嫉妬と怒り

 使用人達に手伝ってもらいながら、エルは買ったばかりの蒼穹の色をしたワンピースに袖を通す。後ろにあるファスナーを閉じてもらい、腰辺りには茶色のベルトを巻いた。

 膝丈のためガーターベルトは見えないが、黒色のストッキング、革のショートブーツがよく馴染んでいる。

 続いては髪型だ。椅子に座り、髪の毛を優しくブラッシングしてもらうと、こめかみ辺りから後ろ髪を一つにまとめられる。髪の毛は切ること以外はしてこなかったため、結んでもらうのも初めてだ。

 どのような姿になるのだろうかと思っていると「できましたよ」と声がかかった。そんなに早くできるものなのかと驚きつつ、エルは礼を言って椅子から立ち上がり、姿見を見る。

 映るのは、見慣れない自分。茶会、社交界などとは無縁だったため、ドレスすら着たことがない。


(そんなわたしが、今はこんな格好をしているなんて)


 似合っているのかも自分ではわからないが、姿見に映る自身を見ていると何故か気分が落ち着かない。些か鼓動も速く感じる。


「よくお似合いです。王をお呼び致しますので、このままお待ちください」

「はい、ありがとうございます」


 つい姿見を見てしまう。後ろはどうなっているのかと身体の向きを変えたとき、部屋の扉が開いた。


「おい、何故お前が先に」

「へえ、いいじゃん。似合ってるよ、エル王女」


 ユリウス以外にも聞こえてきた声に、エルは驚いて後ろを振り向く。そこには、ユリウスを押しのけて部屋へ入ってくるアルベルトの姿が。


「アルベルト、出ろ」

「何でさ。それよりもエル王女、後ろちょっと寂しくない?」

「寂しい?」

「アルベルト、出ろ」


 寂しいとはどういう意味だろうか。わからずに戸惑っていると、アルベルトがエルの元へやってきた。両肩を掴まれると姿見の方へ身体の向きを変えられ、先程結んでもらったばかりの髪に触れられる。


(何をされるのかしら。いえ、それよりも……)


 これは、ユリウスだ。圧をものすごく感じる。使用人達は危機を感じたのか、早々に退出してしまった。

 気にしていないのはアルベルトのみ。この圧の中よく平然としていられるものだ。さすがは冷酷非道の王の弟君と言ったところか。


「俺、いいもの持ってるんだよね」

「いいもの、ですか」

「うん、きっと似合うよ」


 布が擦れるような音が聞こえたかと思うと「できたよ」と、再びアルベルトに身体の向きを変えられる。


「ほら、これで後ろも華やかになった」


 髪に淡いピンクのリボンが結ばれていた。リボンがあるだけで、ここまで印象が変わるとは。鏡越しにアルベルトを見ると、彼は出来に満足しているかのような笑みを浮かべている。

 ユリウスは、どう思っているだろうか。まずはアルベルトに礼を言ってからだと、彼の方を振り向く。


「あの、アルベルト様」

「アルでいいよ、エル王女」

「で、ではわたしも、エルと」


 そのとき、アルベルトの目が大きく開かれた。彼のその様子に何事かと言葉を止めた瞬間、自分よりも大きな身体に後ろから包み込まれ、口を覆われてしまった。


「むぅ!?」

「お前にエルは早い。即刻この部屋から出て行け」

「早いって……兄様、嫉妬剥き出しじゃん」


 苦しいと思うほど強く抱きしめられている上に、口まで塞がれているため呼吸がしにくい。だが、エルを気遣えるほど今のユリウスには余裕がないようだった。

 せめて口を塞いでいるこの手だけでもどけてくれればと必死に剥がそうとするも、エルの力ではびくともしない。ただ、アルベルトだけはそんなエルに気が付いていたようだ。


「わかったわかった。でも、兄様。苦しそうだから離してあげたほうがいいよ」

「……っ、エル、大丈夫か」

「だ、大丈夫、です」


 手が離れ、ようやく息ができるようになった。けれど、いまだ抱きしめる力に変わりはない。まるで、離したくないと言わんばかりの強さ。


(そもそもどうしてこんなことを……)


 アルベルトは肩を竦め、エルを見た。その目は笑っており、どこか楽しそうだ。


「大変な人に好かれちゃったね。まあ、頑張って。じゃあね、


 ふんふん、と鼻唄交じりでアルベルトは部屋を出て行く。

 エル、とアルベルトが呼んだことに僅かに反応はしていたが、ユリウスはこれ以上何も言うことはなかった。


(口を塞がれなくなったとはいえ、力が強いからさすがに苦しいわ)


