18
「君、職業は?」
「今は無職だけど、来週から――」
「だと思ったよ。そんなナリでまともに働いてるとは思えないからね」
「…………」
「いい歳した大人が働きもせず、そんなチャラチャラした格好で遊びまわって……挙句の果てに、女子高生を追いかけまわして暴行を加えるなんて――人として恥ずかしくないのかね? ん?」
「……おい、お巡りさん。人の話は最後までちゃんと聞けって学校で先生に教わらなかったのか?」
「なんだお前、その口の利き方は……!」
終始不貞腐れた態度で対応したのがいけなかったのか。
ようやく事情を理解してもらい、解放された頃にはもうすぐ終電が無くなる時間だった。
「あのクソ女、次会ったらぶん殴ってやる……!」
そう言い、ハッとする。
(――って、本当に殴ったらまたクビになるな)
そう思い、潮は大きな溜息をついた。
「殴るといえば……。そういや昔、嫌がる維伸に無理やり女をあてがおうとして、殴られたことがあったな。殴ったのは維伸じゃなかったけど……」
と言い、ある人物のことを頭に浮かべる。
「……確か、アイツが住んでるのはこの辺りだったっけかな」
そう呟き、潮はスマホで何かを確認すると、元来た道を引き返した。
目的のマンションに到着すると、ちょうど住人らしき男が出てくる場面に遭遇し、そのままエントランスのオートロックを通り抜けてマンション内へと入り込む。
玄関先のインターフォンをひたすら連打していると、ガチャリと扉が開かれ、
「……アンタねぇ。来るんだったら、ちゃんと連絡入れなさいよ。あと今何時だと思ってんの」
寝間着姿の緑子が、迷惑そうに潮を出迎えた。
「俺とお前の仲だろ? いちいちそんな面倒なことしてられるかよ」
「少しは反省して大人しくなったのかと思ったけど……全然、そんな様子じゃなさそうね」
そう言って緑子はちらりと潮の頭を一瞥した。
「そんな派手な色に染めるなんて。この三年間はさぞかし楽しい長期休暇だったんでしょうね」
「楽しいわけねーだろ。無職ってお前が思ってるよりもずっと過酷なんだぞ? 最初の半年ぐらいはまぁいいんだけど、途中から世間から取り残されているような気分になって……焦燥感? みたいなのもあるしさ。働いてない方が生活費がかさまないと思いきや、むしろ時間ができたことによって余計に金がかかるようになるし、貯金は減っていく一方……生活リズムは狂うわ、外出する機会も一気に減るから運動不足にもなるし。あー……でも、女と会う時間は増えたから、そっちの意味ではかなり運動してたな」
「…………相変わらず元気そうね。潮」
そう言い、緑子は優しげな表情を浮かべた。
久しぶりに会った友人の変わらなさに、どこか安心感を覚えているように見えた。
「あ。やっぱりさっきのインターフォンの連打は、潮さんだったんですね」
今しがた食器洗いを終えたのだろう。
麦芽は持っていた皿を水切りかごに差し込み、二人の元へとやって来た。
「よぉ、麦芽。久しぶりだな」
そう言い潮は、どかっとソファに座った。
我が物顔で自宅のようにくつろぎ始める潮に対し、緑子は自分が飲もうと思って出していたハイボール缶を差し出す。
「で、こんな時間に突然来るなんてどうかしたの? マッチングアプリで知り合った女がとんでもない地雷女だったとか?」
「……維伸から聞いたのかよ。アイツ、ほんと昔からなんでもお前に話すよな」
「そういうアンタだって私になんでも話してたじゃない。高校の時、新任の女教師と不倫してるって聞いた時は、びっくりしたんだけど」
「え。潮さん、そんなことしてたんですか!?」
「……ま、若気の至りってやつだな」
「何が若気の至りよ。年上好きのアンタのことだし、どうせ今でも人妻の尻ばっか追いかけてるんでしょ」
「……そういうのはもう卒業した。今は独身の女とだけ遊ぶようにしてる」
