戦乙女は冷酷非道の王から離してもらえない

神山れい

プロローグ

さようなら、戦乙女

 この世界は、平等ではない。

 土地の状態や気候、その国が置かれている環境によっては、食糧難や産業の発達に遅れがあるからだ。

 生き残るために。資源を奪われないようにするために。何よりも、周りの国々に追いつくために。抜きん出るために。

 いつからか、国同士で争うことが日常茶飯事となっていた。

 奪うか、奪われるか。その二択なのだと、だから戦うしかないのだと、誰もが口を揃える。

 それは、エルがいるクラルス王国も同様だった。


「アウレア王国に宣戦布告、ですか」


 絞り出したかのようなエルの声に、兄──レオンハルトは困ったものだと言いたげに息を吐き出した。


「父上が勝手にしたんだよ。我が国のことを思ってだろうけど」

「わたし達は今日、戦地から……」


 レオンハルトから牽制するような視線が向けられ、エルは口を閉ざした。確かに、これ以上は余計なことだ。

 身体に傷を作りながら、痣を作りながら。土埃に塗れ、汗と血を流しながら勝利を手にして、やっと戻ってきたばかりなど。──他国から奪ってきたばかりなど。

 エルが口を噤む様子を見て満足したのか、レオンハルトはにこりと微笑んだ。


「ああ、言うのを忘れていたね。今回もお疲れさま」


 感情のこもっていない、労いの言葉。それでもエルは「ありがとうございます」と頭を下げる。


「これで少しは足しになるかな」


 レオンハルトはティーカップを手に持ち、紅茶を口にした。

 クラルス王国の国王である父、王妃である母。そして、兄であり宰相を務めるレオンハルト。この三人もまた、争うこと、奪うことに躊躇いはない。


「でも、まだまだクラルスは財政状況が厳しい。だから、あの国が保有する黄金がほしいんだって」


 ティーカップをソーサーに置き、レオンハルトは気怠げに椅子の背もたれに背中を預けた。

 財政状況が厳しい原因はわかっている。両親の散財だ。王族は国そのもの。見窄らしいと他国に攻め入られるという持論を展開し、金をばらまくかのように服や装飾品を買い、着飾っている。

 民達の生活は困窮しているというのにもかかわらずだ。


(……戦って、奪って。また戦って、奪って。いつ、終わるのだろう)


 胸がずんと重く、苦しい。

 名はわからないが、何かしらの感情が渦巻くと決まってこうなるのだ。エルはレオンハルトから見えないところで左手首をつねった。

 感情を表に出すことは許されておらず、エルもまたどうすればいいかわからず持て余してしまう。そのため、痛みで紛らわせるようにしていた。


「アウレア王国の黄金をクラルスのものにすれば、僕達も潤い、民達も潤う。きっと喜ばれるよ」

「……そうですね」


 本当に、そうだろうか。

 民達もわかっている。何故、税金が年々高くなっていくのか。生活は貧しくなる一方だというのに、何故王族だけが何も変わらない暮らしを送っているのか。

 どれだけ他国から奪ったとしても、潤うのは一時的。根本的な部分を解決しなければ、この国自体が変わらなければ、いずれ兵士も民も我慢の限界が来る。反乱も考えられるだろう。

 ましてや、今度の相手はアウレア王国。この世界で一番の軍事力を誇り、一夜で国を落とすと言われているほど。


(満身創痍状態で戦える相手じゃ、勝てる相手じゃない)


 決定事項を覆すことになるため、そんなことは口が裂けても言えないが。


「エル、感情は表に出すなと散々口にしてきているはずだけど?」

「え?」

「気付いていないのかい? 何かを憂うような暗い表情をしている。兵士からも報告があがってきているよ」


 エルは両手で顔に触れる。口角は変わりない。眉も、目も、何も変わりない。いつも通りだ。


(制御、できていない?)


 わからない。何も変わりないように思えるが、レオンハルトだけではなく、兵士までもがエルの感情に気付いているという。

 表に出ている感情は、何なのか。痛みで紛らわせられないほどのものなのか。考えても、エルにはわからない。とにかく謝らなければと頭を下げた。


「申し訳ありません」

「クラルスの戦乙女。戦場の象徴である君が、そのような表情をしてはいけないよ。


 レオンハルトは机の上に両肘を置き、指を絡ませた。

 クラルスの戦乙女。それは、戦場の象徴としてのエルの別称。敢えてそう呼ぶことに、レオンハルトの怒りを感じる。


「はい、申し訳ありません」

「……いや、僕も言い過ぎか。エルも疲れているんだろう。連戦続きだからね」


 そう言ってレオンハルトは立ち上がり、食器が仕舞われている棚へ向かうとティーカップとソーサーを手にした。

 戻ってくると、ティーポットに入っている紅茶を先程のカップに注ぐ。保温性がいいのか、紅茶からは湯気が見えた。


「この茶葉はとても良いものでね。ストレートで楽しむのが一番なんだけど……エルには砂糖を一つ入れて甘くしておこうか」


 角砂糖が一つ入れられると、ティースプーンで紅茶をゆっくりと混ぜる。その様子を眺めていると、ティーカップがエルの目の前に置かれた。


「さあ、どうぞ」

「あ……い、いただきます」


 まさか、レオンハルトに紅茶を淹れてもらえるとは。勧められるまま、エルはティーカップを持ち紅茶を一口飲む。茶葉のいい香りが鼻孔をくすぐり、ほどよい甘さが口に広がる。


「エルは何のために生きているのか、生かされているのか、理解してるよね?」

「はい」

「じゃあ、僕の意も汲んでくれるよね」

「……兄上、何の、はな、し」


 視界がぐらりと揺らぎ、身体の力が抜けていく。手に持っていたティーカップも机の上に落ちた。紅茶が溢れているはずだが、レオンハルトは笑顔のまま動じない。


(薬を、盛られた?)


 身体を支えきれなくなり、エルは椅子ごと床へ倒れた。大きな音がしたからか、使用人達が廊下を走ってくる音が聞こえてくる。


「レオンハルト様、何かございましたか?」

「ああ、少し荷造りをしていてね。終わったらまた声をかけるよ」


 扉の向こうにいる使用人達にそう言うと、レオンハルトは立ち上がり、倒れているエルを見下ろした。


「馬鹿な親を持つと子どもは大変だよね、エル」

「あに、うえ」

「あのアウレアに勝てるわけないのにさ。でも、お前をアウレアに渡すことで戦争は回避。かつ、クラルスから排除できる」


 今にも途切れそうな意識を必死で繋ぎ止めながら、レオンハルトに視線を向けた。

 またしても胸が重く、苦しくなる。いろんな感情が渦巻いているが、それぞれが一体何の感情なのかわからない。

 そんなエルを嘲笑うかのように、レオンハルトは満面の笑みで頭を踏みつけてきた。


「ほら、感情が見えてるよ」

「申し訳、ありません」

「象徴が感情を持つと、周囲に影響を与える。戦乙女は戦い続けることに意味があるというのに、何を憂うことがあるの? 戦うのが嫌になった? 奪うのが嫌になった?」

「……っ」

「クラルスが奪う側で居続けるためには、戦い続ける必要がある。お前がそんな様子だと、士気が下がるんだよね」


 頭を踏みつける力が強くなり、エルの口からは呻き声が漏れる。


「けれど、名を馳せるほど成長してくれたのはよかったかな。交渉材料として活用できた」

「アウレアは、納得したのですか」

「納得したから、お前は床に寝転んでるんだよ」


 両親や民、兵士には「勝ち目がないと悟ったエル自らが敵国にその身を差し出した」ということにするらしい。

 ならば、エルの役目は──。

 瞼が重くなる。まだ訊きたいことはあるが、もう意識が保てそうにない。


「さようなら、戦乙女」


 そこで、エルの意識は途切れた。

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