ワン スモール ステップ フロム ゼロ Vol4

 小鳥が囀り、やや薄曇りの風が穏やかな日に。

 璃央はヘルメットの様な面を被って作業に没頭する。

 右手にはペンシル型のトーチを、左手には金属棒を持ちゆっくりと両手を動かす。

 璃央のやっている作業は溶接である。

 トーチからはアーク電流が放射され、母材にはアース電極が繋がれている。


 これはアーク溶接の一種でTIG溶接と呼ばれる溶接方法だ。

 基本的にガス溶接の要領で行うのだが決定的な違いであるのは、炎の温度で母材と通称で溶棒と呼ばれる金属棒を熔かすガス溶接と、放電に因って発生する火花で得る熱を利用するTIG溶接とでは互換性は全くない。

 どちらもガスを必要とするが、炎を発生させるガス溶接はアセチレンと酸素の二種類を用い、TIG溶接では炎を必要としない為、高温に因る窒化や酸化を防ぐ目的で不活性ガスである、炭酸ガスやアルゴンガスを外気遮断シールド用に用いる。


 TIG溶接では溶接機の種類に由って、出力電流を直流と交流に切り替える事が出来る為、幅広い金属を溶接する事が可能となる。

 直流では主に鉄やステンレス鋼を、交流ではアルミが溶接可能になる。

 チタニウムも可能だが両面をシールドガスで覆う必要が在る為、特殊な設備が必要となり頻繁にチタニウム溶接を行わないので在れば、設備投資しても回収出来るのはずっと先になってしまう。


 璃央の作業で使用しているのはアルゴンガスである。

 アルミの溶接に用いるガスで在るが、コスト高を考慮しなければ炭酸ガスの代用が可能だからだ。

 メインラインは整備で溶接を専業としない璃央は、二種類のガスを用意するコストと母材に因ってガスを交換する手間を考慮した結果アルゴンガスのみとした。



「ふぅ。こんなものかな」


 自動遮光の高性能な溶接面と皮のグローブを外し、汗を拭う璃央の姿が在った。

 集中力を必要とする作業の為、安堵の表情が伺える。

 穏やかな風が心地好く吹き抜けて行く。

 そんな時に敷地内に軽トラが入って来て停まった。



「璃央君、いま忙しいかい?」


「こんにちは。どうしましたか?」


「タイヤがパンクしちまったみたいなんだよ。直してくれるかい?」


「了解です。取り敢えずスペアタイヤに付け換えて夕方までにやって置きますよ。まだ仕事で車を使うんでしょ?」


「そうして貰えると助かるよ。それと草刈り機のハンドルがグラグラしちゃってるからそれも頼みたいんだが良いかい?」


「草刈り機はいつまでに直せば良いんですか?」


「別に急いでないからいつでも良いんだ。急に必要になっても借りて来れば済む事だし」


「分かりました。草刈り機の方は視てからパーツ交換が必要か判断しますよ」


「それでお願いするよ。夕方にまた来るからその時にでも教えてくれれば良いからさ」


「了解しました。それじゃタイヤ交換しちゃうから、ちょっと待ってて下さい」



 璃央はそう云うとバイク屋には縁の無さそうな五トンの大きなガレージジャッキをゴロゴロと引っ張り出して、ジャッキアップポイントでジャッキアップすると、圧縮エア駆動のインパクトレンチで素早くタイヤを外しホイールごとスペアタイヤに付け替えた。

 作業時間は五分と掛からない手熟れた作業だった。

 ガレージジャッキのリリースバルブを少しずつ緩めゆっくりと車体を降ろし、荷台に載っている草刈り機を降ろして作業は終了となった。


 簡単な挨拶を済ませて敷地から出て行く軽トラをその場から見送る。

 近所の人達からは璃央がバイク屋と云う認識よりも、バイクも含めた車や農作業機の修理屋と思われて居て、気軽に修理を頼みに来るので日常的な光景と云える。



「さてっと。弥生ちゃんのエキゾーストの制作は後回しにして、ちゃちゃっとパンク修理と草刈り機を片付けてしまおう」


「ほうほう。コイツが刺さってたのか――これは裏パッチ充てた方が良いな。ついでにエアバルブも交換して置けばタイヤトラブルも減って安心だよな」


 独り言を呟きながら璃央はタイヤから異物を抜き取る。

 タイヤに刺さっていたのは薄い三角形の鉄板で、頂点が鋭利な形をしている。

 この形状の異物だと、外側からブッシュで塞ぐ修理方法ではエア漏れの不安が残り、一度ホイールからタイヤを外し内側からパッチを貼り付けパンク箇所を塞ぐ修理方法を選択した。

