七月

第16話 梅干

 千華子さんの家には梅の木があるため、おばあさんが毎年梅干を作っているそうだ。その過程の中で、大量の梅干を大きなザルに移し、日干しする。底の浅いザルにこれでもかと真っ赤な梅干が並んでいる様を見たけれど、圧巻だった(ちなみにこの日のお土産は豆腐を混ぜた変わり種レアチーズケーキ)。

 梅干はその段階で既に食べられる状態になっている。千華子さんが食べても良いよ、と言ってくれたので、お言葉に甘えて頂くことにする。それにしてもこの辺りの人達は何かを食べさせるのが好きだ。そして僕もついつい食べ過ぎてしまう。

 紫蘇をふんだんに使った梅干の赤は、トマトや紅葉よりもずっとずっと深く、着色料の入った市販の物よりも上品に紫がかっていた。口に含むと、日光でほんのり暖かい。味は紀州梅と違い、ストレートに酸っぱい、しょっぱい。粒が大きめなので、口の中全てが梅干の味になった。

 梅干なんて久しぶりに食べたなぁと思いながら、うっとりと噛みしめていると、ザルのちょうど中心にある梅干が振動しているのを見つけた。じっと見ていると梅干のてっぺんが横にぱっくりと縦に裂けた。更に梅干は振動を続け、震えるごとに下へ溶け、横へ広がっていった。しかも、てっぺんの裂け目からは何か聞こえてくる。アニメに出てくる女の子のような、喧嘩中のネコのような高めのトーンで、裂け目を人の口のように動かして、梅干が何か言っているのだ。言っていることは、意味のある言語ではなくて、何か鳴き声やうめき声のようだ。文字で書くのは難しいけれど、無理に表現するならば、「うやうやうやうやうや」と言っているようにも聞こえる。

 そう呻きながら、振動しながら、梅干はしその葉を巻き込んで下に下にずるずると融けていき、ある程度の融解の後、いきなり叫び声を上げて逃げ出した。

「うわあーーーーーーーー。」

 声のトーンは変わらず喧嘩中のネコのようで、ザルに面した、融けていった場所を器用に動かして、高速で這っていった。

「驚いた?」

「以前テレビでウミウシを特集していたんだけれど、ああいう動きで海中を移動してたよ。」 

 千華子さんが何だか得意げに聞いてきたので、素直な感想を述べたら、すっかり慣れちゃって、となんだか不満そうな顔をした。

「毎年こうなのよ。だから見張ってたの。」

 不満そうな顔のまま、千華子さんは言った。

 うやうやうやとまた聞こえたのでザルの方に目線を戻すと、また梅干が振動を始めていた。それも一つではない。複数の梅干が同時に振動している。これも逃げるんだろうかと見ていると、千華子さんが一番融けている梅干を捕まえて口に入れ、他の梅干に見せ付けるように豪快にガリゴリと噛み砕いた。

「驚いた?」

「種も噛み砕けるの?」

 また千華子さんが得意げに聞いてきたので、僕は気になった点を聞いてみた。「そうじゃなくて…」となんだか釈然としない顔をされてしまった。

「こうやって鳴いているやつは噛み砕けるのよ。多分つくりが変わってきてるのね。」

 釈然としない顔のまま、千華子さんは教えてくれた。

 ザルの中では、さっきまで振動していた梅干達が振動を止め、諦めたように以前の梅干の形に戻っていった。

「驚いた?」

「ちゃんと元に戻るところが律儀だね」

 またまた千華子さんが得意げに聞いたので、梅干を褒めてみた。「えぇー」と言われた。こうやってちょっとだけ千華子さんに意地悪すると、なんだか癖になりそうな面白い反応をしてくれる。

「こうやって見せしめにしないと、逃げようとするのよ。」

「逃げるとどうなるの?」

「どうにもならないわ。数日後にその辺で力尽きてるの。だから、おばあちゃんの労力が無駄になるだけ。」

「なるほどね。」

 ちなみに千華子さんの家では、晩秋から冬にかけて干し柿を吊るす。そして梅干の時のように干し柿も鳴く。こちらの方は、不満げなネコのような、人生に疲れ果てた中年女性のような低目のトーンで「うおーーーー」と鳴く。そして体を左右揺らすのだけれど、こちらは吊るされているので動けない。それに梅干ほど『つくり』が変わらないらしく、熟しきった実で暴れると、紐とつながっている枝やヘタから実がちぎれてしまい、べちょりと地べたへ落下してしまう。その為、はじめの一体が暴れて身投げしてしまうと、他の干し柿達は諦めて動かなくなる。

 ただ、時折自分の身を嘆くらしく上記のような声で恨みがましく収穫されるまで鳴くのだった。

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