お嫁さんの紹介
奈落とは、数年に一度現れる正体不明の穴だ。
主に現れる場所は魔獣が発生する地域のみで、流石に住民たちが多く居る国の都市であったり村では発生しない……とは言えないかもしれないが前例はない。
奈落……その名が示すように、一度落ちれば助からない。
それこそ国の英雄としても、冒険者としても名を馳せた強者が奈落に落ちた際は、それから何の音沙汰もなかったほど……生還者は、誰一人として存在しない。
「どこです……? どこなのですか……ミナト?」
「マスター……」
世界各地に支部を置くギルドの中でも、特に有名で大規模な戦力を有するのがエリシアをトップに据える王国都市のギルドだ。
ギルドマスターであるエリシアもそうだが、名を連ねる冒険者たちも一騎当千の強者たち……だが、今のエリシアを見た時に冒険者たちは首を傾げることだろう――これが本当に、あのエリシアなのかと。
「ごめんなさいマスター……俺たちが駆け付けた頃には、もうあいつは穴に落ちる寸前で……」
ミナトが奈落に落ちたという報告をしてきたのは五人のパーティだ。
彼ら五人はギルドにおける中堅クラスの若者たちで、将来が約束された有望株でもある……そんな彼らが、悔しそうな表情をしながらミナトが消えたとされる場所を教えてくれた。
『良いですかミナト。奈落とは不意に現れるものですが、あまりにも禍々しい穴なので見間違えたりはありません。何があったとしても、その穴に近付いてはなりませんよ? あなたの母代わりであり、師匠でもある私との約束ですからね?』
『母代わりは大袈裟じゃ……でも了解っす。師匠との約束は、絶対に破ったりしないですよ俺は』
そんなやり取りも昔のこと……どこを探しても、どれだけ彼の名前を呼んでもミナトは返事をしてくれない。
高貴であり、高潔であり、永きを生きるエルフのエリシア。
そんな彼女が初めて育てた弟子であり、家族の温もりを教えてくれた息子同然の彼はもう……どこにも居ないのだ。
「……調べましょうか、何があったのかを」
悲しみに暮れていたエリシアだが、ふとそんな言葉を漏らす。
えっと声を上げたのはミナトを目撃していた五人だが、傍に控えていた受付嬢やその他の古株たちは同時に頷く。
「ミナトは、あの子は決して無茶をしない子です。それは私も含めてギルドの皆が分かっていること……そして何より、私たちが教えたことを守る子です――そんな子が、奈落に自ら近付くなど決してあり得ない」
「そう……ですね。ミナト君に限って、そのようなことはないでしょう」
「そうですな。ということは、そう仕組んだ者が居る可能性を考えても良いかもしれませんな」
エリシアは、ギルドの仲間を疑ったりはしない……だが、今だけはその掟を破ろうかと、疑わしき者たちへ憤怒の視線を向けるのだった。
▼▽
「奈落にも空があるんだなぁ」
『奈落もまた一つの世界、故に空はあって当然だな』
ミラの背中に乗り、奈落の空を飛んでいる。
突然にお嫁さんになったドラゴンの背中に乗るってのも全然想像したことがなかったけど、落ちたら墓場同然の奈落を観光気分で眺めているってのもこれまた不思議な感覚だ。
「奈落ってさ、俺たちの認識では落ちたら終わりの場所なんだ。だから死ぬものとばかり思ってたから不思議な気分だよ」
『地上に生きる者たちの感覚はそうだろうな。地上と奈落は全く別の世界故に、落ちればこの空を突破することでしか出られない。転移魔法のようなものも使えなければ、都合良く地上に出られる他の何かがあるわけでもないのだから』
「詳しいんだな?」
『私もそうだが、他の力あるドラゴンにとってここは絶好の隠れ家だ。好きに入れるし出ることも出来る……まだ私が小さい頃は、この奈落に身を潜めてかくれんぼをしたものだ』
奈落でかくれんぼとか規格外すぎんだろ……。
『今回に関しては、少々ドラゴン間のトラブルでなぁ……盛大にドジを踏んで傷を負ってしまったが、相手は殺している』
