抑えきれない独占欲と、涙
フェリクスは護衛の兵士達と共に船に乗り込み、エルとユリウスを振り返った。
「では、また来月かな?」
「ああ。そのときは、エルと二人きりなどにはしないからな。金輪際。絶対に」
「何もしないのに」
汽笛が鳴り、リートレ王国へと進み始める船。甲板から笑顔で手を振るフェリクスに、エルは静かに手を振り返す。
彼から聞いた話は、当然だが知らないことばかりだった。噂は所詮噂でしかないのだと思い知った。
何より──ユリウスのことを知っているようで、まったく知らなかったのだと、実感した。
振っていた手を下ろし、見えなくなりつつある船を見つめる。
(……もっと、知りたい)
この熱があるうちに。
そのとき、右手が強く握られた。どうしたのかとユリウスを見れば、彼はエルを見ることなく背を向けて歩き出す。
「ユリウス? どうされたのですか?」
呼びかけても、彼は振り向くことも返事をすることもない。
歩幅が大きく、歩く速さもいつもとは違うため、自然と引っ張られる形になる。足がもつれそうになるも、エルを気にかける素振りもない。
ここで、ようやく気が付いた。普段、ユリウスは歩幅を合わせて歩いてくれていたのだと。
でも、今はこんなにも歩幅が揃わない。ユリウスの背を見つめるも、何も感じ取ることができない。怒っているのかすらも。
城へ着くと兵士や使用人が頭を下げるが、ユリウスは特に反応を見せることなく廊下を歩いて行く。どこへ向かって歩いているのかと思っていると、書斎の扉の前で歩みを止め、扉を開けた。
ユリウスが書斎へ入ると、これまで振り返ることすらしなかった彼がエルへ鋭い一瞥を投げる。
思わず後ろへ下がろうとするも、繋がれている手を強く引っ張られ、引き込まれるようにして書斎へ。扉が閉められると同時に今度は突き放すように肩を押され、背中が当たった。小さな痛みに、一瞬目を瞑る。
「……っ、ユリウス、何を」
その一瞬でエルの顔の横あたりにそれぞれ手がつけられ、身動きを取ることができなくなってしまった。
ユリウスは顔を俯けており、髪が邪魔でその表情が見えない。
「エルの時間を二千八百二十秒もフェリクスにやってしまった。一秒たりとも誰にもやりたくないのに。俺がエルと過ごすはずだった二千八百二十秒。もう、この時間は戻ってこない。取り戻せない」
このようなユリウスの低語は初めて聞いた。いつもとは違う様子に緊張感が漂う。
「……フェリクス王と話していたのは貴方のことです、ユリウス」
「俺のことなど、俺に聞けばいい」
「フェリクス王は、友人として貴方のことを」
「他の男の名を呼ぶのはやめろ。耳障りだ」
距離を詰めるかのようにユリウスは一歩踏み出し、その足をエルの足の間に割り込ませる。そして、エルの顔を両手で包み込み、有無を言わさずに見上げさせた。
──いつもなら顔を赤く染めて目を逸らそうとするはずなのに、光のない赤い瞳がエルを映している。
「本当なら閉じ込めておきたいのを我慢している。エルのその瞳に映るのは俺だけであってほしいという気持ちも、エルの唇から紡がれるのは俺の名だけであってほしいという気持ちも。すべて……すべてすべてすべて我慢して」
「……ユリウス、わたしの話を」
「何故かわかるか? そんなことをしても、エルの心は手に入らないだろう? 俺が嫌になるだろう?」
我慢するしかないとわかっているのに、と声を絞り出し、その表情を歪める。
「他の男の名をエルから聞くだけで。他の男とエルが話しているのを見るだけで。俺は、狂いそうになる」
「他の男……アルは貴方の弟で、フェリクス王は貴方のご友人ですよね? そのような言い方」
「それがなんだ? 俺以外は他の男だ。それに……また、俺以外の男の名を口にした」
顔を包み込まれたまま、親指で唇をなぞられる。
す、とユリウスの目が細められた。
