第29話 精霊

 剣を鞘に収めたレオナルドは、空いた自分の右手を開くとじっと見つめ、

「はは……」

 力ない笑いをこぼした。

 レオナルドの手は震えていた。

 精霊がすぐそこにいる、その事実にどうしようもなく恐怖を感じているのだ。生きたい、守りたい、と思っているのに、今から自分は全く逆のことをしようとしているのではないか、と。


(ビビるな!ここからが本番だろ……!)

 その恐怖に逆らうように、ぎゅっと強く右手を握り締める。

 そして気合を入れなおすように一度大きく息を吐いて前を向いた。



 それからレオナルドはペタペタと壁を触り始めた。ただその表情は真剣そのものだ。

 ちょっとずつ横にずれながら石の壁を触っていく。

 いったいレオナルドは何をしているのか―――、それは次の瞬間驚くべきことが起こり判明した。

「っ!?」

 レオナルドは目の前で起きた現象に息を呑んだ。わかっていたことのはずなのに驚きが隠せない。

 なんとレオナルドの手が壁をすり抜けているのだ。


「あった……。ここが入口だ……」

 どうやらそういうことらしい。隠し部屋にはここを通って入ることができるようだ。壁にしか見えなかったのは、何らかの方法で偽装されているのだろう。

 レオナルドはこの壁に偽装されているところを探していた。ゲームなら壁に向かって突っ込むを繰り返すだけだが、現実でそんなことをする奴はいない。


「すぅーーー……はぁーーーーー」

(よし!行くぞ……!)

 ゲームには、レオナルドと精霊の出会いのシーンはなかった。レオナルドが少し語る程度だ。だからここからの行動にゲーム知識はほとんど使えない。

 レオナルドは一度深呼吸すると、意を決して壁にしか見えないそこへと入っていった。


「うっ!?」

 隠し部屋に入った瞬間、水路でずっと感じていた重苦しい圧のようなものが増した気がした。

(……この圧は精霊に関係したものだったのか……!?もしこれがゲームでレオナルドが感じていたものと同じだとしたら、どうして他の誰も感じなかった?)

 疑問が浮かべど解消されることはなく、レオナルドはとりあえず室内をぐるりと見て回った。小さな部屋だ。一周するのにそれほど時間はかからなかった。

 結果、石でできた床、壁、天井。あるのは、中央に突き刺さっている黒刀だけだ。


(やっぱどう見ても黒刀あれだよな)

 ゲーム通りだと確認できたレオナルドがいざ黒刀に近づこうと一歩を踏み出したそのとき―――、

『ニン…ゲン……?』

 どこからか小さいが確かに声が聞こえた。

「っ!?」

 レオナルドは肩をビクッと震わせ、目を見開き、踏み出した足を止める。

『……間違いない、人間ですね。人間がここに来るなんていつ以来でしょうか……。…………忌々しい』

 間違いない。何事かを言っている。声質は女性のものと思われるが、独り言なのか小さすぎて聞き取れない。

(何だ?何て言ってるんだ?)

『人間など今すぐにでも殺してやりたい。死ね。死ね、死ね、死ね、死ね…、シンデシマエ』

 室内の圧が増し、激烈な憎悪が室内を満たしていく。

 だからだろうか。何を言っているかわからないレオナルドだが、なぜか悪寒がした。

(もしかして俺に話しかけてる、のか?)

 そう考えたレオナルドは、

「なぁ!何を言ってるんだ!?さっきから喋ってるだろ?」

 声を張った。レオナルドには声の主に心当たりがあった。というか、ここでいきなり聞こえる声など一つしか可能性はないだろう。

『!?』

「もしかして俺に言ってるのか?声が小さくてちゃんと聞こえないんだ!」

『…………』

 レオナルドがそこまで言うと、どういう訳か声がピタリと止まった。先ほどまでレオナルドが感じていた悪寒も治まっている。ただ返事はない。

(もしかして俺に言ってるんじゃなかった?それともこちらの声は聞こえていない?けど、ならどうして急に黙った?しばらく待った方がいいのか?それとももう一度訊いてみた方がいいか?……わからない。どうするのが正解だ?)

 レオナルドがそんな風に考えている間も沈黙の時間は流れ、もう一度自分から訊いてみようとレオナルドが決めたところで――――、

『……まさか私の声が届いているのですか?』

 返事があった。落ち着いた声、というよりも何というか抑揚のない声だ。

「っ、あ、ああ!聞こえてる。今はちゃんとわかるよ!」

 今回はレオナルドにもはっきり聞こえた。質問を質問で返された唐突な返事に戸惑いを覚えたレオナルドだが、何とか会話を成立させようと声の主の疑問に答えた。

『そんなことが……?』

 今度はすぐに反応があった。

「?ああ。さっきから何か言ってただろ?」

『…………そうだな。だが、人間。貴様に話しかけていた訳ではない』

 何か考えてでもいたのか、たっぷりと間を置いて声の主は答えた。しかもなぜか口調が変わっている。すごく威厳のある話し方だった。ただ、レオナルドは特に気づきもしなかった。それどころか話せることに若干感動すらしていた。

