第四章 香雨 10

 ご飯などは、お酒に一通り満足した上で、食べる人もいれば食べない人もいるみたい。

鮭のムニエルとジャーマンポテトは、お酒に合うのかな……わからないけど。

二人分の料理を皿に並べてから、お盆に手伝ってもらってリビングへと向かう。

引き戸を横に動かすと、先程までの高らかな声が瞬時に静かになって、笑みから真顔に移りゆく二人の視線が私に集まる。

静寂を壊したのは母だった。


「なに……? なにか用?」


「あの……これ作ったから……」


「ええー? なに? へー、料理できるんだ?」


 相変わらずのニヤニヤとした表情で、お盆の上を眺める男性はジャーマンポテトを指で掴んで口に入れた。

唇が重なることなく咀嚼している。

「へえー、まあ、まあ。うまいじゃん」と褒められたけど、学校で三人から言われた時とは違う。

嬉しいという感情は、じゃがいもの芽とは違って地面から顔を出すことはなかった。

接近している男性の胸元から視線を変えると、背後にいる母は頬杖をついて首を傾げている。


「――いいよ、そんなの食べなくて」


「え? なんで? これ、うまいよ」


 男性は振り返って母の言葉に疑問を投げかけた。


「それ、わざとやっているから」


「わざと……? なにが?」


「料理もしない母親だって言いたいんでしょ。アピールしているの。口では言えないからって、行動で示してくる。本当に嫌な性格……」


「そうなの?」と、母と私を交互に見る男性は、私たちの関係を気にする様子もなくジャーマンポテトを口に放り込んでいく。

再び言われてしまった母の冷たい解釈に、心を侵されながらも私は否定の言葉を出す。


「――違うよ。そんなこと……思ってないよ」


「そう……? じゃあ、なんでいつも、いらないって言っているのに、冷蔵庫に私の分を入れているの? 置き手紙までしてさ」


「それは……食べて……ほしいから。いつも仕事を頑張ってくれてるから……身体……ちゃんとした物を……」


「頑張っているって? 見てもいないのに、よく言えるよね。結局、上辺だけ取り繕っても見透かされる。ねえ、楽しい気分が陰気くさくなるから、あっちに行ってよ……!」


 お盆を名残り惜しそうに見つめる男性から、料理を遠ざけることになる。

引き戸を閉める手を途中で停止させて、私は言葉を絞り出すことに必死だった。


「本当に……ただ……食べてほしいだけだよ……身体を壊してほしくないから……」


「――いいから。早くあっちに行って……!」


「うん……」


 引き戸を完全に閉めてしまえば、母との関係性も同様になる気がした。

だから、ほんの少しの隙間だけを残して私はダイニングへと戻る。

バターの風味が広がる鮭を口に入れると、一つの答えが生まれる。

一人で食べる食事は、美味しくない。

今日の昼食は、とても楽しかったし、とても美味しかった。

一人で食べ進める料理。

美味しいはずなのに、美味しくないという思いが拍子計の動きをみせる。

お腹は満たされていくのに、心は一向に満たされない。

いつか……母と食卓を囲める日がくるのかな。

味噌の沈殿を箸で掻き回しながら、私は一人で考えていた。


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