第二章 憂慮 10
私が落とす涙は、私の手を握る天音さんの手に何粒も何粒も落下していく。
蝋燭のように固まることもないし、肌に浸透していくこともない。
それを嫌がる様子なんて少しもないままに、私の心の震えを抑えてくれていた。
「――お母さんに『私は、いないほうがいいの?』って聞いたら……答えて……くれませんでした」
「そんなこと……聞かなくていい。大人のために子どもがいるわけじゃないんだよ。明夏ちゃんの人生だよ……」
「親……家族と仲良くするって……難しい。みんなの家のことは知らないけど……外で見る他の家族は笑顔で歩いています」
外出することは多くないけど、買い物に行くと他の家族は楽しそうに会話して商品を選んでいる。
羨ましい気持ちを隠すために、私は別の商品棚に逃げてしまう。
その家族の姿を見て『幸せ』って、こういうことなんだろうと思った。
些細で平凡なことが……何よりも幸せを運んでいる。
私が望んでいるものは、どこかに隠れてしまっている……。
「――そうだね。人が……みんな違うように、家族もそれぞれの形がある。明夏ちゃんの家の状況……他人が内側を見ずに、外側だけを見て『親子なんだから』『家族なんだから』と言ってくるかもしれない……それは、辛いよね」
「学校に行きたい。友達が欲しい。お母さんと話したい……私が望んでいることって……多いですか?」
「多くない……多くないよ。望んでいいんだよ」
多くの雨が私達の現在を通り過ぎていく。
未来をもたらす青空がない私に、天音さんが静かに口を開いた。
「明夏ちゃん……これから生きていく中で、信じられる人を見つけてほしい。
出会わないかもしれない。通り過ぎるかもしれない。見つからないかもしれない。それでも……歩いていってほしい。
いつの日か……心を許せる人に、明夏ちゃんが出会えた時……それが『愛』になるから」
『愛』と言われても、私に明確な答えは無くて、知るすべもない。
そう思ったけど……お祖母ちゃんや天音さんが私にくれる想いが、その言葉の意味なのかな。
雨の強い音と共に、私達は話を続けていた。
ここに来るまで、どうしようもないくらいに泣きわめいていた心に住まう生物は、すっかりおとなしくなってしまって、暖かい日向で浅い眠りについていた。
「ごめんね……危ないから、送っていってあげたいんだけど……」
「あっ……大丈夫です。早歩きで帰ります」
「気をつけてね。車にも人にも。はい……これ使って」
天音さんが渡してきたのは、私が普段使っている痩せ細ったビニール傘とは違って、ふっくらとした和傘だった。
天音さんの心を表現しているような薄い赤色に白い花が散りばめられた美しい傘。
「え……大丈夫です。天音さんが濡れちゃいますよ。私は……もう濡れているし……」
「いいの。明夏ちゃんに使ってほしい。私は、近いから大丈夫」
「近くって……どれくらいですか?」
「……すぐそこだから大丈夫、使って」
半ば強引に渡された傘は、和紙に塗られた油が雨を弾き返して、家を飛び出した時とは確かに違っていた。
私の心と体を濡らしていた雨は、私を攻撃しても意味がないと諦めている。
何かに守られていると思うと安心できた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます