第二章 交易と、嫉妬
リートレ王国と交易
世界から争いがなくなるのなら、それが一番だ。兵士達は、家族を残して戦地へ向かわなくてもいい。
何より、手を汚さなくてもいい。泣き叫ぶ人達から何も奪わなくてもいい。
だが、そんなことが果たしてできるのだろうか。
まず、大前提として──この世界は、平等ではない。土地、気候、国が置かれている環境に左右されてしまう。
争いをなくすということは、それらを解決しなければならない。
机に向かって大量の報告書に目を通すユリウスを見る。彼はエルが見ていることに気が付いていないのか、トン、と判子を押すと次の報告書を手に取った。
そもそも、アウレア王国が世界で一番の軍事力を誇り、周りの国々から恐れられている存在だ。世界から争いをなくすとなれば、この軍事力を捨てることになるはず。
(そうすると、そこを突いてくる国が必ず現れる。……きっと、クラルスも)
争い、奪う世界。どの国も軍事力だけは捨てられない。捨ててしまえば、それこそ侵略され、奪われてしまう。
「エル、視線が痛い。いや、見てくれているのは嬉しいが、や、やはり、心臓は正直でな、恐ろしいほど高鳴り、苦しい」
「すみません」
「あ、慣れてはきているぞ。今は二十秒ほど耐えることができた」
この調子だ、と口角を上げながら判子を押し、また別の報告書に目を通すユリウス。
「気にしているのは、俺が先日言ったことだろう。ちょうど参考になりそうな国が明日やってくる。エルもきっと驚くぞ」
──そして翌日。ユリウスの言葉通り、とある国がアウレア王国へやってきた。
その国の名は、リートレ王国。四方を海に囲まれた、大陸からは離れている小さな島国だ。
「久しぶりだね、ユリウス」
「ああ、久しぶりだな、フェリクス」
やってきたのは、リートレ王国の国王とその護衛の兵士数人。
海のようなマリンブルーの髪に、日に焼けて小麦色になった肌。他国へ来た割には、随分とラフな格好をしている。どのような人物なのだろうと見ていると、ターコイズブルーの瞳がエルに向けられた。
「こちらの女性は?」
「俺の妻だ」
「まだです。申し遅れました。わたしは、エル・リーゼロッテ・クラルスと申します」
背筋は伸ばしたまま、片方の足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。カーテシー自体は幼少期に学んでいたが、こうして実際にするのは初めてだ。
「私はフェリクス・ルードルフ・リートレ。そうか、君がクラルスの戦乙女か。確か、自らその身をアウレアに差し出したと聞いているけれど」
「ふん、そんなシナリオになっているのか。実際は戦争回避のために売られてやってきた」
「なるほど、クラルス内部でもいろいろとありそうだ。にしても、妻にするなんてね」
君も大変だね、とフェリクスはエルに微笑んだ。そこに割り込むように、ユリウスがわざとらしく咳払いをした。
「時間が惜しい、行くぞ」
「ああ、そうだね」
談笑しながら廊下を歩き、ユリウスの書斎へと辿り着くとフェリクスの護衛は部屋の外で待機。三人だけで書斎へ入った。机を挟み、ユリウスとフェリクスがそれぞれソファーに座る。エルもユリウスの隣に腰掛けた。
(フェリクス王は、随分とユリウスを信用されているのね)
フェリクスは王であり、ここは他国。襲撃などに備えるため、護衛は部屋の外と中に分かれて王を護るものだ。
しかし、護衛の人数がそもそも少なかった。他国へやってきてまで、一体何の話をするのだろうか。
「今月もおかげさまで海産物は豊富だよ。天気が安定していてね、しばらくは大漁じゃないかな」
「それはありがたい話だ。民も海産物を楽しみにしている。こちらも穀物類は安定して収穫できているぞ」
「では、小麦と……野菜もほしいな」
二人にとっては、慣れた会話なのだろう。どれだけの量が必要か、納期はいつにするか、スムーズに話が進んでいく。わかっていないのは、エルだけだ。
とはいえ、二人の会話に割り込む勇気もなく。静かに口を噤んでいると、フェリクスの視線がこちらに向けられていることに気付いた。彼の方を振り向くと、にこりと微笑まれる。
「エル王女、これは交易と言ってね。リートレはもう何年もアウレアと交易を重ねているんだ」
「……フェリクス、それは俺がエルに言うつもりだったのだが」
「おや、これはこれは申し訳ないことを。エル王女が我々のやりとりに戸惑っていたから」
