貴方のことを、好きになりたい
思い出すだけで胸が痛む。それでも必死に思い出し──エルは顔を上げた。
これは、悲しみだ。エルが誰の名を呼ぼうが、誰と話そうが。エル自身が好きになろうとしているのはユリウスだというのに、それをわかってもらえていなかったことが悲しかったのだ。
以前、ユリウスに「好きという感情を教えてほしい」と言ったことがある。このようなこと、アルベルトやフェリクスには言ったことがない。ただ、ユリウスだけにそう言ったのだ。
好きになってもらうと言った彼のことを、好きになるために。
エルは顔を上げ、涙を拭う。隣に座っていたアルベルトがそれに気付き、話しかけてきた。
「……答えは出た?」
「はい。わたしは、悲しかったのです。ユリウスのことを好きになろうとしているのに、わかってもらえていなかったことが」
「好きになろうと、ねえ。それって、兄様に言われたから?」
それはそのとおりだ。頷くとアルベルトがにやりと口角を上げ、エルの髪の毛を一房手に取った。
「じゃあ、俺がそういえば好きになってくれるってこと?」
「え?」
「俺なら束縛したりしないよ? 自由に他の男と話していいし、名前だって呼んでいい。俺のところへ戻ってきてくれればそれでいいからさ。ね、俺のこと好きになりなよ」
アルベルトの言葉に、エルは視線だけを扉に向けた。あれだけ叩き続けていたのに、今はもう諦めたのか静かだ。ユリウスが去ったのかはわからないが。
そのユリウスは、今はまだ良い方だが、目も合わせられない上に嫉妬と束縛が激しい。アルベルトであれば、その辺りは寛容で今回のような出来事も起きないだろう。
でも、とエルはこれまでユリウスと過ごしてきた日々を思い出す。
どこまでもついてきたりと気持ちの悪いこともある。王だと言うのに自ら毒味役を買って出る理解できないこともある。
(どれも似合うからと服を買いすぎたり、ユリウス以外の人からの贈り物を嫌がったり、まだまだあるけれど)
けれど、思い返してもすべてエルを想っての行動ばかり。
自惚れているのかもしれないが、本当に愛されているのだろうと、思ってしまうほど。
「ありがとうございます、アル。ですが、わたしは……好きになるのなら、ユリウスがいいです」
「え……」
「あの、何か?」
目を丸くしてこちらを見るアルベルトに首を傾げるも、彼は「ううん」と首を横に振った。
「なんでもない。じゃ、机を元に戻すよ。兄様、扉の前で座り込んでると思う」
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いいもの見せてもらったし、それでチャラだよ」
二人で机を元の位置に戻すと、エルは扉の鍵に触れる。
今、ユリウスはどのような顔をしているのだろうか。あの光のない瞳は、もう見たくない。そう思いつつ解錠すると、その音で扉が開くようになったことに気が付いたのか。エルが開ける前に扉が開かれた。
「あ……」
「エル!」
そこには、焦りを滲ませたユリウスが立っていた。こんな状況だというのに、目を合わせれば頬を赤く染めている。逸らそうとしては目を合わせてくる様子に、いつもの彼だと胸を撫で下ろしていると、エルの後ろから「兄様」と呼ぶ声が聞こえた。
振り向こうとしたが、すぐ後ろに立たれ、両肩を掴まれる。ユリウスの眉間に皺が寄せられた。
「アルベルト、エルには触れるなと」
「エルはね、好きになるなら兄様がいいんだって」
「……っ、アル!」
「大事にしなよ。じゃないと、俺がもらっちゃうかもね」
ほら、と身体を押され、ユリウスの胸へ飛び込む。受け止めてもらえるも彼の顔は見れず、突き飛ばしてきたアルベルトを見てしまう。彼はにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ねえ、兄様。俺、いいもの見ちゃった。エル、笑うとすごく可愛いんだよ」
「ま、ままま、待て、エル、笑った? アルベルト、見た?」
「こんな兄様初めて見たわ。……まあ、巻き込まれた俺へのご褒美みたいなもんでしょ」
あとはお二人でどうぞ、と扉が閉められ、廊下にはエルとユリウスだけになった。先程のこともあり、気まずい空気が流れる。
