鮮明な記憶は翼を広げ Vol6 

 最初から解かっていた事だけど本当に弥生ちゃんは帰ってしまうのね。

 いつもなら広く感じるターミナル駅も、今日に限って狭く感じてしまうのはきっと名残惜しいから。

 時間にしたら一緒に居られるのも数十分よね。


 『んっ! もうっ! 璃央君ったら『帰るなよ!』くらい云ったって良いのよ』


 違うわね。それは私の願望だわ。

 一度向こうに帰って仕切り直すだけじゃない。

 そう。仕切り直すのだから笑顔で見送らないと駄目。


 紫音と綾音があんなにべったりと懐くなんて。

 弥生ちゃんって、私には無いものを持ってる面白くて不思議な娘。

 璃央君も一緒に並んで歩いてると誰が視ても親子だって思うでしょうね。

 そこは母親としてちょっとだけ悔しいのだけど。ふふ。



「弥生にこれを渡そうと思って持って来たんだよ」


「これは? 何ですか?」


「そんな畏まるでないよ。只の土産だよ。あたしからお前さんへの土産だ」



『婆ぁばはいつの間に土産なんて用意してたんだ? それもあんなに手の込んだ物を彫る時間なんて在ったか?』


 俺も土産の一つくらいは持たせてやっても良かったかな。

 失敗した。そんな事もすっかり忘れてたよ。

 そうは云ってもどこかに買いに行ったりする時間も無かったし。

 その辺の土産物屋で菓子でも用意して……

 ――って、さっき弥生ちゃんが自分で買ってたし荷物を増やすだけだな。

 あの時に何か一緒に買って手渡すくらいの気を廻せれば良かったと後悔したところで始まらない。

 せめて支払いは俺がすれば良かったかな?

 そんな事しても場当たりで恰好が付かないどころか、呆れられてしまうだろう。

 仕方ない。ここは下手に取り繕ったりしないで、何食わぬ顔をしてるしかないな。

 カスタム作業を終えればまた来るんだから、その時は何か用意して置こう。



「ねぇね。にじゅう したら また くりゅよね?」


「そうね。少しズレるかも知れないけど、その位でまた来るわ。それまで元気にしててね」


「おねぇちゃん。やくそくだよ。じぇったいだよ。はり せんぼん だよ」


「勿論よ。約束したわ。何が在っても紫音ちゃんと綾音ちゃんにまた逢いに来るんだから」


「わたしも しおねぇも まってる のよ。じぇったいよっ」


「うん。絶対よね。今度来る時は、髪を結うフワフワもいっぱいお土産に持って来るからね」


「「うんっ!」」



 ホームに列車の到着を告げるアナウンスが響く。


『いよいよ本当にお別れの時が来ちゃったわね』


『いまは暫しの別れだが、直ぐに戻って来るだろうさ。その時にはあたしが何とかしてやるさね』


『弥生ちゃんまた来いよな。愉しかったよ』


 特急列車がホームに到着してドアが開き数名の乗客が降りると、弥生はゆっくりした足取りで乗り込んで、ドア付近のフロアで振り返り少しだけ躊躇したように視線を落とした。

 そしてゆっくり深呼吸した後こう告げた。


『また直ぐに遊びに来ますっ!』



「弥生ちゃん。無事にお家に着いたらアプリで良いから連絡してね」


「気を付けてお帰り」


「カスタム作業が終わったら連絡するから」


「おねぇちゃん またきてね」


「ねぇね。やくしょくよ」



 発車を告げるオルゴールが鳴り止むと無機質にドアが閉まった。

 弥生はドアのウインドゥ越しに、まるで造ったような満面の笑顔を貼り付けて佇み、軽く片手を挙げて左右に振っている。


『何かがおかしい』


 と、彩華を始めそこに居る全員が感じた次の瞬間。

 満面の笑みを浮かべながら大粒の涙が零れ落ち弥生の頬を伝った。


『これは昨日の昼間に俺の店で弥生ちゃんが魅せたあの涙と同じだ』


 無情にも列車は緩やかに動き出し、誰もがどうする事も出来ないままにただ茫然として見送る以外に術はなかった。

 列車は二十メートルも動けばホームから弥生の姿を確認出来なくなるが、身体を進行方向に向け眺めるように見送っている。


 綾音が俺の袖口を引っ張り何やら聞いて来るけど、俺の耳には右から左へと素通りして行く。

 だから曖昧に返事をしてると諦めたのか、今度は彩華さんに同じ事をしているのが眼の端に映る。

 紫音も同様に婆ぁばに浮かない顔して遠慮がちに何か云っている。

 流石に冷静では居られないようで、反射的に相槌を打つように生返事をしてあしらってしまってる。



「ママぁ。ねぇね ないてるの。どっか いたいの?」


「ん。そうね……えぇとね……うん。」


「ばぁば、おねぇちゃん どうしたの?」

 

「あぁ。そうだな。そうねぇ」


「ママっ。きいてっ! ねぇね いたいの? かわいしょぉ なのよ」

 

「えっ? あっ、あっ、そうねぇ……お姉ちゃんは痛くないのよ。きっとお眼々にゴミが入っちゃったのよ。それで涙が出たのだわ。だから大丈夫よ。だいじょうぶ……だから」


「ねぇね。いたくないの? かわいしょう じゃないの? ほんとぉ?」


「うん。本当よ。お姉ちゃんがお家に着いたら連絡が来るわ。その時にお話しすれば良いでしょ?」


「うん。わかった」



 その時、突然手にしたスマホが振動し始めた。

 あぁ、もうこんな時間なのね。

 お昼休みも終わりだからデスクに戻らないといけないわ。


 双子ちゃん達の写真を眺めてたら随分と時間が経ってしまったみたい。

 スマホのアラームをセットして置いて良かった……

 あの時のお別れのご挨拶を想い出してあれこれと考えてしまい、時間の事を失念してしまってたみたい。


『でもどうしよう……いったいどんな顔して逢えば良いの?』

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