第一章 戦乙女と冷酷非道の王
売られたはず……ですよね?
──思い返せば、碌な人生ではなかった。
銀色の髪、エメラルドグリーンの瞳。両親にはない色を持って生まれたエルは、誕生したその瞬間から忌み嫌われた。
両親から愛情を注いでもらったことはない。物心ついたときにはもう幽閉されており、両親やレオンハルトの目には触れないように過ごしていた。
部屋から出ることができたのは、戦場の象徴として生きることが決まったときだ。もちろん、そこにエルの意思などない。国のために役立てと、起きている間は武芸を叩き込まれ、象徴に感情は必要ないと、少しでも表に出せば罵詈雑言が飛び交う。
希有な容姿を目立たせろと指示があり、戦場では常に第一線。何度も死線をくぐり抜けてきた。
両親の思惑通り「クラルスの戦乙女」と名を馳せるまでになり、そして──売られた。
望まれたように生きてきたのは、エルと家族を繋ぐ唯一のものだったからだ。されど、それは叶わない夢であり、エルは利用価値のある道具以上にはなれなかった。
(これからどうなるのだろう。見せしめとして殺されるのかしら。でも、それでいいのかもしれない。死ねば、生まれ変われる。次は争いのない平和な世界に……誰か、わたしの頭を撫でてる?)
動きはぎこちない気がするものの、あたたかく、優しい手だ。頭を撫でられるのは初めてだが、なんて心地良いのだろう。
(……って、そうじゃない)
眠らされている間に、エルの身柄はアウレア王国に明け渡されたはず。
一体、この手は誰のものなのか。薄らと目を開けると、ぼんやりとだが男性のような姿が目に入った。
「わ、わぁ!」
男性の叫び声と共に頭から手が離れ、ドスン、と何かが落ちる音がした。その音でぼんやりとしていた意識は覚醒し、エルは何度か瞬きを繰り返す。
見慣れない天蓋、柔らかいベッドに肌触りのいいシーツ。身体は拘束されておらず、自由に動かすことができる。
(本当に、売られたのよね)
その割には、何だか待遇がいいように思える。エルは戸惑いつつも起き上がり、男性がいたであろう方向を振り向く。
男性は床に座り込んでおり、エルが見ているとわかると両腕で顔を隠してしまった。
「た、頼むからこちらを見ないでくれ。俺の心臓が張り裂けてしまう」
「……え?」
低く、重い声。それでいて耳に残る、不思議な声だ。だが、言っている意味がわからない。
(この状況、どうすればいいのかしら)
男性の心臓が張り裂けてしまうのは困るので、とりあえずは視線を逸らす。すると、男性のわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「見苦しいところを見せてしまった。もう気付いているだろうが、ここはアウレア王国。俺は、ユリウス・ジークヴァルト・アウレアだ」
「ユリウス王?」
その名に息を呑み、男性──ユリウスを見る。
アウレア──その言葉を体現するかのような、黄金の色をした髪。燃え盛る炎のように赤い瞳に、彫刻のように美しい顔立ち。
初めて視線が交ざるも、ユリウスは顔を真っ赤にし、またしても両腕で顔を隠してしまった。
「お願いだから俺を見ないでくれ!」
これまで会ったことも見たこともないが、噂だけは耳にしたことがある。
自分の役に立たない者、失敗をした者は容赦なく切り捨てる、冷酷非道の王。そのため、アウレア王国は「死と隣り合わせの国」だと言われている。
(……この方が、その冷酷非道の王?)
両腕で顔を隠しつつ、その隙間からエルをチラチラと窺うユリウス。
アウレア王国の兵士達は、自身の必要性を王に示すために戦っていると聞く。技術者達も、必要性を競い合うかのように兵器の開発に注力しているとも。
恐怖で従えているのかと思っていたが、目の前にいる彼がそうさせているとは到底考えられない。
「き、君の名を、聞いていいだろうか。その、確かに聞いたはずなのだが、あまりの衝撃に何も覚えていないんだ」
ユリウスは両腕を少しだけ下ろし、エルをちらりと見た。しかし、それも一瞬。すぐに逸らしてしまう。
よくわからないが名を言えばいいのかと、エルは小さく口を開いた。
「……わたしは、エル・リーゼロッテ・クラルスです」
「そうか、エルか。エル、エル……ふふ」
その響きを味わうかのように、ユリウスはエルの名を唇にのせ、舌で転がす。
顔が整っているだけに不気味だ──そう思った瞬間、エルは左手首に右手を持っていった。感情が出ていると思ったのだ。
けれど、指先には固い何かが当たり、いつものようにつねることができない。不思議に思い左手首に視線を向けると、黄金のブレスレットが付けられていた。それはエルがつねっていた辺りを覆い隠すようなもので、きめ細やかな彫刻と中央には赤い宝石がはめ込まれている。
「これは……」
「自傷行為を放っておくわけにはいかないからな、付けさせてもらった。急いで用意したものだが、エルによく似合っている」
「どうして、このようなことを? わたしは、売られてここへ来たのですよね?」
視線をユリウスに戻すと、彼は瞬時に顔を真っ赤にして俯いてしまった。両手を胸元でもじもじとさせ、小さな声で何かを言っているが聞き取れない。
(視線を合わせていなければ、普通に話せているのに)
変わった人物だ。そう思いながら、エルはユリウスに「あの」と話しかけた。
「すみません。聞き取れなかったので、もう一度お願いできますか」
「……っ、だ、だから! ひっ、一目惚れしたんだ!」
「一目惚れ」
「は、話すから、どこか別のところを見てくれないか。これ以上は、俺の心臓が耐えられない」
張り裂けるということなのだろうか。それは危ないと、エルはユリウスから視線を外し、何となしに左手首を見る。
ユリウスは大きく息を吐き出し、その経緯を話し始めた。
「昨夜、クラルスの者が約束通りエルを連れてやってきた。縄で拘束され、身なりも整えてはもらえていなかったが……一目見て心を奪われた、なんて美しいのだと」
言われたことがない言葉だ。だからなのか、無意識に右手が左手首に触れていた。
「……わたしのことは、どうするおつもりですか?」
「相手側からは、好きにしてもいいと言われていてな」
「そのような気はしていました。どんなことでも受け入れる覚悟はできています」
「そっ、それは本当か? 嘘じゃないな?」
エルがいるベッドが軋む。その音がした方向を振り向けば、床に座り込んでいたはずのユリウスが立ち上がって両手をベッドに置き、体重を預けていた。
「んんっ!」
視線を向けたからだろうか。ユリウスは一瞬で顔を赤く染め、何かを堪えるような声を出して目を瞑ってしまった。
「あ、あの、それでわたしのことは」
「……傍にいてもらう」
「それは、ユリウス王の?」
「そ、そうだ。俺の傍にいるんだ。それで、俺の妻にする」
だから、とユリウスは顔を赤らめたまま上目遣いでエルを見た。その視線はすでに宙を泳ぎかけている。
「エルには、俺のことを好きになってもらう」
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