「あら、それは殊勝な心掛けね。アンタの女癖の悪さは、一生治らないものだと思ってたんだけど」
(治るって……病気じゃあるまいし)
そう思い、潮が煙草を咥えると、じっとこちらを見つめてくる麦芽と目が合った。
「?」
「あ、いえ。マッチングアプリって、私の周りでは使っている人がいないので、どんな感じの人と知り合えるのかなー……と思いまして」
「どんな感じといわれても、相手次第っていうか……。というかお前、マッチングアプリなんかに興味があるのか? お前だったらこんなのを使わなくても、女なんていくらでも寄ってくるだろ。そんなに面がいいんだし」
「い、いえ、そんなことは全然……」
そう言い、照れくさいのか麦芽は潮から目を逸らした。
「…………」
緑子と違い、弟の方は自分の顔立ちが恵まれていることに自覚がないらしい。
そう思い、潮は腹立たしさを覚えた。
(こいつらの一族って何気に美男美女ぞろいなんだよな)
幼い頃から見慣れているせいで、つい忘れがちになってしまうのだが――客観的に見れば、この二人はかなりの美形姉弟だと思う。
(これで、緑子がもっと癖のない性格だったらなー……)
などと思いながら、煙草をふかしていると、
「で、どんな女だったの?」
と、緑子がハイボール缶を傾けながら尋ねてきた。
「なんだお前、俺がどんな女と会っていたのか気になるのか?」
「別に気にはならないけど、酒の肴ぐらいにはなるかと思って。アンタの爛れた生活は、傍から聞く分には結構面白いから」
「お前も物好きな女だよなー……」
と言い、麦芽を見ると、弟の方も興味があるのか、こちらが話すのをじっと待っている様子だった。
「維伸には会うって言ったけど、実際には会ってねーよ」
「あら、すっぽかされたの? お気の毒に」
「ちげーよバカ。別の女と会ってたんだよ」
「別の女性……ですか?」
そう言い、麦芽は首を傾げる。
「待ち合わせしといて、別の女とよろしくやってたわけ?」
「そういうわけじゃない」
どこからあの女のことを説明すればいいのだろう。
そう考え、潮が思考を巡らせていると、遠くからガチャリと物音が聞こえてきた。
「ん? 何の音だ?」
「あぁ、親戚の子がお風呂に入ってたのよ」
「親戚の子?」
「潮にはまだ言ってなかったかしら。今ちょっと、親戚の子を預かってるのよ」
「ふーん、何歳ぐらいのガキなんだ」
「高校二年生の女の子ですよ」
麦芽がそう応えると、潮は少し興味を示したのか表情を変える。
「高校は?」
「成果高校です」
「……んじゃ、挨拶ぐらいしといた方がいいか」
そう言い、潮が脱衣所に目を向けると、
ガラガラという音と共に戸が開かれ、高校生にしてはやけに小柄な少女が姿を現した。
何か声を掛けようかと思った瞬間、顔を見て絶句した。
「あー! さっきのストーカー男!」
「誰がストーカーだ! ストーカーはお前だろ!?」
潮は持っていたハイボール缶を握りつぶすと、再び愛の胸倉を掴んだ。
とっさに殴りかかろうとしたその時、
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 潮さん、いきなりどうしたんですか!?」
麦芽が愛を庇うように仲裁に入る。
「うるさい、一発ぐらい殴らせろ! コイツのせいで俺は酷い目にあったんだぞ!」
「そういうわけには」と、麦芽が潮を引っぺがし、
喚く潮を宥め、麦芽は潮に状況の説明を求めた。
「維伸さんのストーカーですか? 愛ちゃんが?」
「まさか」と口にして、麦芽は緑子を見やる。
姉の方はどうやら心当たりがあるらしく、頭を抱えていた。
「え、え。じゃあ……愛ちゃんが話していた好きな人って、維伸さんのことだったんですか!?」
麦芽の驚く声がリビングに響きわたる。
「驚くところはそこなのかよ。自分たちが預かっていたガキが人様にストーカー行為を働いてたんだぞ? もっとそっちに驚けよ」
