五月

第10話 カエル様

「そろそろカエル様の用意をしないとね。」

 ある日千華子さんのお母さんがつぶやいた。千華子さんはうえっという顔をした。

 千華子さんの家は、この町に点在する集落の中でも一番山奥のそれで、さらにその集落の中でも一番端のほとんど山の中にある。集落を囲む山々の中の、それほど高くない山の中腹をえぐり出し、そこに家と小さな畑と、ふもとから家まで続く砂利の坂道を作ったら千華子さんの家になる。坂を下りたら、道路の素材がコンクリートに代わり、そこから集落の他の家々や町へと繋がっている。

 その道路は、集落の中心地まで田畑に囲まれており、その土地は全て千華子さんの家のものだ。その畑の中の、千華子さんの家に一番近く、コンクリートの道路と砂利の坂道の丁度境界線の辺りにあるそこに僕は案内された。男手があると助かるから、という千華子さんの言葉と両手に持たされた数本のスコップによって、何となく畑で作業をするのだろうと予想される。どういったことをすれば良いのか訊いたら、千華子さんは持っていたスコップを地面に置き、ちょっと待つように言い残してまた家に戻って行ってしまった。

 仕方がないので素直に待つことにする。五月になったばかりの今日の空はとても良く晴れていて、濃厚な青空に、白い雲が少しだけぽつりぽつりと浮かんでいる。遠くのあの黒い物は、動きからして鳶だろう。あんなに遠くにいるのに時折、ピィーヨロロロローと澄み切った声が聞こえる。畑の連なりの向こうに見えるのは、水を張った田んぼで、日光を反射して銀色に光っていた。

 二、三週間前に稲の種籾付けを手伝った事を思い出す。ベルトコンベアのような機械の端で底の浅く細かい穴の開いたプラスチック容器を乗せると、ベルトコンベアが進んでいき、容器に順々に紙、土、種籾、水が入っていく。その一連の流れは何だかコミカルだった。

 そんなコミカルな機械に土を補充するのが僕の役目だった。ベルトコンベアの上部にセットされた土の量が大体半分より減ったら専用の土の袋を開けて機械に移す。土の袋は当たり前だけどずっしりと重く、土を入れる場所は僕の肩の辺りにあったため、結構力仕事だった。

「手伝ってくれてありがとうね、うんと助かるなあ。」

 千華子さんのおばあさんがそう言いながら、三時の休憩に出してくれたお菓子とお茶がとても美味しく感じた。特別手作りというわけではなく、近所のスーパーで一パック百円で売られている柏餅やすあまなどの和菓子とペットボトルのお茶だった。それでも肉体労働の後に摂る糖分と水分は最高だった。

 あの時の種籾は、ビニールハウスですくすくと育っているそうだ。今月の中旬の休日には皆で田植えをするのだとか。僕もまた、彼らに混ざって手伝うことになるのかもしれない。

 真っ青な空と日光を反射する水田に目が疲れ、視界を足元に移す。他の畑と違って、僕の立っている区画だけ何も植えられていない。土がむき出しのままだった。土をよくよく見ると白い細かい破片がちらちらと点在していて、明らかに他の畑と土質も違う。この白い破片はなんだろうとまじまじと見つめていると千華子さんと、千華子さんのご両親、おじいさん、おばあさんが大量の細長い竹の枝とを持って戻ってきた。

「今ちょうどXX(千華子さん宅とは反対側の集落の端の地名)にカエル様が出たって。急がないと。」

「その前に、カエル様って何?」

「見た方が早いわ。その為にも手伝って。」

 皆で一緒に大体縦横深さ1メートル程の四角の穴を掘る。元々そこの土だけえぐれていたので、角の崩れたところを軽く掘るだけでよかった。先月、、前もって近所の方が重機を借りてきて掘ってくれたそうだ。次に四角の穴の周り、道路側の一面を残して三つの面に沿うように竹を土に刺す。

