第4話 「NHK素人のど自慢」に見る縄文人感覚
① 感情移入・一体感・平等感覚
縄文人はみな同じ種族・血筋の家族であり仲間ですから、舞台で歌う人・アナウンサー・ゲスト歌手に対して、観客は感情移入して一体化できる。
どこにも、特別な「スター」や権威はいない。
合格や不合格の鐘を決めるのは、偉そうな専門家や審査員ではなく、観客や、テレビ・ラジオを視聴している私たちみんななのです。実際には、審査員が決めているのですが、そんなことは誰も意識していないくらい、平等感覚で進行しています。
(人ばかりではありません、縄文人は「針供養」「茶筅供養」といって、物にまで感情移入して一体化し、大切にする。お茶碗とかお箸なんて言うのも、やはり縄文人らしい、ものを大切にする心なのです。)
② ノリの良さ・根明(ネアカ)
同じ「おらが村」の仲間だから、音楽に合わせて、歌う人のフリに合わせて、観客や招待歌手までもが一緒に手拍子を打つ、ノリノリの境地。
合格するようなうまい歌よりも、へたでもいい、歌い手と観客の明るいノリ・優しい一体感が楽しいのです。
③ 頭ではなく心、血が騒ぐ
テレビやラジオ番組で、在日韓国人の漫才師・タレントの司会やパーソナリティーが「心」なんて口にしますが、全然「心がこもっていない」。口先だけの「心」です。
ラジオで聞くとよくわかります。
「心、心」と、やたら連発するのですが、いかにも軽い・中身がない・全く心がこもっていない。
彼ら在日系の歌手の場合、心で歌うのではなく、見世物興行的な演出で存在感を出そうとする。5人・10人で、ローラースケートを履いたり、女性はパンツ丸見えの衣装で跳ね回る。数の力で下手な歌をごまかし、見世物的な振り付けで観客の目を眩ます。だから、韓国系の歌(KPOP)は、ラジオではとても聴けたものではない。
「NHK素人のど自慢大会」をラジオで聴いていると、彼や彼女たちの素朴で真面目で優しい縄文人の人間性が、声と歌詞だけでしみじみと伝わってくる。
盆踊り・全国各地の祭りにしても「テレビ用に昨日今日作られた衣装や大道具」ではなく、その土地土地の昔からの伝統がベースとなって、みんなで作り重ねられてきた。その長いあいだに醸造された心が太鼓を叩き、バカ踊りをし、バカ騒ぎとなる(阿波踊り、高知よさこい)。日本の祭りとは、見世物ではなく、縄文人みんなの心の触れ合い・心の躍動・同じ心同士のぶつかり合いを感じる場なのです。
数年前、私は徳島市の近く、池田市の路地裏で、夜、大雨の降る(夕立)中、十数人の男女が狂気の如く、しかし完全なる秩序をもって踊るのを観て、これが日本人(縄文人)なんだ、と感動しました。
熱狂と言って、リオのカーニバルのような見世物的熱狂ではない。
外に向かって爆発する(explosion)のではなく、内に向かっての爆発(implosion)。爆発というよりも、同じ民族同士が心で・スピリット(魂)で融合する、というべきか。
縄文人(原始日本人)という、何万年もの長いあいだ、味噌や酒のように熟成・醸造されてきた伝統的な「心からの心・心のこもった心」と、外来種偽日本人が口先だけの日本語でペラペラ喋る心とは、全く異なる。それはまるで「発酵と腐敗は紙一重」というのと、同じ関係なのです。
2024年6月9日
V.3.1
平栗雅人
ラジオで味わう縄文人 ①「眠れない貴女(あなた)へ」 V.3.1 @MasatoHiraguri
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