08

 風呂上りの緑子がソファに座ってくつろいでいると、玄関の方から物音が聞こえてきた。

 少し遅れて廊下へと続く扉が開かれ、

「ただいま戻りましたー」

 と、何の悪びれも感じてないであろう声がリビングに響いた。

「今、何時だと思ってんのよ」

 緑子は観ていた映画を止め、やや強い口調でそう言った。

「えぇと、零時五分ですね」

 愛は壁に掛かっている時計を見つめてそう答えた。

 どうやら単に時刻を聞かれたのだと思っているらしい。

「アンタねぇ……」

「まぁまぁ、いいじゃないですか。こうやって今日も無事に帰って来てくれたんですから」

 キッチンで洗い物をしていた麦芽が、作業の手を止めて仲裁に入る。

「姉さんだって愛ちゃんぐらいの歳の頃は、散々父さんを心配させていたじゃないですか」

 と、麦芽が言うと、

「私は日付が変わる前には帰ってたわよ。あと、私の帰宅時間が遅かったのは学校が遠い上に塾にまで通ってたからよ。この子なんかと一緒にしないでちょうだい」

 緑子はそう反論した。

「でも、愛ちゃんだってきっと色々ある年頃なんですよ。あまり口煩く言って家出でもされたら困りますし……」

 『家出』という単語に反応したのか、緑子は一瞬だけ険しい表情を浮かべ、愛の姿を探した。

 しかし、さっきまでいたはずの同居人は既にいない。

「あの子は?」

「今しがたお風呂に入りに行きましたよ」

「ったく、話はまだ終わってないっていうのに」

 ぴしゃりと閉められた脱衣所の扉を見やり、緑子は飲みかけのハイボール缶を傾けた。




 シャワーを浴び終えた愛は、夕食を採り終え、自室のベッドの上で寝そべって調べものをしていた。

「用途に合わせてレンズを交換……。ふぅん、遠くの物を撮るためにはこの望遠レンズってやつがあるといいんだ」

 だらしがない体勢でスマホを弄り、ショッピングサイトを眺めていると、

「わっ!」

 一羽のヒヨコが威勢よく愛に飛びかかってきた。

 ヒヨコは構って欲しいのか、愛の上でぴょんぴょん飛び跳ねる。

「ひーちゃん後にしてー。今、調べものでいそがしーからー」

 そう言って愛が体を捻らすと、ひーちゃんと呼ばれたヒヨコはバランスを崩しベッドの上でひっくり返った。

 ヒヨコはなんとか自力で起き上がり、自分を無視してスマホを注視している飼い主の姿を見つめる。

 そして、

「ぎゃっ!?」

 今度は飼い主の目をめがけて、攻撃を仕掛けた。


「はい、本日の放牧タイムはしゅーりょー。またのご来店をお待ちしておりまーす」

 そう言って愛はヒヨコを鳥籠の中に押し込む。

 まだ遊び足りなかったのか、ヒヨコはぴよぴよと非難の声を上げる。

「まったく、油断も隙も無いんだから」

 愛はそう言い、パジャマの袖で目元を拭う。

 再びスマホの画面を眺めると、そこには『ご注文ありがとうございます』という文字が表示されていた。

「……ん?」

 嫌な予感がし、すかさず注文履歴をチェックする。

 そこには十万円を優に超えるカメラが表示されていた。

「げ」

 どうやら先ほどの襲撃の際に、誤って購入ボタンを押してしまっていたらしい。

 なんとか注文を取り消すことができないものかとあがいてみるものの、通販サイトの説明文に『メーカー直送のため注文後のキャンセルは承りません』という文言があるのを見つけてしまい諦めるしかなかった。

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