02
――わたしの名前は
わたしは今、もうれつに恋をしています!
その人は、ちっともわたしの気持ちに気付いてくれないけど……。
でも、愛ちゃんはめげません!
「乗りまーす!」
大声で叫んだところで電車は待ってくれないと分かりつつも、つい言葉にしてしまう。それが愛という少女だった。
「はぁ、ギリギリ間に合ったー……。これ逃すと、次の電車は十五分後なんだよね」
愛はポケットからスマホを取り出し、画面を表示させる。
時刻は午前五時五十一分。
あと数時間もすれば通勤ラッシュとも呼ばれる程に車内は混雑するのだが、この時間帯の車内はとても静かで乗客もほとんどいない。
愛は空いている席の隅っこに座ると、そのまま何をするわけでもなく、ただぼんやりと流れる景色を眺めて過ごした。
「大曽根、大曽根です。お乗り換えのお客様は――……」
車内に流れるアナウンスにハッとして、目を覚ます。
慌てて床に落としていた鞄を拾いあげ、閉まりかけの扉の間をすり抜けるように車外へと出やる。
改札を抜け、小走りで駅前の横断歩道を渡り、一目散に何処かへ向かう。
駅から十五分ほど歩いた頃だろうか。閑静な住宅街にある何の変哲もない公園に到着した。
「よいしょっと」
愛は慣れた手つきでジャングルジムの頂上までよじ登ると、双眼鏡を取り出した。
そして、公園に隣接しているアパートの一室を覗きはじめる。
その視線の先に何があるのかは分からないが、愛は微動だにせず、気が付けば公園の時計の長針はぐるりと一周を回っていた。
「ママー。あのお姉ちゃん、いつもあそこにいるよね」
母親に手を引かれている幼い子供が、道路脇から愛を指差す。
「しっ! 見ちゃいけません!」
慌ただしく通り過ぎていく親子を背に、愛はようやく構えていた双眼鏡を下した。
「あーあ、もうシャワー浴びに行っちゃった」
そう言い残して愛はジャングルジムから飛び降り、公園の隅にあるベンチへと移動する。
愛がぽりぽりと朝食代わりのポップコーンをつまんでいると、どこからか餌の匂いを嗅ぎつけたのか鳩が飛んできた。
鳩の存在に気付いた愛はポップコーンを食べる手を止め、地面にいくつか放り投げる。
地面に散らばるポップコーンの欠片に鳩が群がった。
「……嫌ねぇ。ちゃんと餌やり禁止の張り紙してるのに、あの子、また鳩に餌やってるわよ」
「あの制服って成果高校の制服よね? 学校に苦情の電話を入れた方がいいんじゃないかしら?」
アパートの前でご婦人達がひそひそと話しているものの、本人の耳には届かなかった。
愛はというと、ポップコーンを放り投げる度にまた一羽、また一羽と、鳩の数が増えてゆくのを面白そうにしている。その罰が下ったのだろうか、
「――わっ!?」
急に鳩達が飛びかかり、驚いた愛の手からポップコーンの袋がすり落ちた。
「あああああー! まだそんなに食べてないのに!」
公園中の鳩が密集し、我先にと寄ってたかって地面に落ちた菓子を突く。
「コイツら、いつも飢えてるよなー」
その様子を愛はどこか他人事のように眺めていた。
「ん?」
地面からポップコーンが消え去るのと同時に、鳩の集団が一斉に愛の方を向く。
「ちょっ!? なんでこっちに来んの!?」
襲い掛かる鳩の集団に、愛は思わず逃げ出した。
しかし、どんなに愛が公園中を走り回っても、遊具の中に隠れても、彼らは愛を追うのを止めない。
どうやら鳩達は、餌をくれる愛のことを慕ってる……わけではなく、食糧庫か何かだと思っているらしかった。
(――もしかして、コレを狙ってる!?)
愛は鞄の中に忍ばせていたポテトチップスの袋の存在に気付き、開封する。そして勢いよく地面に叩きつけると、さっきまで愛を追い回していた鳩の集団は、愛など見向きもせずに地面へと群がった。
あっという間にポテトチップスは滅ぼされ、腹が満たされて満足したのか、鳩達は空へと飛び去ってゆく。
愛は地面に取り残された袋を拾い上げ、ぐしゃぐしゃに丸めて公園のゴミ箱に力強く放り込んだ。
「あー、今日もやられた!」
どうやらこの公園で鳩にお菓子を奪われるのは、初めてではないらしい。
「アイツら、いつか絶対に唐揚げに……って、あれ?」
ふと、先ほどまで覗いていたアパートの一室に視線を向けると、何か様子が変わっていることに気付いた。
少し前まではカーテンが開いていたはずなのに、今はぴったりと閉められていて、ベランダにはいつの間にか洗濯物まで干されている。
「……って、ぼーっとしてる場合じゃない! 急がなきゃ!」
ベンチに置き去りにしていた鞄を回収し、愛は慌てて道路へと飛び出した。
「ばっきゃろー! 死にてーのか!」
車のブレーキ音と共に聞こえてくる怒号を無視して一目散に走り、電柱の影に身を潜める。
「…………」
どこかから扉が開く音が聞こえてきた。
廊下を歩く靴の音が聞こえる。
その音が近付くにつれ、愛の心臓の鼓動も次第に大きくなってゆく。
(――来た!)
その視線の先には、灰色のスーツを身に纏った男の後ろ姿があった。
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