第10話 初バイトと先輩

 無事にバイトの採用が決まった俺は、早速、翌日から入っていた。

「本日から働かせていただきます、神白颯です。よろしくお願いします」

 事務所内で、俺は社員の方、バイトの先輩に軽い挨拶と名前だけの自己紹介をしていた。事務所内には、俺含めて六人しかいない。今はどこも人手不足なので、こんなものなのだろう。俺が採用されたのも、それがあるのかもしれない。

すると、そのうちの一人の男性店員が話しかけてきた。実年齢はわからないけど、多分、俺より三つぐらい年上だと思う。

「おぉっ! きみ、よくうちにラノベや漫画の新刊買いに来てくれる子だよね? オレもラノベとか漫画好きだからよろしく!」

「本当ですか⁉︎」

 やばい、覚えてくれているだけでも嬉しいのに、趣味を共有できる人がいるなんて! 

「あとで話そうぜ!」

「はいっ!」

 うわ〜、めっちゃ盛り上がりそう!

「じゃあ、新川(あらかわ)さん、神白くんの指導係お願いできるかな?」

 多分、業務中話す可能性があるから、今の人との組み合わせはわざと外されたんだろう。別の人が、俺の指導係に指名される。店長に名前を呼ばれた新川さんという人は「は〜い!」と元気よく返事をした。

 って、嘘だろ⁉︎ めちゃくちゃ、可愛い系の人じゃねえか⁉︎

 金髪のショートヘアで、目はクリクリとして可愛らしく、小柄な体躯に活発で人懐っこそうな性格。間違いなく、クラスでは可愛がられキャラの位置にいるであろう女の子だった。そして、俺が苦手なあざとい女の子に違いない。というか、まさか本当にバイト先に可愛い先輩がいるなんて! 展開がフィクションすぎる! だが、恋愛には絶対に発展しないだろう! なぜなら、俺が一番苦手としているタイプの女の子だからだ!

「じゃあ、それぞれ仕事始めちゃってください」

 みんな事務所を出て、それぞれの持ち場に戻る。事務所内に残ったのは俺と俺の指導係に任命された陽キャギャルの新川さんだけだ。

「えっと、よろしくお願いします」

「そんな畏まらなくていいよ! どうせタメぐらいでしょ? あたし、新川瑠菜(あらかわるな)! よろしくね! ハヤ!」

「は、ハヤ……?」

「そう! 颯だからハヤ!」

 ネーミングセンスねえ……。もう完全にノリだな……。というか、なんていう距離の詰め方なんだ! 一瞬で間合いに詰めてきやがった! 陽キャやばいっす! 

 眩い陽キャに思わず尻込みしてしまう。

「えっと……、新川先輩……? 僕たちの仕事って……?」

「だ〜か〜ら! タメでいいって! あたし、そういう堅いの嫌いだから! 普通に瑠菜でいいよ?」

 ズイっと、一歩前に出て顔を近づけてくる新川さん。

 距離ちかっ! なんか、柑橘系? のいい匂いもするし! しかも、俺の方が頭一個分くらい身長高いから襟から白い鎖骨が見えるんだが⁉︎ それに、女子の下の名前を呼ぶなんて霞姉以外にしたことないぞ! というか、霞姉にすら姉を付けてるし! 

「それはちょっと……」

「もしかして、下の名前ぐらいで恥ずかしがってんの?」

 陽キャは下の名前やニックネームで呼び合うのに抵抗がないのか⁉︎

「なんなら、『なっちゃん』とか『るなっち』でもいいよ?」

「じゃ、じゃあ、瑠菜で……」

 無理だ。俺にできるはずがない。女の子をニックネームで呼ぶなんて……。ハードルが高すぎる……。

「うんうん、よろしい! じゃあ、仕事の説明するね。と言っても、基本的に棚出しと整理しかやらないんだけどね。あとは、お客さんの求めてる本を探すぐらい」

「わかった」

「じゃあ、早速、やってみようか」

 俺は新川さんと一緒に事務所を出て、店内を歩き回る。雑誌、漫画、ラノベ、一般文芸、その他諸々。それぞれコーナー分けされているのは、店に通い続けているため知っているので、どこに何のコーナーがあるのかもわかっている。なので、特にこの辺は覚えることはなさそうだった。

