八月

第18話 お盆

 東北といえど暑い日はあり、千華子さんのお家にチーズケーキ(ヨーグルトで作ったサッパリ風味のレアチーズケーキで、レモンの砂糖漬けを挟んだもの)を持ってお邪魔したときは、まさにそんな日だった。暑さのピークを避けて夕方の手前にお邪魔したのに、まだまだ蒸し暑い。クーラーのある居間にいても良かったのだが、千華子さんと二人きりになれる縁側にゴザを敷いて夕涼みする事にした。

 虫除けスプレーを体にかけた後、横になって千華子さんの膝に頭を乗せて庭を見る。初夏の新緑の青さは無く、植物達は皆濃厚な緑色に茂っていた。千華子さんが和紙の丈夫なうちわで器用に僕にも彼女にも風が来るように扇ぐ。和紙の中心には上品な水色のアサガオが数本のツルを携えて咲いている様が描かれていた。彼女も少し汗ばんでいる。山からは蝉の合唱が聞こえる。アブラゼミやミンミンゼミの塊のような鳴き声の中に、偶にカナカナゼミの鳴き声だけが独立している。

 居間から仄かにお線香の匂いがした。千華子さんのお家では、お盆になると大きな里芋の葉を裏返したものに、枝豆の餡を絡めたお餅と柔らかく短い素麺のようなものを小さく乗せ、お仏壇に備える。それと巨大な和三盆のような砂糖菓子を重ねたものを置いて、花瓶にほおずきを飾って、中の電球がくるくると回るぼんぼりを設置すれば、千華子さんのお家のお盆の風景になる。

 セミの声が喧しさは不思議だ。あんなに大音量なのに、耳を澄ますと千華子さんのうちわが風を切る音や、千華子さんが傍らに置いてくれた麦茶のグラスの中で氷が溶ける時特有のあのちゅーっという音も聞くことが出来る。

 そうやって夢うつつにまどろんでいると、庭の茂みに何か真っ白な物を見つけた。それは松の木とツツジの茂みの間に佇んでおり、松の幹の灰と茶色の斑模様からもツツジの葉の濃厚な緑色からもぽっかりと異様に浮かび上がっていた。

 それなのに、その白いものの実態がうまく掴めない。白い靄が立ち上がっているような、靄の中心に白い石が立っているような。そう思いながらよくよく目を凝らして見ると、ぎくりと体が硬直する。正体が分かった。


 人骨だ。


 体の周りがぼやけている骸骨が、僕達の方を向いて直立不動で立っている。

「おじいちゃんのお父さんよ。」

 僕の視界の先に気付いた千華子さんが言う。

「おじいちゃんが小さい頃、戦争で持って行かれちゃってね。それ以来この時期に出るの。」

 あやすように僕の手を、空いている方の手と絡ませる。

「もっと前は軍服姿で出てきたんだって。でも少しずつ軍服と皮膚が薄くなってぼやけていって、今のような姿になったの。私が小さかった頃は、骨の姿だけどもっとはっきりしていたのよ。多分これからはもっともっとぼやけていくんでしょうね。」

「軍服姿の時から帽子を深く被って表情は分からなかったらしいから、どんな気持ちで出てきているのかは分からないわ。帰りたくて仕方なかったからなのか、おじいちゃん達が心配だからなのか、それともお盆だから帰って来てるだけなのか。昔、おじいちゃんのお母さんが毎年話しかけていたらしいけれど、返事も顔を上げる事もなかったって。」

「まあ、なんにせよ、あまり目をそらしてはいけないけれど、あまり考えすぎてもだめよ。」

 「うん…」と返事をした後は、千華子さんと何を話すでもなくぼんやりとその骨を見ていた。そうこうしている内に、辺りが一気に雲に覆われ、暗くなって、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。夕立だ。

 いけない、と千華子さんが僕を膝から降ろし、つっかけを履いて外に出て、物干し竿を洗濯物ごと車庫へと運ぶ。

「何か手伝おうか。」

「下着とかもあるから、いい!」

 そう叫んだあと、少し考えるそぶりをした。

「…やっぱり玄関開けておいて!すぐ洗濯物取りこんじゃうから!」

 玄関を開けるついでにと思い、ゴザを畳んで飲みかけの麦茶を片しているところで、もう一度庭のツツジと松の木の辺りを見た。千華子さんのひいおじいさんは、もういなかった。

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