 ふう、とひと段落したら、千華子さんが言った。

「じゃあ、見に行きましょうか。カエル様。」

 自転車を借り、二人でカエル様の元に向かうことにする。ちなみに車で行かないのかと聞いたら、「だってカエル様触ったら絶対に嫌だし」と顔をしかめられた。

 三十分程自転車を走らせ、集落の中心地に差し掛かった。道路がなんだか慌ただしい。車が渋滞しており、歩道には人だかりが出来ていた。

 渋滞の先頭に白いなにかが鎮座している。少し前を走っていた千華子さんの「うえっ」と呟く声が聞こえた。どうやらあれがカエル様のようだ。

 人だかりも車もカエル様から大分距離を取っている。人は特におっかなびっくりのようだ。カエル様を見る為の人だかりのはずなのに、車道には決して出ずに、尚且つカエル様の左右に行こうともしない。カエル様の斜め前と斜め後ろに集まって、怖々と顔をしかめながらカエル様を見ていた。そこからでは白い塊しか見えないだろうに、と思う。この人たちはカエル様が見たくて集まっているはずなのに。

 歩道から垂直に続く田んぼのあぜ道に自転車を停め、カエル様に近づいてみる。千華子さんは人だかりの最後尾に嫌々混ざった。

 カエル様はカエル様というだけあり、カエルだった。しかもかなり大きい。この県に来て生まれて初めてウシガエルを見た時もかなり驚いたが、あの三倍はある。六十センチメートル位だろう。色は白っぽく、アマガエルをひっくり返したときに見られるあのおなかの白さを思い出した。

 なんという種類なのだろう。勿論普通のカエルとは違うのは分かるけれども。アマガエル特有の目の横の黒い線もなく、アカガエル程尖った鼻づらもしていない。ヒキガエルのような瘤も全体的な厳つさもなければ、ウシガエルの側頭部に見られる巨大な鼓膜もないようだ。

 なんというか、遠目からでは大きくて白い以外は無特徴な姿をしているのだ。

「あまり近くで見ない方がいいわよ。」

 千華子さんがこちらに叫ぶ。話すために近寄るという選択肢はないようだ。どれだけカエル様が苦手なのだろう。周りの人達もうんうんと同意していた。何がそんなに…うえっ。

 好奇心で人だかりの一番前まで行って後悔した。物凄く後悔した。


 カエル様は、蛙の死肉が何匹分も寄せ集まって出来たものだった。


 目を離したいのに体が硬直し、目が離せない。

 大小様々な大きさの蛙とオタマジャクシの体が、カエル様の体を構成していた。なぜ死肉かわかるかというと、足や頭のように体の一部しかないものが多かったからだ。その死肉一つ一つが不自然に痙攣のようにぴくぴくと小刻みに蠢いている。頭部だけの蛙が顎をあり得ないスピードで開け閉めしているものもある。カエル様の目は眼球ではなく、蛙の卵だった。更に言うなら臭いもひどい。雨季に感じる仄かな生臭さが凝縮されている。皆が近寄らないわけだ。本当は見たくもないけれど、どこにいるか分からないのも嫌なのだろう。

 カエル様がおもむろに跳躍した。人が変な悲鳴を上げながら、田んぼのあぜ道へ逃げていく。悪臭をまき散らしながら、カエル様はどんどん進んでいく。

 千華子さんがスマートフォンでどこかに通話している。恐らく実家にだろう。

「家に戻るわよ!」

「ねえ、結局あれ、なに?」

「私もよく分からないのよ。昔から出ていたみたいなの。昔は日照りや寒さの強い年だけ出ていたらしいんだけれど、二十年位前にこの道路がアスファルトになったら毎年出てくるようになったんだってさ。アスファルトの熱さとか、車や農作業の機械に巻き込まれて死んだ蛙達の死体とか死ぬことへの恐怖やら悔いやらなんやらかんやらを集めているっていうのが近所の人達の解釈。」

「さあ、あまり話している時間はないの。家に帰って手伝わないと。」

 そう言って千華子さんは自転車にまたがった。僕も着いて行く。自転車をカエル様に並行する形で速度を調整しながら走らせる。

 カエル様が跳ねる度、周りから白いものが浮かびあがってはカエル様の体に吸収されていく。あれがこの辺で死んだカエル達の体なのだろう。カエル様がカエルを吸収するたびに体が大きくなり、どんどん加速していく。ひと跳ねの距離がどんどん大きくなっている。足の辺りから集中的に体を肥大させているのかもしれない。高校の時物理で習った等加速度運動という言葉を思い出した。

