You are you

 研究所の外ではスプリンクラーが回っていて、庭園の芝に水をやっている。それを窓越しに眺めながら、私はコーヒーを飲んでいた。卓上の時計を見ると、そろそろ午後の3時頃。あの子、どうしてるかな。


 私はコーヒーを一息に飲み干してマグカップを机に置くと、机の上に置いてあった小さな袋を白衣のポケットに入れて部屋を出た。


 すれ違う研究員に目礼を送りながら、その区画へと向かう。


 やがて分厚い機械的な隔壁が現れた。私は首から下げたカードをかざし、プラスチックの板に手を押し当て、顔の高さにある黒いパネルを覗き込む。掌紋と虹彩の認証がクリアされ、隔壁がゆっくりと開いた。


 その先にはドアが幾つも並んだ長い廊下があった。私はその廊下の突き当りまで行くと、『LOST NUMBER 002』と書かれたプレートの付いたドアに近づき、リーダーにカードを通した。一応、ノックする。


「だれ」


「私。サヤ」


「待って。今開ける」


 がちゃりとノブが回る音がして、濃いグレーの髪の女の子が顔を覗かせた。


「入ってもいい?」


 こくり、と頷く。


 部屋はお世辞にも広いとは言えない。ドアの向かい側にはめ殺し窓、その右の壁にベッド、左の壁に机。入り口ドアの横にはトイレのドア。浴場は共同になっている。部屋には本当に最小限の設備しかない。


「リノ、本読んでたの?」


「うん」


「ごめんね、邪魔しちゃった?」


「ううん。サヤが来てくれたから、いい」


 整った顔立ちのリノ。濃いグレーの髪は肩の長さでざくざくと乱暴に切られたようになっている。


「私なんかのとこに来て、また怒られるんじゃないの?」


「そんなことリノが気しなくていいの。あと、怒られたとしてもリノが悪いわけじゃないんだし」


 リノはベッドに座った。上下白の手術衣を思わせる服装。ここの子ども達は皆これを着ている。


 この研究所では俗に言うところの超能力、私達のいうところでは『意識媒介能力』を意図的に子どもに発現させる研究をしていた。その非人道性から、ここでの研究内容や研究所の詳細は公にされていない。もちろんここにいる子どもたちのことも。


 ここの子どもたちに親はいない。いや、厳密に言えば遺伝学的な親はいる。ここの子たちは全員が能力を先天的に持つように調整されたデザイナーベイビーなのだ。だがその技術はまだ完全なものではない。ゆえに一定の割合で能力が発現しないか、基準を満たさない『失敗作』と断じられる子が生まれる。それがロストナンバー。眼の前にいるリノもその一人だ。


 リノがベッドに座ったので、私は向かいの机に座る。読みかけの本。若くして世を去ったSF作家の事実上の遺作。優しさで人を殺すディストピアの話。


「私もこの小説読んだことあるよ」


「そうなの?でも読みかけだから先は言わないで」


「わかってるって」


 必死な様子のリノに笑いが漏れる。


「ねえ、リノ」


「なに」


「今日さ、誕生日でしょ」


「誕生日。製造日じゃなくて?」


「誕生日でいいんだよ、そこは。だから、はいこれ」


 白衣のポケットを探り、研究室から持ってきた袋を出す。


「クッキー焼いてきたんだ。16歳、おめでとう」


 プレゼントもケーキも、ここでは用意できない。でも、だからせめて、このくらいはしてあげたかった。あなたは確かに造られた存在かも知れないけど、命の始まった日は祝うべきものなんだ。


「あ、え、え、と」


 袋を受け取ったリノが言葉に詰まっている。たぶん、感情をどう表現していいかわからないのだろう。歳の割に感情表現が不得手なのは、やはりその生育環境ゆえだ。


「ありがとう?」


「うん、いいんだよ、それで」


 だから私が教えてあげる。


「ありがとう」


「うん、どういたしまして」


 リノは袋を脇に置くと、私の方に歩み寄って来て、そのまま抱き付いた。椅子に座ったままだと抱き返しづらいから、立ち上がって思いっきりハグする。


「サヤ、いい匂いがする」


「そう?」


「うん、いい匂い。胸のところがぎゅってなる」


「ハグ、苦しくない?」


「苦しくない。サヤ、柔らかくて気持ちいい」


 リノの身体はとても細くて、でもちゃんと柔らかくて、安心した。


 私はどうしてリノにこんな気持ちを抱いているのだろう。本来なら研究者と研究対象、大人と子ども、保護者と保護対象。そういう間柄のはずなのに。


 なぜかリノのことが、たまらなく愛おしかった。失敗作とかロストナンバーとか、そんなこと、今この瞬間の私にとってはどうでも良かった。


「リノ、あなたはあなたなんだよ」


「なにそれ。なぞなぞ?」


「そうじゃない。あなたは私にとって大事な存在だってこと」


「ロストナンバーなのに?」


「それでも、だよ」


「サヤは変わってるね」


「それでもいいよ」


 私達は抱き合いながらそんな会話を交わす。私はリノの頭を撫でながら、今度ちゃんときれいに髪を切ってあげようかな、なんて思っていた。


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Colorless Flowers amada @aozaki

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