淡く感じる日常で Vol2

神駆絽かみくろ 弥生】

 そう記されたカードを手にする。

 少し息を呑むように機械の挿入口へカードを差し込むと『ジィーッガチャン!』って音と共にカードが吐き出されて来る。


 ナニ シンコク ソー ニ シテル ノヨ!

 タダ ノ タイムカード ジャナイ。


 別に良いでしょ。誰かに迷惑が掛かる訳じゃないのだから。ケチね。


 メーワク ワ カカル ワヨ。オモニ アタシニ。


 何の事よ。クーデレさんはあたしと一心同体なのだから気兼ねする訳ないでしょ?


 キニシナサイヨ。イゼン トワ ジョウキョウ ガ チガウノ ダカラ。

 

 状況が違うと云っても、ずっとあたしの中に居たのだから変わって無いと思うわよ。あたしがクーデレさんの存在に気が付いただけで、他には無いでしょ?


 アナタ ワ シラナクテ イイワ。イマ ワ ネ。


 よく解らないけど、まぁ良いわ。

 お話しを戻すと、出勤時に打刻するタイムカードって覚悟がいるわよね。

 だってこれを押した瞬間から『神駆絽カミクロ 弥生』は『神駆絽 弥生』じゃ無くなるのよ。


 ドーユー コト?


 解らないの? それじゃぁ説明してあげるわ。

 会社でお仕事をするって云うのはあたしの時間を使うでしょ。

 それに応じた対価がお給料って形で支払われるのだけど、それってあたしの時間を会社に売った事になるのよ。

 品物に対価を払って手に入れたら所有権も当然のように移行するのが道理で、それと同じって事なの。

 だから、あたしで在ってあたしじゃ無くなる瞬間なのよ。お解かり?


 メンッドクサッ!


 何よっ。せっかく懇切丁寧に説明してあげたのじゃない。

 あたしは『売られて行く仔牛』のようなものなの……


 メ・ン・ド・ク・サ・イ!!


 はいはい。自重するわよ。


 アナタニ ヒトツ オシエテ アゲル。

 アノ ウタ ワ ダナダナ ッテ タイトル ダッタ ノヨ。


 それこそどうでも良いわよ!

 童謡祭りでもする気なの?

 そんな事したら多方面にご迷惑が掛かるでしょっ。



「神駆絽。ちょっと良いか? 今日のクライアントさんとのミーティングだけど、時間に変更は無いよな?」


「はい。変更無しです。十四時から二時間を予定していて、第三会議室を三時間で抑えて在りますから、多少なら長くなっても大丈夫です。宜しくお願いしますね」


「サンキュー。少しは臨機応変に段取りが出来るようになって来たな。この調子でミーティングの方も頼んだぞ」


「了解です。後で昨日纏めた資料をお渡しますので、眼を通してミスが無いかチェックして下さい」


「あちらさんの意向で変更も予想されるから、少し予算に余裕を視てるんだよな?」


「バッチリだと思いますよ。まだ本決まりじゃ無いので複数のプラン別に余裕は在ると思います」


「うんうん。それじゃ資料を持って来てくれ」



 今朝の滑り出しは上々でしょ。ふふん。

 念入りに練ったプランだから、多少の変更が在っても充分にフレキシブルな対応が出来るわ。

 不確定要素が在るとすれば工期かしらね。

 クライアントさんは出来るだけ早くって要望だから、無茶な工期を希望して来なければ良いのだけど。

 そりゃぁ、実際の現場で作業してくれる業者さんには少しならお願い出来るけど限度ってものが在るから、そうならない事を祈るしか無いわね。

 でもその辺りは課長が上手く先方に説明してくれる筈よ。

 現場から叩き上げた人が説明するのだから、説得力が違って納得してくれると思うわ。


 もしかしたら慎之介お祖父様もこんな風にクライアントさんとミーティングをするのかしら。

 どんなに無茶な要望を云われてもあの柔和な笑顔を湛えて優しい口調で説明されたら、逆に毒気なんて吐けなくなってしまってある意味最強なんじゃない?

 それに併せて高レベルな技術に物を云わせ完璧な仕上げになるだろうし、クレームするなんて出来ないから正にクレーマーの天敵ね。

 人呼んで『クレームイーター慎之介!』とか云ってみたり――

 思い付きで考えた二つ名だけど、何か強そうだしヒーローものに出て来そうだわ。


 初めてお顔を拝見した時から、温和な口調で『畏まらくて良いから』ってずっと云われてたわね。

 そんなふうに云われてもあたしには難しい事だったわ。

 目上の方であのお家の家長なんですもの。

 敬うなと云うのは無理なお話しよね。


『自分の家だと思っていつでも遊びに来なさい』


 お祖父様があたしに掛けてくれたお言葉が頭の中で響いた。


 そう出来たならどんなに良いか……

 毎日のように遊びに行ける距離だったら入り浸るのに。

 あんなにも温かい方達の家族になれるなら、あたしは何だって出来るわ。

 あれからずっとあの場所であたしの出来る事を探してる。

 まだ見つからないけど、出口のような微かな晄は確かに感じるの。


 空回りする気持ちと想いを具体的な形にしなきゃ――

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