ねっ、と再び笑みが向けられ、エルは戸惑いがちに小さく頷いた。何故だろうか、隣にいるユリウスの圧がのし掛かる。
「リートレは、気候の関係で雨が降りにくくてね。いつも晴れてくれているのはありがたいのだけれど、作物が育ちにくい場所なんだ」
「それで、アウレアから作物を?」
「そう。アウレアは海がないからね。リートレで獲れる海産物とこうして取引させてもらっている」
「……フェリクス、それも俺がエルに言うつもりだったのだが」
「そうだったのかい? 何も言わないから、つい私が説明してしまったよ」
ユリウスが機嫌を損ねているのはわかっているはずだが、フェリクスは気にしていない様子で軽快に笑った。アルベルト同様、心が強い。
それにしても、すごい話だ。足りない部分を埋めるために戦い、奪うのではなく、支え合い、補っている。
今その光景を目の当たりにし、エルの心は衝撃を受けていた。
昨日、ユリウスは「きっと驚く」と言っていたが、これがそうなのだろう。されど、気になることがある。
どのようにして、アウレアとリートレの交易が始まったのだろうか。
「エル、俺達の関係を見てどう思った?」
「心が何だか、騒がしいです。きっと、驚いているのだと思います。ただ……」
隣に座っているユリウスを見る。目が合うと彼は頬を赤く染め身体を強張らせたが、逸らさずにしっかりとエルと向き合った。
「世界一の軍事力を誇るアウレア王国が、何故リートレ王国と交易を始めたのかと、気になって」
これ以上は言葉にせず、視線を下げた。
戦って奪うことが当たり前となっているこの世界で。それも、世界一の軍事力を誇るアウレア王国が、どうして。
「エルの言うとおり、アウレアの軍事力は世界に誇れるものだが……俺が王になってからは、戦争を仕掛けたことは一度もない」
「え、一度も……?」
信じられない、といった様子でエルはユリウスに視線を戻す。彼は「本当だ」と小さく笑った。
「ありがたいことに、アウレアは土地柄にも気候にも恵まれ、黄金もあるからな。……それが、軍事力を強化し続ける原因にもなっているが」
このような理由もあるのかと、心が衝撃を受けている。これもまた、驚きなのだろう。
軍事力を持つ理由は、争い、奪うためだとばかり思っていたからだ。それ以外に、理由はないと。
アウレア王国は違っていた。こちらに争う理由がなくとも。奪う理由がなくとも。
資源があれば狙われる。襲われ、奪われる。その結果、アウレア王国は国を護るために軍事力を強化し続けるしかなかったのだ。
「あ……ですが、ユリウスはすぐにクラルスを滅ぼそうとしますよね」
訊いてはいけないことだったのだろうか。ユリウスはむすっとした表情で目を瞑る。
「憤りを覚えているからな。エルが望めばすぐにでも滅ぼしてやる」
「エル王女を想ってのことだろうけど過激だな……でも、ユリウスの言っていることは本当だよ」
だからこそ交易相手に選んだのだと、フェリクスは目を細めて笑った。
「リートレ王国は小さな島国。民の数もたかが知れている。要塞都市と化してはいるものの、戦争をするつもりなんて微塵もなくてね」
すべては攻撃を防ぐため。ただ、それでは民が飢えてしまう。リートレ王国で獲れるもの、育つものは限られているからだ。
そうして思い付いたのが、アウレア王国との交易。戦争をする気はないとその意を示し、真摯に向き合えば、話はきっとできると思ったのだとフェリクスは話した。
「……お二人は、対話から始められたのですね」
「交易の話ものってくれて、今もこうして続いている。ありがたいよ」
「断る理由がない。お互いメリットしかないからな」
争い、奪うのに対話はいらない。それを、この二人は対話から入り、こうして支え合える関係となった。
争うことなく、奪うことなく。
二人の話を聞いていて、何となくわかった気がした。──この世界に足りないのは、対話だ。
こうして、対話をすることができれば。国同士が、支え合うことができれば。
「エル、どうした?」
「いえ、良いお話を聞けたと思いまして。ありがとうございます、ユリウス、フェリクス王」
茨の道かもしれない。そもそも道がないかもしれない。
けれど、世界は変えられるかもしれない。変わるかもしれない。
今日の話を聞いて、エルはそう思った。
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