第五章 快晴 11

「ねえ、冤罪? 私たち見たんだけど?」


「み、見間違いだ! このクソオンナ……!」


「この子に……謝れ! 卑怯者ひきょうもの!」


 愛衣ちゃんは、捻り上げている右手をさらに首方向へ持ち上げて、おじさんの脂汗の垂れる速度が上がったように見えた。

ハルさんが、おじさんの背後に回って、しばらく屈んでいたけど、満足したような顔で私と園山君の間に戻ってきた。


 唸り声を上げるおじさんは「わかった、わかったから……離せ……離せよ!」と言ったところで、愛衣ちゃんは拘束していた手を緩める。

拘束されていなければ勝てると思ったのか、おじさんは不慣れで滑稽なファイティングポーズをとった。


「ク、クソオンナ……! わから……せてやる。わからせてやる。俺は、つ、つ強いんだ! め……めちゃくちゃにしてやる……!」


「へえ……いいよ、きなよ」


 おじさんは、右拳を大きく振り上げて、愛衣ちゃんの顔に振り下ろした。

日頃、男性上級者と鍛錬している彼女にとっては造作もないようで、身体を反らして簡単に避ける。

その瞬間に、愛衣ちゃんの左の掌底しょうていがおじさんの顔に埋まった。

鈍い音とうめき声。

鼻からの出血がとめどなく溢れ始める。

私は顔を強張らせて目を背けようとしたけど、それだけはできない。

私のために……戦ってくれている友達の姿から逃げてはいけないと思った。


「どう? 謝る気になった?」


「だ、誰が……あやま……あやまるかあ……!」


 鼻を押さえているおじさんに「そう……ほら、ガード。ガード」と、愛衣ちゃんは右足を蹴り上げる動作を見せつける。


 おじさんは、反射的に右手で鼻を押さえて、左側頭部に迫りくるであろう脅威を左手で隠す。

隠したけど……防御した左手は無惨にも愛衣ちゃんの右足の餌食となって、おじさんは衝撃と痛みによって、その場に崩れ落ちた。


 その瞬間、おじさんの近くに落ちているビジネスバッグを愛衣ちゃんが奪い取る。

そして、前方にある川の橋まで走り去っていく。

橋の欄干らんかんから、両手でバッグを放り投げると中身が空を舞った。

おじさんは「ああー!」と、負傷した身体を引きずって川の土手に向かう。

最近の雨によって、川の流れは激しいから回収することは不可能だと思う。

笑顔で拳を振り上げて、勝利の余韻に浸る愛衣ちゃんの姿は、正に勝利の女神だった。


「ごめんねー。あいつ結局、謝らなかったね」


「ううん……いいの。助けてくれて、ありがとう。でも……どう……して?」


「え……? ああ……ハルさんから、一昨日聞いたんだよ。あきちゃんが朝通学する時に、変なおじさんに絡まれているって」


 確かに私は、ハルさんの家に遊びに行った時に、通学で困っている話をしていた。

でも……私のために……みんなが助けにきてくれたの?


「あきちゃん、すごく嫌だったんでしょ? 私一人だと助けてあげられるか……わからないから。愛衣ちゃんと園山くんに助けを求めたの」


「いやー、俺も女の子に助けを求められたら、動くしかないっしょ!」


「猿……あんた、なにもしてないよね?」


「は……? いや、いや、してたから。バスの運転手に事情を説明したりとか……後は、愛衣の後ろには俺が控えているってことで、睨みをきかしていたじゃん!」


「猿……こんなに弱くて、かわいい女子高生が戦っていても、助けに入らない男は最低!」


「いや、いや! 全然、弱くないから! むしろ、手助けは邪魔だろ。なんだよ、あの右の上段蹴り。おっさん、ガードの上から効いてたじゃん!」


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