「続いて棚出しなんだけど……」

「すみません、少し待っててください」

 説明してくれている最中に遮るのも申し訳なかったが、先ほどから何かを探している様子の年配の男性が気になり、話を中断してその人に話しかける。

「すみません、何かお探しですか?」

 まだバイト始めて一時間ぐらいの新人の俺には出過ぎた真似なのかもしれないが……。

「この作者さんの本を探しているのですが……」

 見せてくれたのは一般文藝の小説だった。

「少々お待ちください」

 えっと……、作者は富水伽耶。

 俺は一般文藝のコーナーに行き、先ほど見せてもらった作者を探し、お客さんの探しているタイトルの小説を探す。

 なさそうだなぁ……。

 棚には陳列されておらず、見つけることができなかった。すると、

「男性が探していた本は在庫を切らしてたよ」

「瑠菜⁉︎」

 いつの間にか先輩に手を煩わせていたらしい。

「すみません、結局、手伝っていただいて……」

「本当だよねぇ。先輩の話を途中で投げ出しておいて、挙げ句の果てに見つけることができないなんて。お節介だねえ、ハヤは」

 グサグサと俺の心を抉るようなことを言う瑠菜。しかし、事実なのでしょうがない。

「本当にすみません」

 申し訳なくなり、俺は瑠菜に頭を下げる。

「でも、その放っておけない優しさは大事だと思うよ」

「……ありがと、瑠菜」

「どういたしまして。っていうか、今あたし、超いいこと言わなかった⁉︎」

 ドヤ顔でそんなことを訊いてくる瑠菜。

「いや、ドヤ顔するほどいいことは言ってない気がするが……。」

「うわ〜、ノリわる〜! そこは嘘でも『そうだな』って言うところでしょ!」

 そう言って、ブーブーとブーイングしてくる瑠菜。いや無理だろ。俺に陽キャのノリを求めないでくれ。

 その後、仕事内容の説明を改めて受けながら、初日のバイトが終わった。


 八時にバイトを終えた俺は徒歩で帰宅していいた。部屋にこもってゲームもしくは読書しかしていない俺にとって、力仕事は酷なもので、初日にもかかわらずぐったりしている。

 少しでも運動してたら違ったんだろうなぁ……。 

 体育の授業という最低限の運動しかしてこなかったことを今頃になって少し後悔する。だからといって、これから運動する習慣をつけるのかと言われれば、別にそのつもりはないのだが。

 バイト先から歩くこと二十分ほど。俺は家に着いた。

 今日はもう、晩飯食って風呂入ったら寝よ……。

 体も疲れを感じているし、気持ち的にもそんな気分だった。だが、

「ただいまぁ……」

 玄関の扉を開け家に入ると、バタバタとリビングの方から走ってくる音がして、

「おかえり、颯くん」

 十数秒後には優しい笑顔を浮かべたエプロン姿の霞姉が出迎えてくれた。その瞬間。俺の疲れはどこかへ吹き飛んでいた。だって、出迎えてくれた霞姉が、まるで奥さんのように見えたからだ。さらに言うなら、先ほどの『おかえり、颯くん』が、『おかえり、あなた』もしくは『おかえり、ダーリン』という風に聞こえてしまったのだ。

 そして、そういう風に思ったのは俺だけではないようで、霞姉も頬を赤らめて瞳を濡らしながら照れくさそうに言う。

「いまの……、なんか……、夫婦、みたいだったね……?」

 ズキュンッ! ズキュンッ! ズキュンッ! 

 アニメなら主人公のハートに幾つもの愛の矢が刺さるような、それぐらいに今の霞姉の言葉と表情には破壊力があった。もちろん、今までの暮らしの中でこういう場面は幾度となくあった。だけど、今までとは全然違うのだ。告白されると、ここまで意識してしまうのだと改めて実感させられる。

「……た、ただいま……」

 俺たちの間に気恥ずかしい空気が漂う。しばらくの間、互いに恥ずかしい気持ちから俯いたままで顔を合わせることができない。その沈黙を破ったのは、リビングから鳴り響いたご飯の炊きあがりを知らせるタイマーだった。

「あっ、ご飯炊けたみたい!」

「そ、そうか……! 着替えて手洗ったらすぐ行くよ!」

「うん!」

 俺はその場から逃げるように自室に向かった。

「霞姉のあれは天然なのか……? それとも、狙ってやってるのか……? どっちにしろ、可愛すぎるだろ……」

 霞姉のおかげで、バイトで溜まった疲労がどこかへ消えていった気がした。 

 俺は制服から部屋着に着替え、洗面所で手洗いを済ませリビングに向かう。そこにある食卓の上にはすでに料理が並べられていた。湯気が出ていることからどれも出来立てのようだ。

