第3話 神野声時
「ちわーっす」
もう二週間くらいになるだろうか。俺はなんてことはないこの同好会にせっせと通っていた。モノ好きも良いところである。しかし、他に自分の居場所が校内にあるわけでもなく、友達友人がいるわけでもなく、勉強に励むつもりもなければ、他の部活で汗を流したりする予定もなく、本を読む虫になる程度のことが精々である。気になること少しあるし、他に行くところもない。留年にはなりたくないしな。顔だけでも出しておかないと。
「こんにちは」「千木野君、こんにちはです」「やあ、千木野くん」「よお! 千木野」などと挨拶を返された。なんだろうな、これが友達というやつなんだろうかな。あまり友達とか、特に女の子の友達とかいたことがないから、なんとも居た堪れない気持ちになった。
「もうすぐ宿泊研修ですね。小樽でしたっけ。楽しみです」
女子は二人固まって座っていて、男子は反対側に固まって座っている。俺も男子のそちら側に座ろうとした時、知花さんに話しかけられた。だから返事をした。普通のことである。
「いや、別に遊びに行くんじゃない。自己分析とか、クラス毎の発表会とか、そんなのをやらされるんだ。プライベートな時間まで奪われて、クラスメイトと一緒に過ごすことを強制されて。億劫だよ」
それも同じクラスといえば同じバカ、エンドのEクラスの連中で、その中から宿泊研修のグループとか宿泊部屋が決められる。女子とは別部屋になるだろうから天地がひっくり返っても知花さんみたいな可愛い子とは一緒になれない。憂鬱だ。何が楽しくてガキみたいな男とかと一緒にならねばならん。
「そうですか? 自由見学とか一緒に回らないかって、話をしていたんですけど。楽しいことはきっとあると思いますよ?」
なん……だと……? 俺は二度振り向いた。だって、俺が女子と自由時間に自由行動をするだと。自由というのはつまり自由であるが故にその自由であるというあの自由なのか? ……よくわからなくなってきた。しかし、知花さんは同じクラスだからともかく、あの風川雨乃がそんなこと、許したりするだろうか。最高クラスのAクラスに所属し、人間関係も、勉強も、完璧で、その上最高のスタイルを持ち、美しく、他を寄せ付けず、まさに高嶺の花という表現がふさわしいというのであれば校内では彼女以外にいないだろう彼女が、俺と自由行動? 思い込みと偏見が激しい俺ではあるが、しかし同時に常識的思考も忘れずに持ち合わせているのも忘れてはならない。その常識的思考からすれば、やはりどう考えても不運にも同じ部活に、所属してしまったとはいえ、そんな行動をするとは思えない。冴えないエンドクラスの最底辺のような男だ。楽しいはずの自由行動が楽しくなくなってしまうだろ。普通に考えて。
知花さんも、知花さんである。
巷の噂を聞いたところではかなりの数の男がまあ、知花さんと風川に好意を向けているらしい。Eクラスのバカの殆どは知花さんの優しさと胸しか見ていない。風川の名前が挙がるのは、まあ、学年一の美貌と美少女っぷりと振る舞いとがそう噂させるのだろう。しかしそう考えると、この部活はとても可愛らしい恵まれた部活なんじゃないかと、そう素直に思えてしまう。人手が足りないなら、その二人の可愛さとキューティーさと、みんなの憧れを振りまいてバカな奴らを集めればあっという間に大所帯部活に成り上がるだろうよ。まあ、そうやって夢見て、上見て、憧れているやつなんて本当にバカしかいないから、最初から相手にする価値なんて微塵もないのは確かなんだけどね。
「まあ、二人がいいなら別にいいけど……考えとくよ。あっ、こっちの二人は?」
「僕は、Cクラスで班を作ったから、そっちで行くかな」
「あ、はーい、はーい! 僕は空いてます! 空いてます、空いてる脇の下をそのままロックして技を決めないでイタタタタタタ!!」
まあ、この痛めつけているバカは放っといても行く当てがなくてメソメソついてくるだろうよ。可哀想な奴め。同情なんてしないし、情も掛けてやらないし、面倒もみてやらないけどな。
コンコン、コン。
ノックが鳴ったのはその時だった。それに反応して、知花さんが大きな声で「はーい、どうぞー」と言った。
教室に入ってきたのは、背の高い男だった。投手で言うなら佐々木朗希のように背がすらっと高くみえる。そしてイケメン。めちゃくちゃかっこよく、男からみてもそう見える。ハーフとまでは言わないけど、日本人離れしたすっとした顔を持っている。そしてこの男もどこかで見たことがあったような、そんな気がする男だった。
「ええと、桜崎先生に聞いてきたんだけど、『生徒お悩み相談同好会』ってここで合ってるのかな?」
「ええ、その通りよ。神野(かみの)くんね。どうぞ、お掛けになって。部長の風川です」
「知花です」
「千木野」
「羽場でーす!」
「化神です。ええと、同じ野球部だよね。僕のことわかるかな?」
「ああ、もちろん。同じ一年生だもの。確か、Cクラスだっけ?」
「そ、そうだよ。よかった。僕なんてほとんど活躍してないから、わからないかと思っちゃった」
「野球をしているのか。クラスは?」
「Eクラス。勉強はあまり得意じゃなくてね、だからEクラスなんだ。部活は好きで、野球部のピッチャーで、これでも一応一年生のエースとして投げている。野球がしたくてこの学校に入ったようなものだよ」
