第二話 純潔

 朝日が差す陽だまりの中、千早は通学鞄を肩にかけ、豊かな黒髪を揺らした。この季節は校章がついた、ブレザーを着て、下にグレーのカーディガンを着用して登校していた。スカートは膝くらいで靴下は短め。鞄にはくまちゃんのチャームをつけた。千早はすっぴんなのにまるで化粧したかのような顔立ちだ。



 ずっと両親が海外出張で家を開けている為、年の離れた兄と生活をしていた。兄はデリカシーがなく、下着も容赦なく洗濯して、干すので困っていた。


 千早は意を決する。

 夏樹の友達になりたい。全く下心が無いと言えば嘘だ。恐らく夏樹には好きな人がいるのであろう。自分ではない。引き戸を開けるとクラスメイトが並ぶ。着席した。


「これから授業だー! 皆のもの、着席しろー!」

 竜馬はそう言う。

 すると着席した女子生徒が嬉々として聞いた。


「竜馬さん、髪濡れてるけどドライヤー使わないの? 朝シャンしたの?」


 竜馬に微笑みながら、こう言う。


「男子たるもの、髪は自然乾燥だ!」

「えー!」


 クラス中はざわざわっとする。

 景吾が友達と一緒に通り過ぎた。景吾と一瞬目があってスッと逸らされた。


「佐倉先生、今日は風が通りますね」

「ああ、たしかに。今日は風がうねってるな」


 竜馬が窓をきちんと閉め、授業を再開する。


「雪代さんと椎葉ー!」


 教科は世界史Bに入る。

 夏樹と千早は教科書を読み上げる。


「紀元前八世紀頃、有力者を中心になにが形成されたか?」


「ポリスです」

 夏樹はそう言う。


「椎葉、正解だ」


 そう言うと竜馬は黒板にチョークでカリカリと書き始める。


「当初はポリスが貴族が政治を独占した。それでは───」


「竜馬さん!」

 真琴は手を挙げる。


「なんだ。小島?」


「オレ、実はまたレポートを提出するの忘れましたー!」

 真琴が声を大にして叫び、竜馬がこう切り返す。


「そんな事は声を大にして言うことではないのだ。小島。放課後、お友達にレポートを手伝ってもらいなさいね」


「あらら……俺が手伝うよ」


 夏樹は真琴の手伝いをしていた。するとレポートの手伝いが一段落した夏樹が声をかけてくる。


「雪代、俺もテスト用紙の回収を手伝おうか?」

 夏樹はそう言う。


「いいんだよ、これはわたしの仕事だから」

 千早はふふっと花のように笑う、夏樹の表情が変わる。


「いいよ。俺が手伝うよ」

 夏樹はテスト用紙の回収をしてくれた。

 重たい荷物も背負ってくれる。


「椎葉くん、わたし達はもう友達かな?」

「おう! 俺と雪代はそうだよ!」


「……ありがとう」


 夏樹は快活に笑って答える。

 千早は嬉しさがこみ上げる。夏樹はとても良い人だ。たまたま机に忘れ物をしたことを思い出す。




 放課後のクラス、千早はリュックを取りに来た。静まり返る教室。机に乗っかって座る、男子たちが屯して話している。


「お前、雪代から一方的に好かれてるみたいだけどお前大丈夫なの?」


「……まぁ」


「ええ、夏樹が? あんな陰気な女と〜? 俺はお前に同情するよ、あんな子に慕われたら大変だよな」


「……ああ、やっぱり? 夏樹は雪代の事をお前、友達とも思ってないよな?」


 夏樹が口を開く。


「……まぁ俺はあの子が友達だと思ったことは一度もない」


 夏樹はそう言った。

 衝撃の発言に千早は言葉を失う。真琴は歓声を挙げる。


「そかそか〜。俺もそう思ってたんだ〜」


 千早はリュックをバタンと落とした。男子達は振り返って目を丸くする。


「……あ」


 千早はその教室を足早に去った。


 夏樹が自分を呼ぶ声がする。そんな事は関係ない。千早は思う。友達だと思っていた人に今更そう言われてしまったのがショックだ。


 否、期待した自分が馬鹿だった。

 夏樹と千早の立場を考えてみたらすぐに解ること。


