第三章 国は変われる。人も変われる。
いざ、クラルス王国へ
──あれから、三週間ほどが経過した。
おし葉標本も既に出来上がり、一つ一つ丁寧に台紙へと貼り付け、日が当たらないところで大切に保管している。花束の残りはもう枯れてしまったが、このおし葉標本は枯れることがない。毎日見返しては、花束をもらった日のことを思い出している。エルの大切な宝物だ。
そして、今。エルはユリウス、アルベルトと共にクラルス王国が用意した馬車に乗っていた。ユリウスが言っていた「チャンス」を与えに行くために。
馬車の揺れに合わせて、金属同士が擦れる音がする。これは、エルのみが身に着けているプレートアーマーが出している音だ。隣に座っているユリウスが耳付近へ顔を近づけてくる。
「そのような格好をさせてすまない。辛くはないか?」
「大丈夫です。クラルスで身に着けていたアーマーより軽いので驚きました」
そうか、とユリウスはホッとした様子で離れる。エルがこのような格好をしているにはもちろん理由があった。
クラルス王国に手を差し伸べる価値はあるのか。それを確認するための会談を取り付けようとユリウスが調整に入ったところ、第一声が「エルはどうしたのか」だったそうだ。
訊いてきたのはエルの父親であり、クラルス王国の国王。だが、その声は娘を案じるものではなく、言葉そのままの意味で好奇心に近かったと、ユリウスは言っていた。
『どう思っているのか俺も気になってな。貴殿の想像したとおりでいいと答えたんだ。そうしたら、なんて返ってきたと思う? しっかりと戦乙女として始末を付けてくれたのですなあ、だと。殺すぞ、あの豚』
宣戦布告後に宰相である息子に怒られ、なかったことにできないかと考えていたときに入ってきた報告。さすがは戦乙女だと思ったなどと、訊いてもいないことまで話してくれたよ、とユリウスは低めの声で話してくれた。
だからこそ、父親はユリウスから「想像したとおりでいい」と言われ喜んだ。エル自らが差し出したその身が役に立ったのだと。
そもそもお前が招いた不始末だろう、とペンを片手でへし折り、青筋を浮かべていたユリウスの顔は思い出しただけで身体が震える。
(父上は、わたしが処刑されたと思っている。だから、こうして護衛のふりをして同行するしかなかった)
処刑については、誰しもが考えること。とはいえ、死を悼むことがなかった事実に、悲しくないと言えば嘘になる。どこまでも道具なのだと。
視界の端に、懐かしい景色が映る。外を見ると、数え切れないほど馬に乗って駆け抜けた地が広がっていた。もう少し先には大きな門があり、そこをくぐればクラルス王国。城では、両親やレオンハルトがユリウスの到着を今か今かと待ち望んでいることだろう。
(互いにとっていい話がしたい、と持ち掛けたそうだけど……)
返答次第では、クラルス王国はアウレア王国によって滅ばされると言うのに。エルは静かに目を瞑った。
* * *
──痩せ細っている。
クラルス王国へ入って、エルが抱いた感想だ。
目はくぼみ、頬が痩けている。手足は折れてしまうのではないかと思うほどに細い。服は汚れ、破れたものを縫って着ている状態。
畑は荒れ、動物達の数も減っている。店は閉まっているところはほとんどで、物資の供給が進んでいないことが一目見てわかった。街全体に活気はなく、エルがいたあの頃から何も変わっていないどころか、悪化していることに胸がズキズキと痛む。
それなのに──。
「お待ちしておりました、ユリウス王、アルベルト様」
城の外で出迎えてくれた両親やレオンハルトは、エルがいたあの頃から何一つ変わらない姿だった。思わず奥歯を噛み締める。
(……どうして、この人達は)
ユリウス達は軽く挨拶を交わすと、城内へと入っていく。その後ろをエルもついていった。
歩き慣れた廊下、見慣れた装飾品。それなのに、気分が落ち着かない。アウレア王国に慣れたからなのか、それとも、ここはもう自分の居場所ではないと思っているのか。ここは確かにエルがいた場所なのに、不思議と他国へ来訪しているような気分だった。
応接室へと案内され、ユリウスとアルベルトは椅子に腰掛ける。エルは護衛騎士という名目でここにいるため、ユリウスの傍で立っていた。