「と、とりあえず、書斎に行くか」
「……はい」
廊下を歩く二人の間に会話はない。だが、歩幅が合っていて、置いて行かれることも引っ張られて行くこともなかった。
たったそれだけのこと。それなのに、こんなにも安心する。
書斎につき、二人で中へ入る。今し方のように、引っ張られ引き込まれるようなことはない。
「エル」
ユリウスはエルと向き合うと、頭を下げた。
「すまなかった。我を忘れていたとは言え、獣のようなことを」
「……そうですね、少し怖かったです」
「本当にすまない。抑えなければとわかっていても、どうしても独占したいと思ってしまう。エルの、すべてを」
ゆっくりと頭を上げるも、顔が俯けられているためユリウスの表情は見えない。それでも、彼が苦渋の表情を浮かべているのは想像できた。
「俺自身も驚いているよ。こんなにも独占欲が強いとは。今だってそうだ。明らかに俺が悪いとわかっているにもかかわらず……アルベルトに嫉妬している」
「アルはわたしが巻き込んだだけなので、何も悪くはありません」
「わかっている。それでも、エルと同じ空間でいたことが耐えられない。何を話していた? 本当に何もされていないのか?」
必死に抑えているのだろう。声が微かに震えていた。その様子を見て、ユリウスの独占欲は底なしなのだろうと思った。
どのような言葉をかけても。この先、想いが通じ合うときが来たとしても。
彼は、エルが他の男性の名を呼ぶことや、話すことを許せず、今のように抑えようとするだろう。
そしてまた、何かがきっかけで限界を迎えるかもしれない。もう、今回のようなことはごめんだ。ならば──。
「これから、思ったことを教えていただけませんか? 訊かれたことはすべて答えます」
「……嫌ではないか、詮索されているようで」
エルは「いいえ」と首を横に振った。
これで、ユリウスが抑える独占欲などが少しでも解消されるのであれば。少しでも、安心できるのであれば。
「わたしは構いません。ちなみに、アルには何もされていませんよ。彼は、わたしが自分の気持ちと向き合うきっかけを作ってくれたのです」
「そうか。……それで?」
「向き合うことでわかりました。わたしのあの涙は……ユリウス自身に、わかってもらえていなかったことに対してのものだったと」
戸惑いがちに顔をこちらに向けられたかと思うと、赤い瞳が大きく開かれていた。
「ま、待て。泣いていたのは、あのキスが原因ではないのか?」
「キスされたことは嫌だと思っていません」
「そっ……それは、喜んでもいい、のか? それよりも、俺がわかっていないというのは何だ?」
「わたしは、ユリウスのことを好きになりたいのです。他の男性の名を呼んだとしても、話したとしても。この気持ちは変わりません」
「ん? い、いい、今、何と?」
腕を組み「え? え?」と宙を見上げては床を見ている。言葉の意味は理解しているが、処理が追いついていないというような感じだ。
「そういえば、アルベルトも言っていたな。奇妙なことを言うと思ったんだ。俺達は両想いだというのに」
「違います。まだです」
「嘘だ……」
ユリウスは口元を両手で押さえ、よろよろと崩れ落ちる。慌てて駆け寄ると、彼はカタカタと小刻みに震えていた。
よく口にはしていたが、まさか本当にそう思っていたとは。
「ユリウス、その……まだわたし達は両想いではありませんが、いつかはなれたらいいなと思っていますから」
「……っ、エル、今」
ユリウスは上半身を起こし、エルの顔を見つめる。顔を赤く染めつつも、目を逸らさず真っ直ぐに。
「笑っていた。とても、綺麗だった」
「そういえば、アルも言っていましたね。自分では、わからないのですが」
「……アルベルトが先だと言うのが納得がいかないな。時を巻き戻してやり直したい」
もう限界だと目を逸らし、ユリウスは息を整える。ふう、と息を吐き出すと、横目でエルを見た。
「また、見せてほしい。できれば、俺だけに」
欲張りだ。そう思いつつも、今度はエル自身も口角が上がったのがわかった。
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