 千早は居ても立っても居られなくなる。


 これは今更の話だ。クラクラと眩暈がしながら、千早はとぼとぼと渡り廊下を歩く、夏樹からは友達とも思われていないんだと。


 夏樹は面倒見てくれたり色々と気にかけてくれる存在だった。だから余計に精神的にこたえる。涙が溢れて止まらない。


 夏樹の友達になりたいなど、千早は烏滸がましいのだろうか。屋上に登ってわんわんと泣こう。


「……あ」


 千早は泣き腫らした眼だった。

 夏樹は肩を揺する。


「ゆ、雪代! 俺が言いたかったのは全然違う言葉なんだ」

 夏樹は言い訳をするが千早はショックを受けてしまった。千早は立ち去ろうとする。


「いいんだよ」

 千早はなぜか足が動くことに気づく、半分諦めかけている。期待した自分が馬鹿だったんだ。千早は自分にそう言い聞かせる。


「わたし、別に椎葉くんとは仲良しにはなれてないと思う。こちらこそ、ごめんね」

 千早は丁寧に謝る。

 夏樹は焦った表情だ。なにか言おうとしている。


「俺は……違うんだ。その……俺は雪代とそういう事になりたかった訳ではなくて……」


 千早はショックを受ける。好意を寄せていた人なら尚更だ。


「ごめんね。わたし、帰るね」

「……もう俺とは話してくれないのか?」

 夏樹はそう言い、憂いを含めた表情をする。千早の時間はストップした。


「……え?」


 千早は夏樹の静止を振り切り、屋上のドアノブに手をかけようとした手がスルッと力が抜ける。スローモーションのように千早は振り向く。


「俺がいくら状況を説明しようと思っても言い訳にしか聞こえないけど……」


 夏樹はうずくまっている。


「雪代とはもう俺と話してくれねーと思う。俺は雪代とは友達じゃなくて、その……」


 千早は訳が解らない。けれどその訳はなぜか聞きたい心境になる。


「……な、なに?」

 千早はそう言うと夏樹は自身の髪を触る。


「好きなんだ。お前のことが」


 ────千早は言葉を失う。

 でも、なぜ。自分のような女の子を? もっと良い人は居るだろうに。


「……え?」

 千早は呆気にとられる。

 夏樹はそう言う。


「わ、わたしは……椎葉くんとは……」

「……俺の方が解ってるよ」

 夏樹は千早にすごむ。

 千早はびっくりして後退した。これは、女子のピンチだと思う。


 屋上の事は噂でも立てられたら自分だけではなく、夏樹だって大変だからだ。


 先生が見に来たりしてないかを夏樹は確認しながら、近づく。


「俺は雪代のことが好きなんだ」

 それは解った。けれどもここまで凄まれるのは正直怖い。


「……え?」

「雪代に伝えるのが、こんな形なってごめんな」


 夏樹はポツリと呟き、千早に壁ドンをしている。夏樹はどんどん近づいてくる。


「や、やめて!」


 夏樹はそれ以上の事はしてない。近づくのを辞める。夏樹は千早の隣に腰掛ける。手荒てあらなことはやめてくれた。


「わ、わたし。そういう関係を望んでないんだ」

「……そっか」


 夏樹は外国人のような高い鼻をしている。確かに景吾の言った通り、夏樹はハーフだが、完全に外国人顔だ。ゲルマン系の血も入ってると聞いたからだそうだ。


「良いんだよ。……俺は振られたんだし」

 夏樹はそう言うと千早はこう言う。


「……そんなにねなくても。そうじゃなくて」

 夏樹は優しいがどこか、我関われかんせずといった、我田がてん引水いんすいの人だ。夏樹は異世界に飛んでる、面白く、楽しげな人だから、彼はずっとクラスの人気者だ。だが、少々、われこころ此処ここあらずだ。危なっかしい言動を取る。少し、周りをヒヤヒヤさせることで有名だった。だが、夏樹は言葉選びが非常にうまく、社交性と社会性に長けた性格で、周囲の人と上手く行ってるようだ。遊び人ではないと聞くが。果たしてそうなのだろうか。


