十月
第21話 山頂の岩
不気味な赤ん坊の声もしなくなったので、イヌスケとまた裏の山を散策する。青葉が眩しい初夏に行くのとまた違い、この季節の散策も結構楽しい。地面に敷き詰められた竹の葉っぱがからからに乾燥し、サクサクと軽い音を立てている。足の裏の感触も軽やかで、たまに乾いた小枝をパキパキと踏む音が混ざる。
足元に目を凝らすと、ところどころにドングリが混ざっている。僕はドングリのコミカルなフォームが結構好きで、特にずんぐりむっくりでトゲトゲした帽子をかぶったものを見つけるとわくわくする。
今回の散策は、とにかく山の上へ上へ行ってみようと思う。出発前に千華子さんに告げると、ペットボトルの水、フリーザーバッグに詰めた犬用お菓子、小分けになったおせんべいやお饅頭、小さく切ってタッパーに詰めたチーズケーキを渡してくれた(ちなみに今日は、砕いたクリームサンドクッキーを混ぜたベイクドチーズケーキ)。
「何だか悪いね。」
「良いのよ、残りのチーズケーキと交換しましょ。この量のお菓子ならつぶれないでしょう。」
「ありがとう。千華子さんは一緒に行かないの?」
「行かない。チーズケーキ食べて待ってる。」
「そう…。」
「あのね。」
「何、一緒に行きたくなった?」
「ううん、そうじゃないけど。チーズケーキは山頂まで取っておいて。まあ、念のために。」
「何かあるの?」
「見た方が早いわ。」
「一緒に行って説明してくれないの?」
「行かない。チーズケーキ食べて待ってる。」
「そう…。」
そんなわけで僕は、イヌスケと千華子さんの真心こもった荷物と一緒に山の山頂を目指して上へ上へ歩いているのだ。裏山の高度が低い箇所は竹ばかりが目立つけれど、登るにつれて杉の木の割合が大きくなっていく。竹や杉の合間を縫ってクヌギやコナラや山桜が生えている。、
木々の間には様々な蔓状の植物が茎を伸ばしていた。黄土色の小さい実が申し訳程度に生っている乾燥したものもあったし、緑色の蔓と葉が木を覆っているものもあった。木の幹のような色と太さの蔓もあった。子供の頃、こういう蔓でクリスマスリースを手作りしてみたかったなあと思い出しながら足を進めた。
少し汗ばみながら一時間程歩いていると、登り坂が突然途切れた。山頂だ。
僕のアパートの部屋程の平らな地面が広がっていた。木々は生えておらず、植物も背丈の低いものしかない。その代りその土地の真ん中に大きくて平らな岩が一枚ごろっと置かれていた。
岩の辺りから、規則的な音が聞こえる。イヌスケも怖がっていないようだし、恐る恐る近づいてみる。
あ、寝息だ、これ。
人の呼吸より長くて低い呼吸音が、岩の上からしていた。恐らくイヌスケのような透明ななにかが岩の上で寝ているのだろう。呼吸音から察するに、岩の上の面積をほとんど占める程度に大きいようだ。牛位だろうか。
岩の下には、誰かが岩にお供えをしたような跡が残っている。大きな草の葉が所々に置かれ、その上にお菓子の残骸らしきものが点々としていた。なるほど、これが千華子さんが言っていたチーズケーキを残しておいた方が良い理由か。
僕も真似をして大きな葉を探す。日の当たらないところに大きなシダの葉を見つけたので、その葉をちぎって岩の下に置く。そしてその葉の上にチーズケーキを乗せる。手を合わせたりする必要はないだろう。
丁度いいから僕たちも休憩にしよう。水やお菓子を取り出そうとカバンをごそごそと漁っていると、岩から大きいものが身じろぎする音が聞こえた。岩から何かがふんふんと鼻を鳴らしているような音が聞こえる。透明な何かは、僕の供えたチーズケーキを見つけたらしく鼻息を止めたかと思うと、もちゃ、と音を立ててチーズケーキが消えていった。気に入ってくれたのだろうか、咀嚼しているようだ。
そんな様子を見ていると、その透明な何かは僕たちを見つけたようだ。岩からどすりと降りてきて足音が近づいてくる。立ち尽くしていると、僕の手の中の饅頭を見つけたらしい。大量の鼻息がかかる。
足元の葉っぱをちぎって鼻息のする方へ向き合う。葉の上に饅頭を置いて、足元に供える。饅頭が一瞬でもちゃりという音と共に消えた。まだふんふんと鼻息が聞こえる。
今度は煎餅を葉っぱの上に置いて、鼻息のする方へ供える。
もちゃり。ふんふん。
イヌスケに謝って、イヌスケのおやつも葉っぱの上に置いて、供える。
もちゃり。ふんふん。
ペットボトルを開ける。水をゆっくりと傾けて流す。
もちゃり。もちゃり。もちゃり。
流れる水が所々途切れて消えていく。
ペットボトルが空になったところで、僕は両手をひらひらと振って鼻息のする方へ言った。
「もうないよ、ないない。」
心持ち鼻息が大人しくなったので、イヌスケを連れて山を降りる。
透明な大きい何かは付いてこなかった。
千華子さんに事情を説明して、僕の飲み物とイヌスケの水とおやつを追加で貰えないか話したら、「ああ、やっぱりね」という回答と一緒に用意してくれた。
「あれは何なの?透明な牛?象?」
「さあ、わからないのよ。鳴くわけでもないから。」
「何故みんなお供えをしているの?」
「さあ、それもわからないのよ。昔からなんとなく置いているんでしょうね。」
そういうものなのか。
「そういえば、触ってみた?」
「いや、触ってはいないよ。手を食べられたら嫌だったからね。」
「あら残念。気持ちいいのよ、もちゃっとしてて。」
そうなんだ、また今度行ってみよう。その時はもっと沢山の食べ物を持って、千華子さんを連れ出そうと思う。
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