第一章 梅雨 8

「……雨女って言われて……納得してしまった部分もあるんです。

……私の名字にも雨が入っているし」


「雨宮? 確かに雨は入っているけど……明るい夏で明夏。素敵で可愛らしい名前だと思うよ」


 ベンチに軽やかに腰を下ろした天音さんは、首を軽く縦に揺らしている。

さっきの立っている美しい佇まい、座っている時の姿勢にも気品があって、やはり心も所作に現れると感じた。

猫背で座ってしまう癖とうつむくことを頸椎に覚えさせている私とは違う。

嫉妬から『違う』という意味じゃなくて、羨望が心の中で奔走している。


「私は……嫌いです。明るい夏なんかじゃないのに……そんな人じゃないのに。今の梅雨みたいな人間……」


 自分の思いを話すのは久しぶりなのに、詰まりながらも口から言葉がでてくる。

幼い頃、お祖母ちゃんも私の話を笑顔で聞いてくれた。

今日は学校で何したとか、友達と遊んだとか。

今は墓前に報告できる話題は無い。

優しかった……お祖母ちゃん。

もう会えない。

天音さんの持つ優しさの香りは、お祖母ちゃんに似ていて、懐かしくもあるし、温かくもあるし、切なくもある。


「――明夏ちゃんは、雨が嫌い?」


「嫌い……です」


「そっか……それは、雨女って言われたことが原因?」


「わからないです。多分……そうです。雨の日でも子供の頃は、長靴を履いてお祖母ちゃんと出かけることが楽しかったと思います」


「そう……でも、雨って悪いことじゃないよ。地球に存在する、すべての生命に必要なもの。

雨が無ければ、生きていくことができないんだよ」

と、甘い飴でも降っているかのように、天音さんは眼前の雨粒を微笑みながらでている。

その横顔は、私の知っている女優さんやモデルさんと比べても遜色なかった。


「生きていくことって……私にはわかりません」

私は、それがどのような意味を持っていて、どのような行動を指しているのか、わからない。

みんなは当たり前のようにしているけど、私にとっては当たり前じゃない。

辛いことしかない。

楽しいことはない。

呼吸できていない。


「生きていく意味は、一人一人が持っていることだと思う。

明夏ちゃんの人生は、誰のものでもないから、明夏ちゃんが決めていいんだよ」 


「私は……人生……別に将来の夢とか……ないです」


 人生という言葉から、夢という言葉を連想してしまう。

今までの先生や周りの大人は『夢』を持ちなさいと言っていた。

問いかけてくるあなたには『夢』があるの?と、聞いてみたいくらい。

なぜ必要なのか、具体的に答えてくれるわけでもないのに。

小学校卒業時に書いた将来の夢は、ケーキ屋さんと書いて、中学校卒業時には会社員だった。

敷かれたレールは無いけど、切り拓く道も勇気も私には無い。

ただ……平凡でありふれた道でいいのに。

悲しみに襲われる日々でなければ、それでいいのに……。

多くを望んでいないのに、少ない思いは豪雨の中に取り残されて無惨にも溶けていってしまう。


「そう……夢って、大小に関係ないと思うよ。些細なことでもいいと思う。何もない?」


「……ないです」


「じゃあ……目標は何かある?」


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