そうか、俺と同じクラスだったのか……どうりで見たことある顔と体型だと思ったわ。高身長で野球部のエースにして、おまけにイケメン。そんなやつに悩みなんてあるのだろうか。
「野球のために……へぇ。うちって強豪校だったのか」
「まあまあだよ」
「ふーん、そうかよ」
「それで、お悩みは何かしら、神野君」
風川が話を進めようと、切り出した。そういう強引なところ嫌いじゃないぜ。
「ええと、その、だな……ええと……」
「なんだ、言いにくいことなのか。まあ、美少女、美少女、俺を飛ばして、美少女、それとおまけにバカだからな。言いにくいのも仕方ないだろうけど、一応そういう部活なんだ。親身になって話を聞くぐらいのことは、最低でもするから安心して話すといいぜ」
「僕は女の子じゃなくて、男の子なんだけど……」
「俺はバカなのか……」
なんだ、羽場。気づいていなかったのか。それは気がつくことができて良かったな。
「まあ、そうだよな……その、相談というのは別に大したことじゃないんだけど、じつはその、告白をされて。女の子に。俺の意思としては、申し訳ないけど断りたい。野球に集中したいんだ。まだ一年だし。そんなことにうつつを抜かしていてはダメなんじゃないかと、素直に思うから」
「恋愛か……よくある話だな」
生徒の悩みのベストスリーに入るだろう定番中定番の悩み。そんなのは誰でもあるし、そんなことは誰にだってあるし、誰でも同じように悩んでいるかもしれない。俺は恋愛なんて縁がなさそうだけどな。エンもユカリも無さそうである。
「ちなみに、誰に告白されたんだよ。言いたくなかったら、構わないけど」
「Aクラスの宿木(しゅくのき)というやつだ。同じ野球部で、彼女はマネージャーをしている。まだ日も浅いし、特に何かした覚えはないんだけどな」
やれやれ、イケメンは大概決まってそう言うんだよ。少しでも女の子に優しくしてみろ。それで一撃だよ。チャンス一撃。そんなのは、もう恋の道まっしぐら、一直線になってしまう。イケメンがイケメンたるゆえの罪というか、原罪というか、まあ、他人に相談するほどの面倒に悩まされるようなので、まったく羨ましくはないが、しかし、俺はここの部活動を命じられている。解決はしなくても、今後の方針ぐらいは導いてやらなければいけない。風川や知花さんに任せてもいいが、任せっきりというのも良くない。あとの二人は戦力になるのかわからないので、発言待ちかな。
「神野、お前は宿木から告白されたが今は一年生で部活に入ったばかりだし、野球に集中したい。しかし相手は野球部のマネージャーだ。人間関係を最初から壊すようなことをしては、部内での立ち位置や人間関係がおかしくなりかねない。いや、もう告白という事実が起きてしまっている以上、歪み始めているのかもしれないが、そこはまだ大目に見て、問題はこれからどうするのか。これは些細な事のように思えて、他人にはどうでもいいように思えるが、しかしだからこそ誰かに相談したい。一人で抱え込んでいたらおかしくなる……とまあ、大方こんなところだろう。従うかどうかは別として、俺なら結論を出せる。女性陣は何か意見あったか?」
「え、千木野くん、もう解決できるんですか? すごいです! さすが、千木野くん」
「千木野の意見をまず聞いてからにするわ。自信ありそうだし」
二人も頷く。なら……仕方ないな。
「告白を断れ、神野。直接、本人に伝えて断れ。できることならそこに第三者が見ているとなお、いい」
「えっ、それは……」
「そうだ、壊してしまえ。そんな人間関係。最初から無かったことにしてしまえばいい。楽でいいぞ。ひとりは。陰口を言われたら徹底的に全てに聞き耳を立てて、潰すか、氷の心で無視を決めつけるんだ。それか男友達をひとりでもいいから作れ。野球の下手なやつがいい。あまりうまくないやつと仲良くすると、上手いやつとだけ贔屓にしていると見られることがなくなるし、情報も幅広く入ってくるから部内の人間関係を把握するのに役立つだろう。神野、お前が怖いのは人間なんだよ。同じ部活にいる人間。そいつ等が自分のことをどう思っているのか、それを考えるのが怖いんだ」
「千木野くん、だっけか。君も他人が怖いと思うのかい」
「ああ、もちろん。超怖いね。誰に何と思われているかなんて、ものすごく気になるし、少しでも悪口言われたら死にたくなるし、気取ってるように思われたら恥ずかしくなるし、だからこそ一人であることを高校生になってからは貫いてるんだよ。伊達にぼっちやってないぜ? 俺は全ての噂に耳を立てて収集している。俺に関係あっても、無くても。裏も表も、どこからでも。味方なんてこの世にはいない。人間なんて馴れ合うだけ無駄、全員が敵。利用してなんぼ。自分を保つために、自分を大事にしてやらないといけないのに、誰彼他人のことなんて構っていられない。自分自身だけで精一杯だよ」
「そうか……君は、そういう。そういう考え方なんだね」
「そうだ。曲げるつもりはない。訂正の余地もない」
「私からいいかしら」
風川が手を挙げて、発言した。俺は覚悟をした。
「千木野くんの考え方の場合、相手の女の子……宿木さんのことは考えていないように思えるのだけど」
「もちろん、対策は講じるつもりさ。条件付きでね」
「条件?」
俺は満面の笑みで、ひとりの美少女の肩を両手で取り、さっと差し出した。
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