「そうなのか?…じゃあ独り言?」

 そして、レオナルドは言いながら不思議そうに小首を傾げた。

『……そんなことよりも人間、貴様は何をしにここへやって来た?』

「あ~っと、その前に一つ確認したいんだけど。今喋っているあなたは精霊、なのか?」

 レオナルドは半ば確信を持って尋ねた。この場で聞こえる声など精霊以外にあり得ないからだ。ただ精霊の声はゲームで聞いたことがないので一抹の不安があった。そのための確認だ。

『……ほう?……貴様、まさかの人間か?』

「え?いや違うけど?何で急に王家が出てくるんだ?」

『違うならばよい。…興味深いな。貴様は興味深いぞ、人間。先ほどの問いの答えだが、貴様の言う通り、私は精霊だ。……』

「やっぱり!俺はあなたに会いに来たんだ!……けど、今はまだ、って?」

 肯定を得られたレオナルドは笑みを浮かべるが、すぐに真剣な表情でこの隠し部屋に来た目的を伝えた。精霊が普通に会話のできる相手だというのもレオナルドにとってはありがたかった。ただ、最後の言い方だけが少し引っかかった。

『会いに来た、だと?貴様、なぜ私がここにいることを知っている?』

 しかし、レオナルドが尋ねた、今はまだの意味については、精霊によって流されてしまう。

「それについては話せば長くなるというか、簡単には説明しにくいというか……」

 レオナルドは頭に手をやり、困り顔になって言葉を濁した。ここがゲームの世界で、そのゲームをやり込んだ前世の記憶があるなんて、この世界の存在にどう話せばいいかすぐには思いつかない。

『ふむ。ではなぜ会いに来た?こうして話したかったという訳でもあるまい?』

 ごくりとレオナルドの喉が上下する。ここからが本番だ。

「…ああ。もちろん、理由はある。俺は精霊の力が欲しい!」

『ほう?私の力も知っているのか。確かに私の力は絶大だ。手に入れれば貴様の望みは何でも叶えられるだろう。貴様はそれで何を望む?富か?権力か?』

「そんなんじゃない!俺は自分の死ぬ運命を回避したい。そのためには精霊の力がどうしても必要なんだ」

『死ぬ運命、だと?妙な言い方をするな?』

「俺は…近い将来必ず殺される。それを回避したくて鍛えてはいるけど、魔力がない俺では勝てない相手ばかりなんだ……。だから!」

 レオナルドは神妙な面持ちで訴えた。

 ゲームのレオナルドは精霊の存在も知らなければ、自分の死の運命も知らなかったため、今とは絶対に流れが違うだろう。けれど内容としては似たような会話がなされていたのかもしれない。力を欲していたのはゲームのレオナルドも同じなのだから。

『魔力が、ない?』

「……ああ、俺には魔力がない。だから魔法も使えない。……俺は、どうしようもなく弱いんだ!」

 レオナルドのそれは悲痛な叫びだった。

『なるほど……。私の声が聞こえる貴様なら、私の力を手にする資格があるやもしれんぞ?』

 精霊は納得した。レオナルドが力を求める理由を、ではない。未来を知っているかのように話すその内容は荒唐無稽にしか聞こえなかった。

 納得したのは、レオナルドが現れたときのことだ。そもそもこの隠し部屋には精霊の力が充満していた。そんなところに人間が入ってくれば、異物の存在にすぐに気づくはずなのだ。それなのに気づくのが遅れた。確信を持てたのも音などの気配からだ。

 だが、魔力がないなら、そんな人間がいるとは驚愕だが、それが本当だとすれば辻褄つじつまは合う。後はレオナルドにがあるか、だが、それも精霊の声が聞こえていることを考えれば可能性は高い。

 精霊にとってもレオナルドの存在は千載一遇の好機だった。

「声?それはどういう……っ、もしかして本来人間には聞こえないのか!?」

 話すことにばかり意識がいって失念していたが、ゲームでもレオナルドだけが聞こえていたことを思い出したのだ。

『何だ?それは知らなかったのか?だから貴様は興味深いと言っているのだ。当然、普通の人間には私の力を扱うこともできん』

「そう、だったのか……」

 レオナルドが精霊を宿したのは偶然、ではなかったということか。レオナルド精霊を宿すことができた?でもなぜ?浮かぶ疑問にゲームの設定だから、で済ますことは簡単だ。けれどそれは思考放棄に等しい。今となっては自分自身のことなのに、それでは納得できなかった。

 だが、精霊は考える時間をくれない。

『それでは、人間。今から貴様にやってもらうことがある』

「何だ?」

『部屋の中央に黒い剣が刺さっているだろう?それは刀というものなのだが、私の力の塊のようなものだ。それを抜いてみろ。貴様に力を手にする資格があるのなら抜けるはずだ』

「……わかった」

 やはり黒刀がカギだったのだ。

 レオナルドは緊張からか顔を強張らせながら黒刀へと近づいていった。


 ―――――あとがき――――――

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