Farewell Word ~愛しき貴女に贈る言葉~

雪広ゆう

Words to give to my beloved

 雨は嫌い――あの子の悲哀に満ちた表情を思い出してしまう。

 雨は嫌い――あの子の恋情を無碍にした私自身に虫唾が走る。

 雨は嫌い――あの子の笑顔をもう二度と見る事が叶わないから。


 それは今から約一年前の出来事、あれは高校卒業も間近な三年生の春。

 肌を刺す冬の厳しい寒さが和らぎ始めて、間もなく桜の蕾が姿を見せ始める初春の季節。それは確か雨の日だった――三年間を一緒に過ごした親友の莉乃が、私に恋情を告白してきた。まあ漫画やアニメの世界で言えば、同性愛を題材とした作品が数多くある事は知っている。

 でも所詮それらはフィクションの話で、私には無縁だと思っていた。それもその筈で、私は親友として友情しか持ち合わせていない。現代においてLGBTの主権利が議論されている世の中、もちろんそう言う人達が世間に存在する事は理解している。でも莉乃がそうであるとは正直言って考えもしなかった。


 最初は冗談だと……普段から冗談や悪戯が好きだから。だから私は何時も通りの態度で冗談だと笑い飛ばしてしまった。確かに私が悪い……でも恐らく大抵の人間は、理解を超えた状況に直面すればそんな反応になると思う。普段の莉乃と接していれば、そもそも到底その告白が本気だと受け取れる筈もない。

 確かに私も莉乃が好き。それは間違いない。ただ当時の私の好きと言う言葉は、飽くまでも友情としてと言う意味であって、恋愛的な意味合いを持たなかった。

 私が馬鹿だった……冗談だと笑い飛ばした後、彼女の表情を伺うと至って真剣で、そして苦笑いの表情を浮かべつつ『そうなるよね』と喉を詰まらせながら言葉を呟いた。そんな繊細な表情や態度は、莉乃と三年間を過ごしてきた中で一度も見せたことがない。


 だから私の直感が訴え掛けた。莉乃の言葉は本気だと……でも当時の私に莉乃の恋情を受け止められる程の理解も度量もなくて、まるで得体の知れない存在に触れる様な恐怖感から決して口にするべきでない言葉を放ってしまう。その私の言葉は、莉乃の心を傷付けるには十分過ぎた。

 莉乃は私の前から走り去る。自分が無意識に発した言葉の意味を謝罪するべく彼女を追う。でも仮に追い付けたとて、あの当時の私に莉乃の恋情を受け止める言葉は持ち合わせてなくて、私の発言を嘘だと何だと薄っぺらい弁解の言葉を並べ立てても、そんな上辺の言葉で彼女の傷を癒やせる筈もなくただ空虚に響くだけ。まるで意味がない。


 その告白の日以降、莉乃は私を避け始める。でもそれは致し方ないと、私は自分の発言に後悔する他なかった……その後悔は今も連続している。でも只の後悔、思春期の一幕として終われればまだ幸せだった。本当に……。

 それは卒業式が間近に迫る日、心を締め付けられる事件が発生する。莉乃が世間でも一時期騒がれたバスハイジャック殺人事件の被害者の一人となった。帰宅途中の路線バス内で発生し、数人が刃物で刺殺される。これこそドラマや映画等のフィクションの話だと思いたかったけれども、現実は残酷なもので葬儀の際に莉乃と対面してようやく現実と実感した。

 私の言葉の一片すら永遠に届く事はない。もし死者と話せる術があるのなら、悪魔に身を捧げる事も厭わない。でもこれは現実、いやそもそも話せるとて、彼女を傷付けた私が何を言えるだろうか? ――雨が強まってきた。


 雨が降り頻る曇空を仰ぐ、雨粒は彼女の心を現す涙にも思える。

雨が身体に打ち付け続ける。私は今日、命日に莉乃の下に訪れている。墓前には菓子類や仏花が供えられていて、先程まで親族が訪れていた形跡が残されている。私は仏花を供えて、只々降り頻る雨の中で莉乃が眠る墓石を見詰めている。特に言葉を発する訳でもなく、いや言葉を掛けるべきだとは思う……でもその肝心の言葉が思い付かない。

 今更何て言葉を掛けるの? 莉乃の告白が嬉しかった? 莉乃の恋情に答えたい? そんな私の身勝手な感情を晒したところで、その言葉は偽善にしか聞こえない。一度でも莉乃の心を傷付けた以上、私を許す筈もないし、私の感情に答えてくれる筈もない。