「……ん? 俺は振られた訳では無いの?」


 千早は「そういう事じゃなくて」と付け加える。


 夏樹は横目流しに千早を見遣みやった。


「もうちょっとお互いのこと知ってからにしよう?」

「やっぱり俺は振られた」


 夏樹はすぐにそう言う。


「振った訳じゃないよ。これからは椎葉くんとは友達として交流を深めていこう?」


 夏樹は間を開けて、千早の眼を見ながら言う。まさか夏樹はここまでの重い人とは思わなかった。


「……俺とは友達から?」


 千早はほっと胸を撫で下ろした。

 夏樹はこう言う。


「俺は正直、重いし。雪代以外女性には興味ねーからさ。万が一、振られたら俺は一生独身を貫くんだ」

 と夏樹は言った。


「……そ、そっか」

 千早もそう答える。


 夏樹はチラチラと見てくる。

 千早は顔を真っ赤させる。ここまで来ると恥ずかしい。


「……雪代?」

「……俺は雪代ほど真面目な性格ではないし、寧ろ俺は苦労とは程遠いし、気楽に生きてるからさ。俺は全然雪代の事を解ってないと思う。だから、かえって、雪代と繋がる切欠きっかけが全然なくて……。だから、俺はこんな突飛とっぴな行動に出ちゃったんだ。ごめんな」


「……そっか」

「というより、俺は雪代ほど、気をつかえる性格ではないし、寧ろ、無神経な方なんだ。お前のことを自分勝手に傷つけちゃってごめんな」


「いいよー」

「……雪代は俺のことは全然解らないと思うし、俺も解ってない。寧ろ勝手な行動に出て雪代の事を傷つけちゃったし……ごめんな? 俺は女子と関わったことはほぼ、ないから、どうすればよいか全く解らないんだ」


「……そっか」


「雪代は俺と友だちになりたがっていたね。俺は雪代のことは友達として捉えられないし、これからも、友達として、付き合うつもりはない。俺は雪代が好きな異性としてなんだ」


「わたしが、好きな異性?」

「うん、雪代はたぶん、俺がアプローチしたのを良い人、親切な人と捉えがちだと思うんだ。俺と友だちになりたがっていたと思う。俺は異性の友達は作らないんだ。俺の主観ではね」



「俺はそこまで雪代ほど、性格良くはないから良い人って捉えられたら嫌なんだ。俺はそこまで聖人せいじん君子くんしではない。八百万やおよろず神々かみがみでもなければ釈迦しゃかでもない。イエスでもないんだ。俺はそんなに性格良くないし……どうしようもないんだ」


「そんな事ないよ!」


「あはは。ありがとう。雪代は性格良いね。雪代は俺と違って、繊細だけど、人思いで、優しいし、いい子だし、俺と違って思慮しりょ深いし、雪代にはたくさん良いところがあるんだよ?」



「椎葉くんはわたしの事をどうして好きになったの?」

「俺のことを彼氏に昇格してくれるの?」

「そうじゃないよ」

「解ってるよ、雪代といると心の中の汚いものが拭われていく気がするから」


「……俺、雪代の気持ちも少し、わかる気もするよ。雪代とは友達として、仲良くなっていくよ。いつか特別な彼氏と思ってくれるように」


「俺達の友情を記念して、缶ジュース買ってやるよ」


 夏樹と千早は連絡先を交換した。夏樹が置いたのは優しい色のオレンジの缶ジュースだ。

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星空の欠片 朝日屋祐 @momohana_seiheki

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