トラウマ

責められることが怖いの。死にたくなる。なんでこんなにも言われたことができないんだろうって。

「あなたはできない子ですね」思われていることはわかってる。でも言わないで、口に出さないで、もしかしたら奇遇かもしれないって思わせて。できないことをできるようにするための努力が足りないって思わせないで。そんなことを言われたら、消えてしまいたくなる。他人に迷惑をかけて、自分のせいで他人が責められることが嫌だ。いや、そうじゃない。常に完璧な自分を求めているから、できない自分が顕れた時、理想と現実のギャップに対応できない。自分の心の中はいつまでも理想の自分なのだから。だから団体競技は嫌いだ。自分のミスで仲間全員に迷惑がかかるから。お前が悪いって、お前のせいだって、お前があんなことしなければって。もう聞き飽きたな。なんのためにやっていたんだろう。自分が楽しいからやっていたんじゃないの?もう、そんな目的は消え去った。誰の迷惑にもならず、ミスなんてできない、絶対に成功させなければ。そんな思いだけが頭の中にこべりついて、離れない。失敗できない時に限って失敗する。そして責められる。怒られる。そんな時期が3年間、ずっと続いていたんだ。心から楽しむということをすっかり忘れ、誰かから嫌われないように、誰に対しても完璧な自分でいられるように。でも、思っているだけでは実現できない。実力が必要で、折れても治せるほど自分の精神は強くなかっただけ。

だから逃げた。部活から、バスケから、団体競技から逃げた。なんのためにやっているのか分からなかった。試合に出ろと言われるたび自分がミスをする光景が頭の中で繰り広げられる。死にたくなる。まだ試合が始まる前なのに、責められている時を想像する。そんなことを思っていたから、行きたくなくなっていった。サボることが当たり前になっていった。部活のサボり癖がついたのもそれがきっかけだろう。

部員の仲間と楽しく話すことすらできない。話すことが怖かった。何か言ったらまたさらに嫌われてしまいそうで。人に嫌われることが自分の命と関係があるかの如く、それだけ気にしてしまう。

人に気を使わずに生きられたら、どんなに幸せか。何も考えず気なんか使わず、言いたいことを言えるようになったらストレスは減るのかな。相手がどう感じるかとか考えないで話してみたいな。

高校に入ってからは平和だ。団体競技のスポーツには参加しない、部活も個人作業のところを選んだ。自分の心を守るために。相手のためじゃない。ただの自己防衛。

もうあんな惨めな思いはしたくない。死にたくなるような屈辱を味わいながら好きだったはずのことをしたくない。楽しいことは楽しいままでいたい。趣味は好きな時に好きなだけできるから良いのだ。好きなことだとしても習い事のように強制感を持たされたら、自分はそれを嫌いになるだろう。「好き」ではなく、もっと「上手く」「人に評価」されないとって。馬鹿馬鹿しい考えだなってことはわかってる。でも治せない。ならその環境ごと変えるのが手っ取り早い。お遊びだとしてもバスケの試合に絶対でないのはそういうことだ。楽しい奴らだけでやれよ。

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