 少し手間は増えるが確実な修理方法の為、璃央はパンク修理でこの方法を用いる事が多い。

 寧ろ外側からブッシュを打ち込む修理方法は作業時間は短くて済むが、応急処置的なモノだと考えている。

 原因さえ把握してしまえば頻繁に行う作業の為、手を動かすだけの作業で頭では他の事を考えていた。


「そう云えば、弥生ちゃんのパンクも裏パッチを充てたなぁ」


 こんな事を呟きながら璃央は一連のパンク修理作業を淀みなく行うと、次に草刈り機の修理に取り掛かった。

 ハンドルのガタつきはホルダークランプの締結が緩んでいる為だが、その状態での使用期間が長かった様で振動等に因って擦り減ってしまってるのも複合していた。

 修理方法として璃央が選択したのホルダークランプにハンドルバーと共締め出来る様にカラーを制作して追加する事で対処する。


 柔らかい材質のアルミの薄板を油圧プレスで成形し二か所のホルダークランプにそれぞれ追加した。

 依頼された修理は完了したが、土埃で作動不良一歩手前のスロットル等の可動部を清掃してから、乾燥後にフッ素被膜を形成する特殊な潤滑スプレーでグリスアップしスムーズな操作が可能に状態に戻す。

 この様な依頼には含まれない作業を行うのは一種のサービスなのだが、璃央が職人気質の為に遣らないと気持ち悪いからと云うのが最大の理由だった。

 こうした何気ないちょっとした気遣いが近所の人達の信頼を得てる要因でも在る。


 こうした作業中でも璃央は他の事を考えていた。

 それは数日前に褥がやって来て話した時の事。



『璃央よ。お前さんサロンに置いて在る部品は片付けられるかい?』


『戴した物を置いて無いし、量もそう多くないから出来るよ。でもどうして?』

 

『あぁ。ちょっとねぇ。もしかしたらサロンを使う事になるかも知れないんだよ』


『そう云う事ね。急ぐなら優先的に片付けるけど』


『そう急いじゃないからボチボチやってくれりゃ良いさね』


『サロンを使うって――もしかしてまた透真が何か企んでるの?』


『透真じゃないよ。あいつなら使わせはしないさ。まぁ、まだ確定って訳じゃないんだが、片付ける場所が無いってなら家の方の納屋を整理する必要も在るかと思ってその算段の為だ』


『確定じゃ無いなら誰がどうするなんて聞いても仕方が無いから聞かないよ。ボチボチで良いならやって置くから大丈夫。任せて』


『そうしておくれな』



 サロンは透真がバーをやろうとして準備したけど、婆ぁばと慎爺ぃの反対で頓挫したのだったな。

 飲食店の設備が在るから、あそこを使うって事は飲食関係なのか?

 彩華さん辺りが喫茶店でもやろうって計画か?

 それだと休憩がてらコーヒーが飲めて悪くないな。


 そうなるとチビ達はどうするんだ?

 まさか俺にお守りさせるって事も無いだろうけど、紫音と綾音あいつらが触れる様な所に危ない物は置いておけないな。

 作業場の方も片付けてレイアウトを見直す必要も在りそうだ。


 彩華さんは何を思ってそんな事を考えたんだ?

 この前、弥生ちゃんが来て触発されたか。

 ん? 弥生ちゃん――そっちか!

 いや、これは流石に飛躍し過ぎてる気がするから違うかな。


 例えそうだったと仮定しても、婆ぁばに何か思惑が在るにしろ無理っぽい話しだと思うんだが……

 何しろあの娘は俺と違って根無し草じゃないんだから、そう易々と行く計画じゃないだろう。

 どっちにしてもサロンの方は片付けたって問題ないし構わないけどな。

 ここは大人しく婆ぁばのお手並み拝見と洒落込むとするか。


 いま俺がやるべきは弥生ちゃんのバイクをカスタムする事だから、それに集中しなきゃならんし。

 紫音と綾音をがっかりさせるのは可哀想だし、あの別れ際の涙の訳も気になってるのも事実だ。

 それには早くこのカスタム作業を仕上げて、また逢うしか無いよな。


 考えれば考える程、弥生ちゃんは不思議な娘だ。

 月詠家と縁の在る人間は多いけど、あんな風に自然と浸透するのはお弟子さん達以外にはまず居ないし、それなりに時間も掛かってるし――

 古くからこの土地に根付く家柄で人望や親しみ易さも在って敷居は低いけど、奥が深すぎて弥生ちゃんの様に成れないのは視て来てる。

 しかもたった三日間でなんて驚く他ないな。


 紫音と綾音があんなにべったり懐くのも珍しいよな。

 何度も逢ってるお弟子さん達の中でも誰も居ないのだから。

 それに俺にも何かが違って来てるのは感じるんだ。

 いまはそれが何だか解らないだけなんだ。


 だからこそ確かめてみたいって俺は想ってる。

 やっと解かったんだ。

 多分それを認めたくなかっただけ。

 気付くのが少し遅すぎるけどな。

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