「いやあ、突然ご連絡をいただいたときには驚きましたよ」
エルの父親が、笑顔を浮かべながら話す。それに対し、ユリウスは黙って口角を少し上げた。目は暗く冷たいまま、笑ってはいないが。
「私があのような失礼をしてしまい、もうお話できる機会は失われてしまったかと思っておりましたが……これもすべて、戦乙女のおかげですなあ」
ははは、と笑い声を上げた父親に、口角を上げたままユリウスの手が拳を作る。それを見たアルベルトが肘で彼を小突いていた。
ユリウスが怒るのも当然だ。我が親ながら呆れてしまう。何を呑気に笑っているのか。宣戦布告をなかったことにしてくれたのだから、ユリウスへ謝罪と礼を述べるのが先だ。
すると、これまで一言も発さなかったレオンハルトが口を開いた。
「我が王が馬鹿げたことをしてしまい、申し訳ございませんでした。ユリウス王の寛大なお心に感謝いたします」
「あ、ああ、そうだ、そうだな。その節は本当に申し訳ございません。不問にしていただいたことに感謝します」
「申し訳ございませんでした」
レオンハルトに続く形で、父と母が謝罪の言葉を述べ頭を下げる。その様子を、ユリウスとアルベルトはくだらないものを見ているかのような目で見ていた。頭を上げるようにと、声をかけることもしない。両親とレオンハルトは、その言葉がなければこの状態を維持するほかなく、屈辱的に感じていることだろう。
ここからどうするのだろうかと思っていると、ようやくアルベルトが口を開いた。
「我々は、その馬鹿げたことなんてどうでもいいと思っているんですよ。あ、頭上げてくださいね」
忘れてましたと言わんばかりの、わざとらしい朗らかな声。こういうところで煽るのがアルベルトらしい。
レオンハルトがぴくりと反応を示すも特に言葉を発することはなく、三人は言葉に従い頭を上げた。その表情は、少しばかり苛立っているようにも見える。
「クラルス王国は、ほとんどの戦争で勝利を掴んでいる。いろんな資源を奪い取ってきているはずだ。それでも、我が国へ宣戦布告だなんて……要は、お困りなんですよね?」
「ええ、仰るとおりです。ここへ来られる際に見られたかと思われますが、民達の生活は困窮しており、苦しんでいます」
苦渋の表情を浮かべて話すレオンハルトに、ユリウスが鼻で笑い飛ばす。
「貴殿達はそうは見えないが」
「それはもちろんですよ。王族が見窄らしいなどありえませんからな。資源は王族が優先です」
「宰相殿も同じ意見かな?」
「……はい」
ユリウスは大きく溜息を吐き、背もたれに背を預けた。腕を組み、足を組み、傲岸不遜な態度を取る。
赤い瞳は三人を捉えるも、細められたそれは鋭い上に暗く冷たい。相手を萎縮させるには十分だ。
「アルベルトが言っていたとおり、お困りなのかと思いましてね。資源を提供する意思があったのですが」
「そっ、それは本当ですか!?」
食いついたのは父親だった。レオンハルトは警戒心を強めているようで、鋭い眼差しでユリウスを睨み付けている。
「しかし、今の状況では到底無理だと判断しました。貴殿達がせしめるのが目に見えている」
「い、いいえいいえ、そんなことはしませんよ! きちんと民にも」
「資源は王族が優先だと、貴殿が仰っていたではありませんか」
言質を取られているため、父親は反論できずに口を噤んだ。が、ここで諦める男ではない。どうすればいい、と訴えるかのように隣にいるレオンハルトに視線を送り始めた。
──すごい。エルは素直にそう思った。
ここまで、ユリウスとアルベルトが想定していたとおりだからだ。
エルから話を聞いた二人は、単純に支援や交易を持ち掛けるのはよくないと判断していた。とある条件を持ち掛け、交渉の余地を与えるのがベストだと。そのとある条件を突きつけるために、どうすれば追い詰められるかを考えていた。
(突きつけるなら、今)
それはユリウスも思っていたようで、彼は挑発的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「宰相殿。貴殿が王となり、クラルス王国の在り方を変えるというのなら、交渉の場を設けよう」
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