 あの日から私の心は陰り続けている。莉乃との出会いや、喜怒哀楽を過ごした三年間の思い出、それら全てを思い返せば、彼女の恋情を受け入れて良いと思えた。考える時間、気持ちを整理する時間が必要だったんだ……でも私はそう言えば良いのにも関わらず、行き当たりばったりで莉乃の感情を無碍にした。


 なら何故に告白のその後、莉乃に向き合わなかったのか? ……私は恐れていた。彼女の心中に私への恋情が既に消え去っているのではないかと。振った張本人が何を戯れ言をって話だけれども、当時の私は莉乃に恋情はもう存在しないと言われた時に耐えられる程の心構えがなかったから。

 莉乃は勇気を振り絞って、親友関係を超えて恋人同士になる事を望んだと言うのに……私は臆病者で身勝手だ。結局のところ莉乃が亡くなって以来、私は誰とも付き合っていない。大学生になり数回は告白されたけれども……とても快諾出来る精神状態になかった。

 私は莉乃の呪縛に囚われているのだろうし、恐らくそれは今後も変わらない。

 彼女の死を乗り越えて、次の一歩を踏み出すべきだと頭では理解していても、私の心がそれを許さない。極端な話、今直ぐに命を失ってでも、莉乃の顔を見たいとすら思う程には精神が病んでいる。後悔、後悔……ただ後悔の念が私を苛む。


 でもそれでも私は僅かでも前に進みたい。今のままで良い筈がない。こんな後ろめたい感情を抱いたまま年老いたくはない。だって悔いなく人生を歩む事こそが、今を生きる者に課せられた使命のはず。過去は過去として受け入れて莉乃を想い続けるにしても、後悔の念だけを抱き続けるのは間違っている。きっと彼女の死を乗り越えて、後悔を振り払い人生を歩む事こそが私の贖罪だと思っている。

 身勝手な自己解釈だとは思うけれども……でもきっとそうなんだと信じたい。

 だらか私は今日初めて、莉乃の前で言葉を発する。それは彼女への飾り気の無い告白の言葉……周囲に人影はない。気恥ずかしさを捨て去り、私は勇気を振り絞って莉乃に対して告白の言葉を紡ぐ。

 その言葉は感情の爆発とも言える叫びとなって、二度、三度と、雨音を掻き消す如く何度も何度も繰り返し続ける。端から見ればヤバい奴だけれども、そんな他人の視線を気に留める程の心の余裕は持ち合わせていない。


 叫び続けたところで言葉が莉乃に届く訳もない、そんな事は百も承知、只の自己満足と言われれば終わり。でも叫び続けていると次第に心の陰りが晴れていく感覚を抱く。莉乃に伝えられなかった言葉を紡ぐ事で、私は前に一歩踏み出せる気がするから。

莉乃の告白を素直に受け入れていれば、きっと幸福な未来が訪れていたのだと。彼女が死を迎える運命も回避できたのかも知れない。でもたらればの話をしても仕方ない……願わくば、この降り頻る雨が莉乃の嬉涙である事と思いたい。

 叶わない夢を見続ける訳にはいかない。少なくとも私は生きている……なら生者の責任とは? それはきっと莉乃の分まで人生を全うする以外にない。彼女もそう願っているはず。私は莉乃を心で想い続ける。例え人生の過程で誰かと愛が結ばれたとしても、私は彼女を絶対に忘れない。それを人は呪縛と言葉するかも知れないけれど、決してそうじゃない。

 私が莉乃を忘れてしまえば、彼女が私を愛し続け理由が失われる。それはとても悲しい事で、だから私は忘れない。叶わない恋を想い続ける事は残酷――でもそれで良いんじゃない? だって莉乃の悲哀に満ちた表情を思い返したくない。莉乃が本来歩むべきだった幸福な未来を見続けて欲しい。そして私が年老いて死を迎えるその時に、夢の続きを一緒に見続けましょう。


 大粒の雨が……莉乃の涙が降り止み始める。

まだポタポタと頬を伝う水滴は、私の涙か、それとも彼女の涙か。――天を仰ぐと曇天の雲間から煌々と太陽の光が射し込む。その心地良い陽射しが雨で冷め切った身体を包み込み、私の心は幾分か晴れやかな気分に、心の陰りが晴れた様な気がした。

 莉乃が私の気持ちを受け入れてくれたのだと、そう思いたい。いや思うではなく、そうであって欲しいと願う。

莉乃……何れ私がそっちに行った時には、あの告白の日の続きを、本来あるべきだった世界を一緒に見ましょうね。

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