「は、はぁ……」
『そこに関しても幸運だった……ああやって休んでいなければ、あなたが奈落に落ちなければ、この出会いは決してなかった』
「……そう考えたら運命ってやつかもな」
『運命……そうだな。確かにその通りだ』
取り敢えずスケールのデカい話になっちまったもんだぜ。
でもなるほどな……この奈落って場所は、落ちたら文字通り外に出れないんだ……それでこの何もない場所で誰に知られることもなく、看取られることもなく朽ちて死んでいくってわけか。
『ミナトよ、私も聞いて良いだろうか』
「なんだ?」
『あなたはどうしてここへ?』
「あ~……実はだな」
ここに落ちた経緯を全て話したのだが、当然のようにミラはキレた。
『あなたと出会うきっかけになったのは確かだが、あなたを陥れようとしたゴミが居るというわけか』
「ま、まあそうっすね」
ミラの怒気に大気が震えているかのようだ……正直怖い凄く怖い。
「まあでも、外に出れたらあいつらを告発も出来るわけで……それくらいはして良いだろって思ってるよ。師匠……ギルドマスターに俺が良く気に掛けられていた、たったそれだけでこんな目に遭わされたんだから許せねえからな」
『私に一言殺せと言えば良い――焼き尽くしてやる』
「そ、それは……えっと……取り敢えず待ってもらえるか?」
ミラを落ち着かせるようにポンポンと撫でてあげれば、嬉しそうに喉を鳴らす仕草は大変可愛らしい。
本来であれば、ミラが出せる速度だと一瞬内に地上には出るらしい。
それでもこうして俺が気分を害さないようにとゆっくり飛んでくれているのは、ミラの持つ優しさなんだろうなと思う。
『ミナト、そろそろ地上に出るぞ』
「っ!」
空に終わりは見えないはずなのに、段々と壁が迫るような見え方だ。
しっかり捕まっていろとミラが言った直後、空に穴を空けるようにミラがブレスを放つ……そして、そのブレスは空の壁を貫いた。
空の向こう側にまた青い空が……あれこそ地上から見える空。
(……ほんとに生還しちゃったよ俺ってば)
ビュンと、音を立てて穴を潜り抜け……俺は地上へと帰還した。
もはや懐かしさまで感じさせる地上の空気と、体を吹き抜けていく風であったり、木々の香りなんかも含めてこれが地上だったと感動すら覚えてていた。
「地上よ……俺は帰ってきたぞ~~~!!」
こういう台詞、つい言いたくなっちゃうよねぇ。
そんな感じで腕を大きく広げて叫んだ……心なしか、やまびこの様に声が響いて返ってくるような気がする。
『ミナト、下を見るが良い』
「え?」
ミラがそう言い、俺は地上を見た。
そこには奈落に通じる穴が閉じかけていたが、そこから少し離れた場所に見覚えのある顔がいくつもあり、俺は反射的に大きな声を出す。
「師匠~!」
そこには師匠の姿もあったのだ。
今までに見たことがないほどに険しい顔をしているが、俺の姿を確認した瞬間一気に目が潤んでいる……やっぱ心配を沢山掛けたみたいだ。
ミラがゆっくりと地上に降りれば、当然のように多くの人がミラを警戒する。
「ミナト!」
「うわっ!?」
地面に着地してすぐ、師匠が飛びついてきた。
昔は俺の方が小さくて胸元に抱えられるのが大半だったけど、今はもう背は俺の方が大きいので逆にこちらが師匠を胸に抱えるような姿勢へとなった。
「ミナト……本当にミナトなんですね!?」
「あ、はい! 奈落に落ちたんですけど、戻ってきました!」
あぁそれと、そう言って間を置き……俺はこう伝えた。
「後、お嫁さんが出来ました。いきなりでごめんなさい……彼女、ドラゴンのミラです」
その瞬間、俺はリアルに時間が止まる感覚を味わった。
そして、その場にいる誰もが絶叫にも似た驚きを叫んだのは言うまでもなかった。
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