 抱きしめる手も離してもらおうと声をかけようとしたとき、首元に顔を埋められた。

 やはり、何かおかしい。普段は目も合わせられないというのに、いきなり後ろから抱きしめてきたと思えば、こんなことを──。


「俺が、最初にエルを見るはずだった」


 さらりとした髪の毛が肌をくすぐり、息が当たるたびにぞくぞくとしたものが背筋を這う。

 これは何なのか。わからないエルは身体をもぞもぞと動かしてユリウスから離れようとするものの、彼は頑なにその手を離そうとしない。


「最初にエルを見て、言葉をかけて、触れて……なのに、アルベルトの奴が……」

「で、ですが、アルは」

「アル? ああ、そう呼ぶように言われていたな。気に入らない。愛称で呼ばせるのも、エルを名で呼ぶのも」

「どうして、そこまで……」

「これも気に入らない。俺のエルなのに、俺以外の者が何かを贈るなど」


 そう言ってリボンに触れるユリウスに、エルは息を呑む。

 彼は、解くつもりだ。そう思い、咄嗟に声をあげた。


「やめてください!」

「……っ、エル?」


 エルの声に驚いたのか、抱きしめる力が緩んだため、ユリウスから離れて距離を取った。背を向け、ふう、と大きく息を吐き出す。

 胸の内が、ぐつぐつと煮え返っている。おそらく、これは怒りだ。そう、エルはユリウスに怒っている。

 結び終えたあとのアルベルトの笑顔。あの笑顔を見ているからこそわかる。このリボンは、彼の厚意そのものだ。それを解くということは、彼の厚意を無下にすること。

 だからこそ許せなかった。身勝手な理由で解こうとするユリウスが。


「お、怒っているのか、エル」

「はい、きっとこれは怒りです。だから、怒っています」

「そっ、それは、アルベルトのことが、好き」

「ではないです」


 怒りに身を任せてはならないと小さく息を吐き出し、心を落ち着かせてからユリウスと向き合う。いつも通り、彼は顔を真っ赤に染めて顔を俯けた。


「アルは、わたしの身なりを更に良くしてくれたのですよ」


 カツン、と敢えて靴音を鳴らしながら、ユリウスへと近付いていく。あと一歩で彼の胸に飛び込んでしまいそうな距離まで来ると、その足を止めた。

 そっとユリウスの顔を覗き込む。視線が交じると赤い瞳は大きく開かれ、声をあげることなくものすごい速さで後ろへ下がった。今にも湯気が見えそうなほど真っ赤な顔で、口をパクパクと動かしている。


「この服に袖を通し、髪を結んでいただいて、姿見で自分の姿を見たとき……鼓動速くなっていて、どこか気分が落ち着きませんでした」


 そして、とエルは視線を少しだけ下げ、リボンに触れた。


「アルにリボンを結んでいただいて……まず、ユリウスがどう思っているのか気になりました。ですが、アルへの身勝手な不平不満ばかりで、まだ何も言ってくれない」

「ち、違う。違うんだ。そ、その、服も、髪型も……悔しいが、そのリボンも。エルのためにあるのだと思うほどに、とても似合っている」

「あ、ありがとうございます。ですが、悔しいとは……?」

「悔しいさ。あの日、時間が足りず、髪留めは買えなかっただろう。無理矢理店を開けてでも買っておけばよかった。そうすればそのリボンは……いや、そのリボンも……渡すのが俺であれば」


 エルが身につける物すべてがユリウスから贈られた物であればよかった、ということなのだろうか。

 だから、アルベルトにあのように当たってしまった。──もしも推測通りだとしても、ユリウスがそこまで拘る理由がわからない。


(いつか、わかるときがくるのかしら)


 とにかく、今はアルベルトへ謝らなければ。ユリウスへ視線を戻すと、彼は真っ赤な顔を逸らした。


「アルに謝りに行きませんか? それに、このリボンのお礼も言いたいのです」

「……何故俺が」

「わたしの望みは叶えてくれると仰ってましたよね」


 ぐ、と言葉に詰まり嫌そうにするユリウスだが、断ることはせず。渋々アルベルトの部屋へ向かった。


「リボン、ありがとうございました」

「……悪かったな」

「うわ、まさかあの冷酷非道の兄様が謝るなんてね。明日は季節外れの雪かな」

「だが、もうエルに贈り物をすることは許さない。……エルを綺麗にするのは、やはり俺の役目だ」

「ど、どうして貴方はそのような……」


 お熱いことで、とアルベルトはパタパタと片手で扇ぐ素振りを見せる。

 そこまで暑くはないはずだがと思いつつも、何故かエルの身体も熱を持っていた。

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