ユリウスの妻となる者

「そっ、それは、私に退位しろと!?」

「ええ、そうですよ。クラルス王国の離れに別荘でも構え、そこでのんびりと過ごされてはいかがかな?」


 顔を真っ赤にし、わなわなと身体を震わせながら自分はどれだけ国のことを考えてきたかを語る父親に、エルは目を伏せた。

 もう、見ているのが辛い。よくもそこまで自分のことをいいように言えるものだと。


「落ち着いてください、父上。……ユリウス王、お言葉はありがたいですが、私が王になるなど烏滸がましいです。そのような器ではないのですよ」

「そ、そうだ。まだレオンハルトには早い。私がこの国の王でなければ」

「ええ、そうです。まだまだ父上には王でいてもらわなければ」


 そう言うとレオンハルトは立ち上がり、後ろにあったティーワゴンから銀のトレーを持ってきた。そのトレーの上には、ティーポット、ティーカップ、角砂糖が入ったシュガーポットが置かれている。

 あれは、とエルは息を呑んだ。


「話に夢中になり、出すのが遅くなってしまいました。申し訳ございません。ここで、ティータイムを挟みませんか? お互い、落ち着きましょう」


 慣れた手つきで紅茶を注いでいく。注ぎ終えると、角砂糖を一つずつ入れ、ティースプーンで混ぜ始めた。

 エルは、レオンハルトが淹れた紅茶で意識を失い、気が付けばアウレア王国へと運ばれていた。何に薬が仕込まれていたのかはわからない。紅茶なのか、角砂糖なのか。

 けれど、これはあのときと同じ流れだ。何の目的があるのかはわからないが、あの紅茶を口にしないほうがいい。

 ユリウスとアルベルトの前に紅茶が置かれる。両親とレオンハルト自身の前にも置くと、彼は席に座った。


「さあ、どうぞ。茶葉にはこだわりがありましてね、良いものを用意しています」


 ドクン、ドクンと心臓の音だけが聞こえてくる。ユリウスが何かを言っているが、エルの耳には入ってこない。

 ティーカップのハンドルに彼の指が添えられたとき、無意識に剣に触れていた。持ち上げられようとしたその瞬間──。


「その紅茶を、飲まないで!」


 言葉を発すると同時に剣を引き抜いた。ユリウスが指を添えていたハンドルとティーカップを切り離そうと、その間に剣を振り下ろす。

 パキン、という音と共にそれは離れ、ソーサーの上にティーカップのみが落ちた。持ち上げようとしていたところだったためか、高さはそこまでなく、紅茶は一滴もこぼれていない。アルベルトもティーカップを持ち上げてはいたものの、隣で起きた出来事に目を見開いて固まっていたため、口にはしていなかった。

