き散らして死ぬ――そんな光景が、鮮明に浮かんでしまう。

 差し迫る死の気配に、リュートは――


「まだだァァァ!!!」


《ランド・スネーク》の上顎に折れた剣を突き立て、下顎を右足で踏みつける。左口角を斬り裂かれている事で、《ランド・スネーク》の咬合力が落ちていたこともあり、二つの力は拮抗を見せた。


「ッ、ぁぁあぁぁ!!!」


 突き立てた剣を、押し進めて上顎に一条の斬傷を刻み込む。

《ランド・スネーク》の上顎から流れ出る血液が、リュートの頭から汚し、下顎に泉のように溜まっていく。


「ぅあ゙あ゙あ゙ッ!!!」


 剣を上顎から抜き、右の口角を斬り裂く。

 上顎と下顎を繋げていた最後の筋が切り離された。


『ッッッ――!?』


 そこからは一瞬だった。

 リュートは万力を振り絞り、折れた刃で最後の連撃を繰り出した。

 口腔内をズタズタに引き裂きながら、自分を絡め取ろうとする舌を斬り落とし、目にも止まらぬ速さで。


『――――――』

「はぁはぁ…………」


 リュートの体力が尽きた。

 それと同時に、《ランド・スネーク》はその巨躯を大きくぐらつかせながら、砂の上に倒れ、その肉体を黒い灰へと変えていった。


「…………終わった」


 リュートは完全に灰となって消えた《ランド・スネーク》を見て、極度の緊張状態から解放されたことによって体から力が抜けて、その場に仰向けで倒れた。

 肩で荒く呼吸をしながら、リュートは懐から箱型の機械を取り出した。


「げっ……情報端末デバイスが壊れてる…………」


 その機械は地形を記録するなどの際に使用されるものだ。それが、先ほどの戦闘によって砂塵や多量に浴びた血液によって故障してしまっていた。

 ため息を吐きながら、リュートは情報端末デバイスを懐へと戻し、自身の隣に落ちた《ランド・スネークの牙》を見た。


「…………帰ろ」

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