ドラゴンの番

「……………」


 とある一室にて、美しいエルフの女性が書類に目を通していた。

 見た目から雰囲気に至るまで、更にはその佇まいの全てがまるで高貴な令嬢を思わせる。

 長い金髪とブルーサファイアの瞳。

 真っ白な清潔感溢れる服には、彼女の豊満なスタイルが包まれている。


「……ふぅ、少し休憩しましょうか」


 女性の名はエリシア――エルフの身でありながら、人間たちの間で生きる女傑であり多くの人からはギルドマスターと呼ばれている。

 書類仕事で凝った肩を解すように、モミモミと優しく肩を揉む。


「来週には誕生日ですか……ふふっ、長寿のエルフにとって誕生日なんてものは特別な物ではありません。ですがあの子からお誕生日プレゼントをもらうようになってからは、毎年その時が楽しみで仕方ないんですよね」


 テーブルに飾られている写真には、エリシアと少年が写っている。

 聖母のような微笑みを浮かべるエリシアと、そんなエリシアと共に無邪気で人懐っこい笑みを浮かべている少年……エリシアにとって、忘れていた家族という情を思い起こしてくれた少年なのだ。

 だが、そこでエリシアは気付いてしまった。


「あら……どうして?」


 この写真には、決して汚れたりしないように魔法が掛けられているだけでなく写真を守っているガラスも特別製の物だ。

 それなのに、そのガラスがひび割れていた。

 しかもご丁寧に少年を引き裂くようなひびが……エリシアに嫌な胸騒ぎが飛来した。


「……ミナト」


 そう名前を口にした瞬間、最悪の報せが舞い込んだ。


「マスター、大変です! ミナトが……ミナトが奈落に落ちたと!」

「……え?」


 エリシアは、目の前が暗くなるような錯覚を抱くのだった。



 ▼▽



(俺はこれからどうなるんだろう……)


 奈落に落ちた俺は、まだ死なずに居た……それどころか喋るドラゴンと相対している。

 何だこれは……つうかドラゴンかっこいいな。

 なんてそんな場違いなことを考えられるくらいには、今の状況を受け止めることが出来ている。


『あなたからは不思議な力を感じた……さっきの魔法のような』

「魔法……? あんなゴミみたいな魔法が?」

『くくっ、ゴミとは随分な言い様だ。仮に治療してもらわずとも私は回復したが、あの傷に関しては最短でも三日は掛かる……それなのにあの一瞬で傷が治ったのだ。ドラゴンが受けた傷を癒す人間……あなたは本当に何者なのだ?』


 その言葉に、俺は呆然と自身の手を見つめる他ない。


「俺は、嘘を言っていない……俺に戦いを教えてくれた師匠のおかげである程度の力は身に着けたけど、回復魔法に関しては本当にダメなんだ。軽い切り傷ですら治すのに時間が掛かるほどだから」

『ふむ? 嘘は言ってないようだな』


 俺は頷く。

 公国の聖女クラスになれば、怪我をしてすぐならば体の欠損さえも治せるらしいが、何度も言うが俺の魔法はマジで才能がない。

 師匠が言葉を濁すくらいにはダメダメというか……とにかく、そういうインテリ系の魔法は俺には無理なんだ。


『もう一度、使ってもらえるか?』

「でも傷は治って――」


 治ってるだろ? そう言おうとしたその時、ドラゴンは自らの爪を皮膚に突き立て、真っ赤な鮮血を溢れさせる。


「ちょっと~~~!?」

『ほら、傷が出来た。治してほしい』


 ……このドラゴン、変わってやがる……あぁいや、ドラゴンに会ったのは初めてだから変わってるも何もねえんだけどさ。

 絶対に間違いだろうと思い、俺は傷に対して魔法を使う。

 するとどうだ? 見る見るうちに傷は塞がっていき、何もなかった綺麗な白銀へと鱗へと戻った。


「……俺、もしかして魔法の才能があるぅ!?」


 なんてことを思ったが、おそらくそうではないことも理解していた。


『ふむ……どうやらあなたと私の相性がすこぶる良いようだ』

「相性?」

『ドラゴンには、生涯に必ず対となる存在が現れる。あなたに分かりやすい言葉で言うならば番というやつだ』

「つ・が・い?」

『どうした?』

「ごめん、何でもない」


 番っていうと、所謂動物の中における夫婦みたいなもんか……でも、なんでこのドラゴンはいきなり番だとか言い出したんだ?