「えぇ、まぁ……そうなんですけど」
と言い、麦芽は愛をちらりと見た。
その場にいる全員からの視線を集め、愛はようやく重い口を開く。
「わ……わ、わたしは先生のストーカーなんかじゃありません! 誤解です!」
「またそれか。どう考えてもお前は維伸のストーカーだろ! 逆にお前がストーカーじゃないんだったら、何だっていうんだ!?」
「だって、ストーカーって相手に対して悪いことをする人のことですよね? わたしの恋は純粋な片思い。先生への愛が募るほど、わたしの想いも強くなって、それで、先生のことが気になって見守ってるだけなんです」
「……お前、想像以上に気持ち悪いやつだな」
「む! わたしのどこが気持ち悪いっていうんですか!」
「人の家の合鍵を勝手に複製して忍び込んでる時点で、気持ち悪い以外の何物でもないだろ。おい緑子! お前も黙ってないでなんか言ったらどうだ!」
潮はそう言い、先ほどからずっと沈黙を保っている緑子を見やり発言を仰ぐ。
「維伸も悪い」
返ってきたのは意外な言葉だった。
「アイツ、昨日も女子生徒に告白されていたのよ。周りに気を持たせるような態度を取る維伸自身にも問題があるんじゃない?」
そう言われて潮は「それも一理あるな」と、頷いた。
維伸は関西に住んでいた頃も、何度もそういったいざこざを起こしていた。
「アイツ、昔から厄介そうな女にばかり好かれるんだよなぁ……。あんまり生徒には優しくするなって言ってるのに……」
そういう風に零した潮のことをどう思ったのか、
「先生は絶対に渡しません!」
と、愛はビシッと指を突き刺して潮に宣戦布告をした。
「だから、ホモじゃねーって言ってるだろ!」
かくして愛の悪行は明らかになったものの、
特に咎められることもなく、平然と月曜日を迎えた。
「最初からこうやって一緒に登校しとけばよかったわね」
そう言ったのは、車を運転している緑子だった。
今までは愛のリハビリになればと思い、電車通学をさせていたが――維伸を監視しているということであれば、そういうわけにもいかない。
緑子は、今日から愛と一緒に出勤することを決めたのだった。
「幼馴染の私が言うのもアレだけど、維伸なんかのどこがいいの?」
ハンドルを握りながら、助手席に座る愛に話しかける。
「顔?」
「うわ、最低」
「冗談ですよ。二人の魂は、前世からのスピリチュアルが繋がっていて、ラブが永遠の状態なんですから」
「アンタ、まさかヤバイものキメてんじゃないわよね?」
「むむっ、失礼な。雑誌の後ろの方の広告に載ってた、電話占い(有料)の占い師さんも保証してくれたんですよ」
「それ、ほとんど詐欺みたいなもんだから」
「ちゃんと商品が届いたから、詐欺じゃないですよ」
「商品って?」
「十万円の水晶の置物」
「……それ、いつの話?」
「昨日」
「よかった。まだクーリングオフ出来るわね」
「あはは、お姉さんってばバカですね。クリーニングは服を綺麗にしてもらう所ですよ?」
「はいはい、そーですね」
二人が学校に到着すると、
「よっ」と小気味の良い挨拶をしてくる声が聞こえてきた。
潮である。
「なんでこの男がここに……」
いまいち状況を理解できない愛が困惑をしていると、
「二人とも、おはよう」
と、維伸が現れ声を掛けてきた。
「明治先生。あの、この人は?」
と言い、愛は潮を指差した。
「あぁ、森長さんにはまだ紹介してなかったよね。彼は、軽日潮。休暇に入られた古帆先生の代わりに、急遽赴任してきた数学の先生だよ」
「へ、へぇ……そうなんですか」
そう言い、愛は潮をじろりと見た。
「潮は僕の幼馴染でもあるんだ。二人とも仲良くしてね」
維伸から改めて紹介された潮は、
「これからよろしくな」
と、嫌味たっぷりに愛に言うのだった。
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