「霞姉。もしかして、俺が帰ってくる時間に合わせて作ってくれたのか?」

 自惚れぬなって思われるかもしれないが、どうしても、相手が自分に好意を寄せてくれていると思うとそう考えてしまう。でも、事実そうだったようで霞姉が頷く。

「そうだよ。颯くんと一緒に食べようと思って。あっ、お風呂も沸いてるから」

「ごめん、霞姉。何から何までありがとう」

「気にしなくていいよ。それに、バイトなんだし仕方ないよ。ほら、食べよ」

「ああ」

 俺は席に着き、手を合わせ霞姉が作ってくれたご飯を食べ始める。

「美味しいよ、霞姉」

「ありがと」

 黙々と食べ続けていると、霞姉が質問してきた。

「それよりも、颯くん」

「ん? どうした、霞姉」

「さっき、颯くんに近づいた時、微かに女の子の匂いがいしたんだけど。もしかして、バイト先に可愛い女の子でもいたの?」

「うんぐっ⁉︎」

 俺は霞姉の的確についてきた言葉にむせ返ってしまい、慌てて水を飲む。

「げほっげほっ……!」

「やっぱり……」

 俺は疑問なのだが、そんなに服に残るものなのか? 俺は全然わからなかった。

 服についてる匂いは間違いなく瑠菜の匂いだろう。なにせ、同じ時間にバイトを上がり、途中まで一緒に帰ってきていたのだから。それに――、

 ――絶対に言えない。腕に抱きつかれたなんて。口をついてでも言えるわけがない。

にしても、怖すぎるだろ! 

ラブコメ作品で、そういう別の女の子の匂いがするとかいう展開は見たことがある。だけど、俺は今までそれに疑問を覚えていた。本当に匂いなんかわかるものなのか、と。でも、こうして現実で言われ、さらには的確に当てられれば、もう疑いようがない。

「それで、可愛い子なの?」

 霞姉がジト目で詰問してくる。

「ま、まあ……、可愛い、かな……」

 俺は目を逸らしつつ素直に認める。

 瑠菜のあの容姿を見て可愛いと思わない人はいないと思う。それに、あの人懐っこい性格。想像しなくてもわかる。モテる人だと。でも、俺にとっては苦手なタイプの女の子だ。可愛いのは認めるが。

「ふうん、そうなんだぁ……」

 頬を膨らませてそっぽを向く霞姉。怒ってますよ、と言いたいのだろうが、それ以上に愛らしさが勝っていて怒っているようには見えない。まあ、本気で怒ってはいないのだろうけど。

「…………私より可愛かった……?」

 …………。可愛い質問すぎて言葉が出ません。

「答えないってことはそういうことなんだね?」

「いや、えっと……」

 こんなの言い淀むしかない。瑠菜には申し訳ないが、圧倒的に霞姉の方が可愛い。身内贔屓なしにしても、天と地の差がある。もちろん、瑠菜と知り合ったのは今日が初めてなので、まだまだ知らないことがたくさんある。だけど、狙ってやっているのか、やっていないのかでは大きく変わる。霞姉の場合、狙ってやっていても俺にアプローチをしていると知っているので、あざといとは思わないのだ。対して瑠菜は、明らかにあざとさがある。俺はあざとい女の子は好みじゃないので、霞姉の方が可愛いと思う。それに、容姿においても霞姉の方が上だ。だけど、本人を前にして言えるわけがない。昨日のは、流れというか、雰囲気で口走ってしまったけど……。

 霞姉がずっとこちらを見てくる。

 圧がすごい……。多分、話題を変えようと思っても返させてくれないんだろうなぁ……。

「……霞姉の方が可愛いです……」

 あぁ、なんだこの恥ずかしさは……。街中にいるカップルで、男性が照れる様子もなく彼女に『可愛いよ』とか『綺麗だよ』とか言ってるの見かけるけど、普通にすごいな。こんなの口にしたら俺は恥ずかしいわ。もう、今のだけで霞姉の顔見れないし、体中が熱くなってる。

「そうなんだぁ」

 霞姉の声色が明らかに変化した。もう、今の一言だけでも喜んでいるのが声色から伝わってくる。多分、俺の反応から嘘偽りがないと察したのだろう。

「よしっ! じゃあ、後片付けするね。ふんふんふ〜ん」

 鼻歌まで歌い出したし、スキップしそうな足取りだし。完全にご機嫌だ。

「俺も手伝うよ」 

 俺の仕事である風呂掃除もやってもらって、その上、後片付けまでさせるのは悪い。そう思い、俺は霞姉と一緒に食器を洗うのだった。

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