 移動速度がどんどん早くなるカエル様を追って、僕が出せる自転車の速度もそろそろ限界になってきた。カエル様が少しずつ僕を追い越すようになってきた。それでも諦めずに追いかける。千華子さんも僕より少し後ろにいるけれど、追うことをやめていない。

 カエル様は千華子さんの家に繋がる道路の上をビョンビョン進んでいるが、時折小道に逸れそうになる。そんな時は道路のそばで見張っている近所の人が、片手で持てる太さの竹の棒を持って追い払い、元の道路へ戻している。

 カエル様の加速は千華子さんの家まで数百メートルをきった辺りで少しずつ収まっていった。それどころか今度はどんどん遅くなる。体が大きくなって重くなってきたのだろう。体の肥大は止まらず、僕達が穴を掘ったところが見えるころには、自分を支えるのさえ苦しそうに這いずるようになった。

 穴を掘った畑と近接する道路の周りには人だかりが出来ており、皆竹の棒を持っていた。カエル様が這いずるのを少しでも止めると、皆カエル様の近くを棒で叩いて前に進ませる。

 穴の傍で千華子さんのお父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんが手にバケツと酒を持って待ち構えていた。

「バケツの中にあるのが、『お焚き上げ』で出来た灰よ。」

 自転車から降りた千華子さんが言う。まだ息が上がっている千華子さんの手にはいつの間にか竹の棒が握られていた。竹の棒は他の人が持っている物と違い、彼女の手から少しはみ出る長さで先端が尖っていた。千華子さん達はカエル様の動きを、息をのんで凝視している。近所の方たちに追いやられ、ずりずりと道路に嫌な汁を垂らしながらカエル様は進む。数匹の蛙の死骸を落としながらなんとか道路を渡り、例の畑を這い、穴に向かっていく。穴の前にたどり着くと、誰かが竹の枝でカエル様を足元の土ごと穴へ突き落した。

 千華子さんが家族に目配りをし、穴の前に立つ。そしてカエル様に狙いを定めて手の中の尖った棒を思い切り投げつけた。棒がカエル様にざっくりと突き刺さったのを確認すると後ろに下がる。

 僕たちが見守る中、カエル様は大きく一度痙攣し、びちゃっと嫌な音を立て、自身を構成させる死肉を四散させた。

 千華子さんの家族が穴の周りに集まり、灰と酒を穴の中にどばどばと掛ける。ついでに死肉が少しついた穴の周りの竹の枝や土も穴の中に投げ捨てる。四散した死肉は始めはピクピクと動いていたが、灰と酒が注ぎ終わる頃には動きを止めた。

 今度は近所の人達も手伝って、周りの土をどんどん穴へ落としていく。そして土が平らになると、足で踏みしめながらお互いの健闘をたたえ合う。僕も知らないおじさんに穴掘りの手伝いとカエル様を追ったことを褒めれらた(なぜか皆、僕の事を千華子さんの彼氏と知っていた)。

「毎年こうやってここの畑にカエル様を追いやって埋めるのよ。」

 土を踏み固めながら千華子さんが言う。

「ねえ、この土に混ざってる白いのって。」

「そうよ、歴代のカエル様の骨。」

「昔はね、ここの土ってカエル様の死体で栄養満点だから近所の畑におすそ分けしていたんだけれど、今はね。まあカエル様があんな風に不気味だし、畑も私の家の土地になったし。それに最近は良い農薬が沢山売られているからね。」

 土の踏み固めもひと段落すると、近所の人達がタッパーやお重に入ったお手製の食べ物を千華子さんの家族に渡していった。小さい封筒を渡す人もいる。

「別にもう食べ物やお金に困る時代ではないけど、伝統みたいなものだから。まあ、迷惑料みたいなものね。」

 千華子さんの家族も一回は受け取りを遠慮しながらも最終的には頂いたものは全て受け取っていく。千華子さんのお父さんが僕に「君が持ってきてくれたチーズケーキも忘れず食べるよ」と謎のフォローをしてくれた。渡すことも終えると、千華子さんのおじいさんが軽く挨拶の後一本締めをして、お開きになった。皆がやがやと帰っていく。

「たまにいるのよ。死肉で体を構成するのが。カエル様も大概だけれど、まだかわいい方なのよね。」

 今回の千華子さんの言った意味が分かるのは、月を跨ぎに跨いで、ついでに年もまたいだ一月のことだった。

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