 ポカンと間抜け面を晒しているであろう俺を見つめるドラゴンは、どこか優しさを込めたような瞳をしている。


『我らドラゴンは、番となる相手を見つけた場合にどちらかが欠けてはならぬとあらゆる意味で運命が適応に向かう……つまり、あなたが自分で言う役に立たない回復魔法も私にとっては最上位の魔法……それこそ、私自身の持つ治癒力よりも更に強力な魔法へと限定的に変貌するのだ』

「はぁ……」

『まだ分からぬのか?』

「何が……?」


 あ、ため息を吐きやがった……。

 ドラゴンは頭を下げ、ペロッと舌を出して俺の顔を舐める……若干のぬめり気はあったが、匂いはしなかった……いや、どこか甘い香りがするのは気のせいか?

 いきなり妙な行動を取ったドラゴンは、まさかの言葉を言い放った。


『私は今、あなたを番に決めた』

「……えっ!?」

『番……更に分かりやすく言えば結婚するということだ』

「え……?」

『まさか……その意味さえ分からぬと?』


 いやいや、そこまで馬鹿じゃないぞ俺は……。

 ドラゴンの言葉を纏めると、このドラゴンは俺を番にする……今から俺たち夫婦ってこと?


「俺ら、夫婦になるの?」

『そうだ。私が嫁であなたが夫だな』

「あ、雌なんだ……」

『うむ』


 自信満々に頷くドラゴン。

 それに対し、俺は相変わらずボーッとしていたが……もはや色々と起こりすぎて頭が動かない俺はその提案に頷くのだった。


「じゃあ……結婚する?」

『おぉ、受けてくれるのか! 嬉しいぞ我が夫!』

「どわっ!?」


 頭だけでも俺の体と同じくらいなので、手で抱き寄せられるとなれば強大な力が加わる……だが、思った以上にドラゴンの皮膚は柔らかく、手の力も考えられている。


(師匠……俺、ドラゴンのお嫁さんが出来ちゃったよ)


 スリスリと顔を擦り付けるドラゴン……顔は厳ついけど、あまりにも大きすぎる猫か犬と思えば可愛いかもしれないな……うん可愛いってそう思うことにしよう。


『あなた、名前は?』

「ミナトだ」

『私の名はミラ――よろしく頼む』


 意外と可愛い名前だったな……。


「ミラ……よろしく」


 そう言うと、ミラは嬉しそうに喉を鳴らした。

 だがすぐにその瞳は更に赤く煌めき、身を震わすほどの低い声でこう言ってきた。


『ドラゴンの契約は絶対だ。もしもこれが破られることがあれば問答無用でお前を私は喰らう』

「あ、あぁ……」

『お前という番を腹に収め、自らを炎で焼いて死ぬ』

「重くない!?」

『それが番というものだ。良いか? 私はもう、お前が居ないと生きていけない体になったのだ』


 責任が重大すぎる!!

 でも……冷静になって考えてみたら、俺ってばなんて決断を簡単にしてしまったんだ……?

 奈落に落ちて若干自棄になっていたとはいえ、あまりにもいい加減だった気が拭えない。


『どうした? 浮かない顔をしているが……』

「あぁうん……それが――」


 俺は素直に思ったことを話した。

 ミラは最後まで話を聞いてくれただけでなく、怒りの感情を見せるどころかクスッと微笑んだ。


『あまりに突然すぎたのは自覚しているからな。そんな風に考えてくれるだけでも私としては嬉しいものだ――ミナトよ、これから夫婦として仲を深めて行こう。そうすれば良き関係になれると信じている……それに私は尽くす女だと思うぞ?』

「はは……そっか」


 ……流石にここまで言われてやっぱり止めてくれは言えねえや。

 諦めたわけじゃない……決して嫌じゃない……俺は心から笑みが零れ、ミラと共に笑い合うのだった。


『さて、それではいい加減にこのような場所からは出るとしよう』

「……え?」

『どうした? まさかミナトはこのような辛気臭い場所がお望みか? 流石に私は嫌だぞ……』

「あぁそうじゃなくて……だって奈落だよ? 出られるの?」

『あなたは私を何だと思っているんだ? ドラゴンだぞ?』

「……わ~お」


 師匠……俺ってば、どうやら奈落から出られるみたいです。

 えっと……もしかしたら奈落に落ちたって騒ぎになってるかもだけど、今から帰宅します。


『背に乗るが良い』

「うっす……」


 ミラの大きな背に飛び乗った。

 そして、ミラは大きく翼をはためかせて飛び立った。

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