「閉じてやろう、その口を」
唇が押しつけられる。すぐにねとりとしたものが唇に当てられ、エルは強く目を瞑った。それは閉じている唇をこじ開けるように無理矢理ねじ込まれていく。口の中を好き勝手に暴れ、息をすることすらできない。
何とかユリウスの身体を引き離そうと彼の胸元に手を当てて押すも、力では敵わず。
ほんの少し唇が離れたかと思えば、角度を変えてまた唇が押しつけられる。まるで、貪られているようだ。
(どうして、こんなこと。ユリウス、わたしは貴方を──)
胸が締め付けられる。
どうして、何故。正体がわからない感情が込み上げ、エルは目を瞑り力を更に強くしたとき──ユリウスが勢いよく離れた。
満足に息ができていなかったエルは肩で息をしながら向き合う。ユリウスは目を大きく見開き、小刻みに震えていた。
「す、すまない。お、俺は、感情に任せて、何を」
大丈夫か、とエルを心配する声をかけながら近付いてこようとするも、無意識に両手で彼の身体を押しのけていた。
「エル……」
「来ないで、ください」
視界は滲み、あたたかい何かがエルの頬をいくつも伝っていく。
これは、涙だ。もう、涙を流すことなどないと思っていた。けれど、胸が締め付けられたかと思うと感情が込み上げ──気が付けば、泣いていた。
(……涙が、止まらない。わからない、何故)
鼓動は速く、息はいつまで経っても落ち着かない。
「エル」
「もう、ユリウスなんて知りません」
扉を開け、エルは廊下へ飛び出した。後ろからユリウスがエルの名を呼んでいるが、振り向くことなく走る。
涙は拭っても拭っても流れてくる。それでも拭いながら走り、とある部屋へと飛び込んだ。
「エル!? って、泣いてる!? 何で!?」
突然入ってきたエルに驚くアルベルト。ノックもせずに入ったのは申し訳なかった。
しかし、今は説明している暇はない。施錠してすぐ、追いかけてきたユリウスが扉を強く叩いた。エルは慌ててベッドの陰に隠れる。
「エル! すまない、そんなつもりではなかったんだ!」
「今度は兄様!? 何、何があったの!?」
「アルベルト、エルには何もするなよ触れるなよ!」
「何で俺怒られてんの!?」
こっちは巻き込まれてるんだよ、と言うも、今のユリウスには届かない。エルの名を呼びながら扉を叩き続けている。
このままでは扉がぶち破られると思ったのか、アルベルトが机を引き摺ってバリケードを作った。パンパン、と両手を払うと、エルを振り向く。
「はあ……いきなり飛び込んできたかと思えば泣いてるし、兄様はエルの名を呼んで扉を叩き続けるし」
「す、すみません。巻き込んでしまって」
「いいよ、別に。それで、何があったの?」
「……キス、されて……逃げて、きました」
他にも、言われたことを話した。最初はふんふんと聞いていたアルベルトだが、その表情は徐々にげんなりしていく。
「我が兄ながら重たいなあ。なんとなくわかってはいたけどさ」
それよりも、とアルベルトは自身の袖でエルの涙を拭った。
「キスされて泣いて逃げてきたってことは嫌だったってこと?」
「わからないんです。自分でも、泣いている理由がわからなくて」
「エル、涙は理由もなしに流れないよ。兄様はしばらく扉の外でいさせるから、自分の気持ちと向き合ってみたら?」
小さく頷くとエルは膝を抱え、そこに顔を埋めた。
アルベルトの言うとおり、キスされたことが嫌で泣いているのだろうか。
──違う。かなり強引だとは思ったが、不思議なことにキスされたことを嫌だとは思っていない。
されど、胸が締め付けられ、名がわからない感情が込み上げてきた。気が付けば、涙が止め処なく溢れている状態。
(あのとき、わたしは何を思っていたの?)
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