第四章 香雨 4
「――ありがとう。クラスの子たちも噂で知っていると思う……そう思うと、よそよそしい態度に感じちゃって。被害妄想かな……? でもさ……『妊娠していたから、留年した』とかの噂もあるんだよ?」
「そうなんだ……」
噂……事実よりも他人が生んだ架空の話が好まれる。
私も、それが原因で苦しんだ。
人は正しい情報より誤った情報を信じやすい。
生存本能が危機回避することを求めるから、負の情報の方が脳内に入りやすいんだと思う。
それに……他人を陥れることが、一種の娯楽、愉快でしかたがないという人間がいることを私は知っている。
「噂だから……まあ……ね。気にしていないわけじゃないけど。ただ……友達には、自分の口から事実を話したくて」
友達……。
私に対して『友達』と言ってくれた。
私だけが勝手に思っているわけじゃないんだ。
一緒にご飯を食べたり、話をしたくらいで、友達と思うには図々しいかなと思っていたけど、そうじゃなかった。
話の内容とは裏腹に、私の心が少しだけ踊る。
恥ずかしくて頬の辺りが熱くなってきたのを感じたけど、悟られないように努めたい。
麦茶の雫を指に伝わせて、氷の接触音が小さく鳴いた。
「きっと……あきちゃんもそうだと思うけど、愛衣ちゃん、園山君、私も一緒なんだ……」
ハルさんの静かな声が空間を細やかに装飾した。
「え……?」
「――みんな、それぞれに抱えているもの、抱えていたものがあるんだよね」
「抱えているもの……」
「――園山君は、スポーツ推薦で入って、サッカー部だったでしょ? 全国優勝を掲げて、練習内容の改善とかを言っていたみたいだけど、先輩たちから疎まれていたみたい。
それで……先輩たちから練習中に暴力を振るわれたり、チームメイトの一年生から『お前のせいで、先輩たちに厳しくされるから、部を辞めてくれ』って言われて……最近になって退部。次の部活を探しているみたいだよ」
「……そうなんだ」
冷えたグラスが、私の心までも厳しく冷やしてくる。
脳裏には一人でサッカーボールを蹴っていた彼の姿が蘇る。
遠くから見ていて表情は窺えなかったけど、きっと……彼にとって、高校生活最後のサッカーだったのかもしれない。
話を聞いた後で、記憶にある雨に濡れた彼の背中が随分と寂しかった。
自身の相反する思いをボールに乗せていたのかな。
大好きなものと決別しなきゃいけない葛藤や辛さを蹴り飛ばすボールに分け与えていたのかもしれない。
不審火を消火できない、不完全燃焼の火が彼の心で燻ぶっている。
「愛衣ちゃんも……あるの?」と、私はハルさんに問いかけた。
抱えているものがあるの?とは聞かなかったけど、とても活発な彼女に、そのようなものがあるとは信じられなかったから。
いつでも明るく笑っている彼女。
私の悩みなんてものは、台風の日に転がっている弱々しい傘のように飛ばされてしまうと思う。
彼女の気の強い様を見ているだけで、少しだけ気持ちが強くなれることもあった。
ガラステーブルを見つめるハルさんは、少しの困惑を私に見せて、口に残していた果実を確かに飲み込んだ。
「愛衣ちゃんは……」
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