 部屋にいたクラルス王国側の兵士達が剣を抜き、エルに切っ先を向ける。騒ぎを聞きつけた兵士達もやってくると、向けられる切っ先の数が更に増えた。

 そんな中、何が起きたのかと両親は口を開けてぽかんとしている。レオンハルトだけが立ち上がり、エルを睨み付けてきた。


「今の声は……いや、それよりも、いくら護衛騎士とはいえ、これは無礼ではありませんか?」

「無礼? 無礼なのはそちらでしょう。ユリウスやアルに、何を飲ませようとしたのですか」

「やはり、その声……エルか? 生きていたのか?」


 レオンハルトが呟いた名に、両親は慌てふためいた様子で顔を見合わす。兵士達からも戸惑うような声が漏れた。

 もう、顔を隠している意味もない。被っていたヘルムを取ると、髪の毛を整えるかのように軽く首を横に振り、エルは素顔でレオンハルトと向き合った。

 エル王女だ、生きておられた──そんな声が兵士達から聞こえる中、机の上に両手を強く叩き付けながら父親が立ち上がる。


「な、なな、何がどうなっている! エル、お前は死んだのではなかったのか!」

「そんなことは一言も言っていない。それよりも、エル。この紅茶には何か入れられていたのか?」


 ユリウスに視線を向けると、彼はティーカップを手に持ち、匂いを嗅いだり、まじまじと眺めていた。


「確証はありません。ですが、わたしは兄上から出された紅茶を飲んで意識を失い、その状態のままアウレア王国へ運ばれました」

「なるほど、では口をつけるべきではないな」

「何それ怖い……俺達を眠らせて、殺そう的な?」

「適当なことを言うな! レオンハルトがそのようなことをするはずがないだろう! そもそも、お前は自分でアウレア王国にその身を」

「それも、そこにいる宰相殿が考えたシナリオだが?」


 馬鹿正直に信じていたのか、と嘲笑うユリウスに、父親は怒りで顔を真っ赤にしながら隣にいるレオンハルトの両肩を掴んだ。


「レオンハルト! これはどういうことだ!」

「父上、ユリウス王に騙されてはいけませんよ。僕がそんなことをすると思いますか?」

「そう、そうだよな。レオンハルトがそのようなことをするはずがないんだ!」

「ならば、その身で息子の無実を証明するといい」


 ユリウスは自身の前にあった紅茶をソーサーごと動かし、父親の前へ置いた。さあ、と笑顔で促せば、頭に血が上っているため間髪入れずにティーカップを手に持ち、口元へと持っていく。

 隣でレオンハルトが「挑発に乗らなくてもいい」と声をかけているが、何一つ届いてはいないようだ。父親はティーカップを傾け、一気に流し込む。

 飲み終えるとソーサーの上に乱暴にティーカップを置き、口元を拭うと威張った顔でユリウスを見た。


「どうだ! 何ともな……は、はれ……?」


 ぐるん、と白目を剥いたかと思うと、そのまま後ろに倒れてしまった。エルですら一口で意識を失ったのだ。それを一気に飲むとは──考えただけでも恐ろしい。

 しかし、これで薬が盛られていたことが明白になった。大方、ユリウスとアルベルトを眠らせて、命を奪うつもりだったのだろう。そして、そのあとはアウレア王国を──。

 母親の叫び声が響き渡る中、レオンハルトは呆れた顔で床に倒れた父親を見下ろしている。兵士達はどうすればいいのかがわからず、剣を下ろして様子を窺っていた。


「……黙って飲んで眠っていれば、次に目が覚めたときには天国だったっていうのに」


 レオンハルトは父親を見ながらそう呟くと、壁に掛けられた剣を手に取り、振り向きざまに勢いよく机が蹴られた。ユリウスとアルベルトを机と椅子で挟み、身動きが取れないようにするつもりなのだろう。エルは左足で机の動きを止めるも、そうすると読んでいたレオンハルトが飛び乗り、こちらに迫り来る。

 エルはすぐにユリウスの前に立ち、今度は机を蹴り飛ばした。だが、レオンハルトもただでは転ばない。バランスを崩しかけるも前に飛び、エルに向けて勢いよく剣を振り下ろしてきた。

 あまりにも大振りな攻撃。受け止めることは容易だ。が、ここはそうすべきではない。

 レオンハルトの動きを見ながら後ろにいるユリウスの腕に触れ、タイミングを合わせて共にその攻撃を避けた。着地に失敗し体勢が崩れたレオンハルトの手を蹴り飛ばして剣を取り上げると、肩を足で押して地面に押さえつけた。


「戦闘慣れしていないのが裏目に出ましたね」

「ふん、僕は裏方が得意でね。なのに、めちゃくちゃにしやがって」

「裏方が得意? 違う、兄上はただ楽な道を選んでいるだけです」

「うるさい! おい、お前達も何を呆けている! アウレアの者どもを殺せ!」


 レオンハルトの命令に、兵士達も動き出す。剣を構えると、ユリウスとアルベルトへ殺気を向け、命令どおり殺しにかかる。


「ユリウス王、お覚悟!」


 後ろから聞こえた声に振り向けば、ユリウスに剣が振り下ろされようとしていた。エルはその剣を左手で持つ剣で弾くと、レオンハルトから奪った剣で右肩を覆うアーマーの隙間に突き刺す。


「ぐ……! さ、先程からおかしいとは思っていましたが、ご乱心召されたか、エル王女……!」


 エルは兵士から剣を引き抜き、血を払うようにして振り払った。

 正気は失っていない。今までも、そして今も。ずっと正気を保っている。

 現に、心が痛む。彼らは、数多の戦場を共に駆け抜けた、味方だった者達だからだ。

 ──されど、今はユリウスを、アルベルトを殺そうとする敵。

 すう、とエルは小さく息を吸うと、口を開いた。


「わたしは、クラルス王国第一王女、エル・リーゼロッテ・クラルス。貴方達と共に戦ってきた、クラルスの戦乙女だった者。ですが、今は」


 エルは二刀を構え、兵士達を見据える。


「ユリウス・ジークヴァルト・アウレアの妻となる者。彼を傷つける者は、誰であろうと容赦はしない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る