16
――次の日。
愛は早朝から維伸の自宅近くの公園に潜み、こっそりと彼の部屋の様子を窺っていた。
「あ」
ベランダに、昨晩アパートの前で見かけた赤毛の男が姿を現した。
(やっぱりこの男が先生の家に泊まりに来てた人なんだ)
改めて男の様子をまじまじと眺める。
ヘビースモーカーというやつなのだろうか。男は一本吸い上げるだけじゃ物足りなかったのか、すぐに二本目の煙草を取り出し、火を点けた。
(こんな朝っぱらから、ばかすか煙草を吸う男が先生の恋人だなんて……)
一応外で吸うという最低限の配慮はしているらしいが、それはあくまで家主への気遣いであって、近隣住民からすれば迷惑な話ではあった。
維伸の隣の部屋の住人が、洗濯物を取り込みながら、「ごほん」と、わざとらしく咳払いするものの――男は全く気に留める様子もなく、煙草をふかし続けている。
「…………」
周囲に気を遣う性格の維伸に対し、男はどこか無遠慮な態度が目立つような気がした。
挙句の果てに、吸殻をそのままベランダの床に捨てる場面を目撃し、
(先生はこんな男のどこがいいんだろう)
愛は自分とは絶対に相容れない人物なのだと確信した。
潮は室内に戻ってくるなり、カーテンを引いた。
「日中は外の明かりを取り込みたいから、カーテンは開けっぱなしにしておきたいんだけど……」
「だったらレースカーテンを買え。こんなんじゃ外から室内の様子が丸見えだろ」
「この辺りには高い階層の建物もないし、誰も覗いたりなんかしないよ」
「どこかに双眼鏡を使って覗きをしている変態がいるかもしれないだろ」
潮の忠告に対し、
「まさか。だって男の一人暮らしだよ?」
と、冗談だと思ったのか維伸は笑って返した。
「…………」
どうやら維伸は、自分が女子生徒に付き纏われていることに気付いていないのかもしれない――そう思い、潮は頭を抱えた。
昨晩、潮は友人の部屋に何者かが侵入しているかもしれないことに気付き、どうにか維伸を外に連れ出そうと画策したのだが――それに失敗し、外で警察に通報しようとしていた。
おそらく空き巣かなにかだろう。
そう思い、潮はスマホに110と入力した。
潮が発信ボタンを押したのとほぼ同時に、維伸の部屋の扉が開かれ、
制服を身に纏っている学生らしき少女がきょろきょろと辺りの様子を窺いながら出てきた。
(あの制服は成果高校の……)
『事件ですか? 事故ですか?』
「あ、いや……すみません、掛け間違えました」
そして翌朝。
煙草を吸うためにベランダに出て、アパートに隣接している公園を眺めていると、
(……どうやらあの女は、並々ならぬ執着を持っているようだな)
ジャングルジムの上で、熱心に張り込みらしき行為をしている愛の姿を見つけた。
相手が成果高校の学生となると――あまり大事にはしたくない。
どうやってあの女子生徒に維伸を諦めさせようかと思案しながら、潮は二本目の煙草を咥えたのだった。
「目玉焼き。半熟としっかり火を通したやつのどっちがいい?」
「半熟」
「了解」
「…………」
自分が女子生徒に付き纏われているなんて露ほどにも思っていないのだろう。先ほどから呑気に二人分の朝食の支度をしている維伸を見やり、潮は溜息を吐いた。
(維伸にあの女の存在をバラすのが一番手っ取り早いが……どうしたもんかな。コイツ、結構打たれ弱いからなー……。生徒に私生活を監視されていた――なんて知ったら、ショックで寝込んでしまうんじゃ……)
いや、それだけで済めばまだいい。
(昨日飯食ってるときに、自分は教師に向いてない――的なこと零してたし。最悪、教職を辞めることに繋がりかねないな)
潮は維伸に向けていた視線を窓へと移し、ゆっくりとカーテンを捲った。
(あの女……まだいるのか。維伸が気付いてないのをいいことに、堂々と好き放題しやがって……)
「ごはん出来たよ」
潮は「あぁ」と短く返事をすると、特に感謝の言葉も述べずに食事に手を付け始めた。
「なぁ、この後特に予定がないんだったら映画でも観に行かないか?」
「映画? 今日は確か、マッチングアプリで知り合った人と会う約束があるとか言ってなかったっけ?」
「なんか気乗りしない相手でな。適当に理由付けてパスしたいんだよ」
「僕はいいけど……。ちゃんと相手の人に断りの連絡を送るんだよ?」
「へいへい」
そう言うと潮は箸で半熟卵を潰した。
(これって……もしかすると、デートの現場なのでは……)
映画館の券売機でチケットを買う二人の姿を眺めながら、愛は悶々とした視線を陰から送っていた。
二人はチケットを発券し終えると、今度は売店へと移動する。
「映画館のポップコーンってうまいけど、かなりボリュームがあるよな。若い頃は平気だったけど、年取ると結構キツイっていうか……」
「上映時間内に全部食べあげるのって、結構なペースを要求されるよね」
「どーすっかなー。せっかく来たんだし、食わないとなんか損した気分になるっていうか……」
「良かったら二人でシェアしてみる?」
「シェアって……男同士で、そんなマネできるかバカ。傍から見たらキモイだろ」
「別に、そんなことないと思うけど。ほら、他にもそれっぽいことしてる感じの人いるし」
そう言って維伸は他の男性同士で来ている客を見やり、潮もつられてそちらに視線を向ける。
そこには一つの食べ物を分け合って食べている学生らしき二人組の姿があった。
「……――なんていうか、時代が変わったよな」
「え?」
「いや、俺らが学生の時だったらさ。あんな風に男同士でイチャついてたら、ホモだろなんだろ周りに囃し立てられてただろうなって。それが今じゃなんだ、オカマでもないくせに、化粧してる男もいるし、割とオープンな感じで自分の性的指向をさらけ出すやつが増えたし。昔はもっとこう……日陰者感があった気がするのに、わりと最近は堂々としてるやつ多いよなって」
「それが多様性の時代ってことじゃないの? 僕はいいことだと思うけどな」
「そうかぁ? 俺はなんかちょっと無理だな。こういう最近の風潮」
(自分だって同性愛者のくせに。なんなんだコイツは)
そう思い、愛は怪訝な視線を向ける。
(いや、もしかして……)
風当たりが強い時代を生きてきた古参なりに、今の寛容な時代に対してなにか思うところがあるのかもしれない。
(先生もきっと苦労してきたんだろうな……)
そんなことをしみじみと考えながら券売機に向かい、愛は二人が観る予定の映画と同じチケットを発券した。
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