第13話 沢の水

 千華子さんの家の山は筍のピークを迎えている。千華子さんのおじいさんとおばあさんが畑仕事の傍ら、時には家族総出で山に入り、筍を取ってくる。

 先日雨が降ったため、筍が大量に取れた。猪が出て一時期は食べ尽くされていたけど、イヌスケのお古の犬小屋にラジオを入れて夜中流していたら猪除けになった。そういった事を千華子さんのおばあさんが得意げに語りながら、筍の皮むきをしていた。気付いたのだが、この集落の人はとにかく話好きだ。どうでもいいことからとんでもなく深刻な話まで開けっぴろげに話してしまう。特にお年寄りにその傾向がある。

 おばあさんの筍の皮むきは惚れ惚れする程手際が良い。筍の根元を掴み、筍の上から三分の一程の位置に斜めに包丁を入れ、鉛筆を削るように、大きな笹掻きで先端を削ぎ落とす。包丁の刃元を筍の根元、皮が始まる所からぐっと差し込み、先端に向けて真っ直ぐ走らせる。切れ目に手を入れ、先程の切れ目から皮をまとめて剥ぐ。そして筍の根元の、根っこやままだ根っこになっていない赤い粒が付いた部位を、今度は比較的浅い角度で笹掻きに削り取る。

 この一連の流れは屋外で行われる。籠いっぱいの筍の皮を剥くので、大量の皮が出るし、本当に取ってきたばかりの筍だから、まだ泥が付いているのだ。

 皮を剥いたものを今度は水道で軽く洗う。表面についた筍のあのごわごわの毛を流す。大きめの物は縦半分に切る。

 これらのそうやって処理した筍を、とても大きな金のアルマイトの鍋に入れ、ここで初めて筍は屋内に入れられる。

 台所で鍋にはたっぷりの水と木綿の袋に入れた米糠が入れられ、一時間程茹でられる。 この際、米糠がこぼれると台所中の真っ黒なペタペタしたものが、我先にと群がっていく。最近は僕も台所に入れてもらえるようになった。千華子さん一族にとって僕は「お客様」ではなくなったようだ。

 茹でたら、そのまま数時間放置する。放置の後は濃厚な米糠の匂いと青臭さが残る筍を大きなプラスチックの円柱型のコンテナに入れて、イヌスケの小屋と反対方向にある屋外の水道の蛇口の下に置く。この際に零れたゆで汁も、ペタペタしたものにはご馳走のようで、コンテナの周りに沢山のペタペタが出張していた。どうやらペタペタにも好き嫌いがあるようだ。しかし、鍋に体を突っ込んだりはしない。その辺りは何年もこの家に住み着いて身に付けた、ここの人達との距離感のようだ。

 コンテナの中に蛇口の水をちょろちょろと掛け流し、そこからさらに数時間放置する。この掛け流しの段階になると、僕はコンテナから数メートル離れ、地べたに体育座りをしてコンテナを眺める。コンテナの中に流れる水の中心に幻覚が見えるのだ。

 幻覚は、コンテナの中をバシャバシャと泳ぐ魚の背びれだったり、コンテナの周りに霞がかかり小雨が降る様子だったり、コンテナの水に顔を近づけて水を飲もうとする熊だったりする。そういった幻が断続的に不定期に現れては消えていく。コンテナの淵をかさこそと歩くサワガニを見たこともあった。足場が狭かったようでコロリと転げ落ち、気まずそうに消えていった時は笑ってしまった。

 この幻覚はコンテナから一定の距離の間でしか見られない。遠すぎたり近すぎたら蜃気楼のように消えてしまう。千華子さんにこれは何か聞いたら「沢の水の記憶じゃない?」と教えてくれた。

 「ここの水道だけ井戸水を引いているの。その井戸水は山からの水だから、山の沢の水が見た記憶じゃないかしら。」

 なるほど、そういうものか。

 最近やたらと千華子さんの家にお邪魔する機会が増え、今回でこの光景を見るのは実はもう三回目だ。一回目の時は千華子さんの隣で立って見ていた。見飽きずにずっと見ていられるものだから、次の日足がむくんだ。二回目の時から反省を活かして体育座りをして見るようにした。千華子さんは毎年見てるから、と早々に自分の部屋に撤退していった。一人で座ってみていたら千華子さんのお父さんが缶ビールをくれたので、それをちびちびやりながら見ていたら、千華子さんのおばあさんがお煎餅をくれた。

 今回は隣にミケスケが座ってきたので、仲良く並んで沢の水の記憶を眺めた。

 最後の最後まで灰汁を出し切ってようやく、筍は千華子さん宅の食卓に並んだり、ご近所・親戚の皆さんにお裾分けされる。

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