第四章 香雨 7

 バス停へ静かに停車する。

ハルさんと過ごした楽しい時間からの離脱は、少しだけ寂しかったけど、天音さんが笑顔で迎えてくれることが楽しみだった。

雨の中にあるバス停には、待ち望んでいた姿があって、私を温かい安らぎへと導いてくれる。


「おかえり」


「ただいま」


「学校……どうだった?」


「はい、話せました。友達……できました」


 天音さんは前屈みになって、隣にいる私の顔に優しい笑顔を向けてくれた。

長い黒髪が綺麗に宙に流れて「よかったね。もう大丈夫だよ」と、静かな目尻は下方向へ流れている。

私のことで喜んでくれる人がいるという事実に、揺るぎない幸福を感じた。


「あの……ありがとうございます」


「ん……?」


「天音さんのおかげです」


「違うよ。私は、なにもしていないよ。すべて、明夏ちゃんが選択して行動した結果だよ」


「はい……でも、背中を押してくれたのは天音さんです。一人だったら、動くこともできなかったから……」


「うん……私は、嬉しいよ。明夏ちゃんが、また歩めるようになって」


「はい。私も……嬉しいです」


「どんな友達なの?」


 私は、今日あった出来事を順番に回想しながら、天音さんに話していく。

天音さんは笑顔で頷いてくれて、私も口が止まらずに、一日の物語を雨空へ放つことをやめなかった。

哀しみもあったけど、私は良い一日だったと思う。

過去に立ち向かえたし、温かさにも包まれた一日だった。

湿気の多い風がバス停内を侵略してくる。

天音さんはいつも通りの涼しい顔と素敵な笑顔を交互にして、最後まで私の話を聞いてくれた。


「そっか……言えたんだね『雨女って言わないで』って」


「はい。怖かったけど、また……言われるかもしれないけど、言えました」


「うん。自身の思いを伝えることは大事だよ。それに……きっと、その子たち……友達がこれからも助けになってくれるから、大丈夫だよ」


 天音さんの声から生まれる『大丈夫だよ』という贈り物は、広大な大地に吹いている風のように私の心を包み込んでくれる。

たった一つの言葉だけど、人間というものは救われたり、力を増していくんだと実感していた。

無理に自身を鼓舞したりする必要はないんだ。

大切な人からの一つ一つの言葉が人を強くしてくれる。

 

「あの……私だけじゃなかったです」


「え……?」


「なにかに悩んだり、みんなも同じなんだなって……友達の話を聞いていて思いました」


「そうだね……人には色々な心内があるからね」


「私は……いつも『なんで私だけ』って思っていました」


「うん……」


「でも……言わなかったり、見えないだけで、人って……抱えているものがあるんだって……」


「そうだね。人は……それぞれの悩みがあって。

――明夏ちゃんの悩みも明夏ちゃんだけのものだから」


「私だけの……悩み」


「うん。悩みも大事にしてほしい。いらないって思うかもしれないけど……悩みも明夏ちゃんをはぐくんでくれるんだよ。幸福と苦悩……様々なことがあって、自身を形成していってくれるから」


 私は、そんなこと考えたこともなかった。

苦悩なんて早く無くなってしまえばいいのにって、いつも壊そうとしていた。

天音さんは、視線を前に移して「悩みも少しだけ大事にしてあげてね」と、雨粒の一つ一つに声を乗せるように優しく呟いた。


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