第三章 勇気 4

「犠牲……? 人聞きが悪いな。ちょうどいいと思っただけだ。お前らは、まだ社会の厳しさってものを知らないんだ。わかるのか?」


「わかりません。――先生って大学を卒業してから、すぐに教員になったんですか?」


「そうだ。すべて、一発で通過してきている。それに……この道、教師三十年だ」


「そうですか……つまり、学校を出て、学校に戻ってきたんですよね?」


「なに……? なにが言いたいんだ?」


「いえ……話がれました。社会というのは一方的に心無い言葉で、一人の気持ちを傷つけることが許されるんですか?」


「宮本……お前な……」


「――正しいんですか?」


 担任教師に、真っ直ぐな目と真っ直ぐな声で宮本さんは言った。


 普段、微笑んでいる彼女の姿とは違う。

自身の考えを毅然として伝える姿に、羨望を持って宮本さんを見ていると、担任教師が宮本さんと私に問いかけてきた。


「――俺は傷つけたのか? 誰を? 雨宮か? なあ、雨宮……お前、傷ついたのか? あんなことで?」


 広い黒板を配下に従えた担任教師を見てみると、眼鏡越しの目から怒りの感情が読み取れる。

その眼光が怖い。

自身の意見など言えるわけもなくて、机の木目に視線を落としてしまうと、担任教師の言動を助長させることになった。


「ほらな。お前が勝手に言っているだけじゃないか。お前の方こそ、相手の気持ちをわかった気になって、考えられていないんじゃないか?」


「気持ちを……上手に伝えられない人だっています。三十年の中に、いくらでもいたでしょう? 怖くて、言えないことだってあるんです」


「言えない? おい、言えないのか、雨宮?」


 なにも言えない。

担任教師の目が怖いというのもあるけど、同級生の視線も怖い。

私が立ち上がって、はっきりと自身の考えを伝えられたら、宮本さんが責められることはないのに。

震えるたびに机の木目が歪みを増していって、頭の中で揺れている言葉のつぼみが開花することはなかった。


「だから……そうやって、みんなの前で晒し上げるようにするから、怖くなって言えなくなるんでしょ! 三十年も教師をやっていて、そんなこともわからないんですか?」


「お前な……あまり教師に舐めた態度をとっていると、指導の対象にするぞ? ひどい場合は、停学にしてやるからな!」


「それでもいいです。私は、無自覚に人を傷つけている先生の言動に対して言っているだけです。

それが、問題と言われるなら、指導でも処分でも受け入れます」

 

「ふう……面倒くさいやつだな。これだからな……俺の立場上、お前と議論している暇はない。やるなら、お友達と語っていればいいだろう? 俺は、お前と違って暇じゃないんだ」


「暇じゃない……?」


 言葉を続けようとした宮本さんを無視して、担任教師はプリントを配り始めた。

来週の予定などを生徒たちに告げ始める。

鼻腔から浅い息を出して、軽く肩を落とした宮本さんは、一方的に打ち切られた議論に諦めた表情で椅子に座り直した。


 声と眉を小さく落として「あの……ごめん……ね」と、私は宮本さんに告げる。


「ううん、私が言いたくて言っただけ。気にしないで」


 その表情は、いつもの宮本さんに戻っていた。


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