第68話 ぴと
「坂本!」
「なんだ、色男?」
「うるせぇ」
ここで僕は、宮原を胸に抱えたまま思い切り小声になった。宮原が、泣きながらでも僕を現実に引き戻してくれたんだ。きっと、坂本までも。
僕は小声で言う。
「坂本、鴻巣からスマホを奪え」
「……なるほど。
まぁ、鴻巣が俺に立ち向かうのは、俺が
「頼む。正気を失ったあいつに情報を握られていると、事態はもっとヤバいことになる」
「言われなくてもわかっているよ。任せろ」
……さすがに判断が速いな。そして、やることができて、露骨に救われた顔になったな。
「北本。
大変だったな。ありがとう。家庭科室から持ってきたものを教えてくれ」
と僕は言って、ここでさらに僕の感覚は現実感を取り戻した。宮原にも言葉を掛けなければ。
「宮原、ありがとう。すごいな。蒼貂熊に矢が当たったよ」
宮原は僕の胸の中で、いやいやをするように首を振った。眼の前のポニテの根元がそれに合わせて揺れる。
そこで、僕の感覚は完全に戻ってきた。
ぐっ。
折れた肋骨が痛い。痛いって、もう本当に痛い、マジで痛い。戻ってきてくれなくてもいいのに、痛みまでが戻ってきた。息を吸っても吐いても痛い。
宮原、君のことは大好きで、君のためなら死んでもいいと思っているけど、少し離れてくれ。君の押し付けた額が、いやいやをする度にぐりぐりととても痛いんだ。
痛みで額に脂汗が滲む僕に、北本がバッグを開けて持ってきたものを1つずつ見せながら説明してくれた。
「まずは大量のゆかりと赤紫蘇で赤く染めた梅酢、それが入っているガラス瓶6つ。それからありったけの包丁と金串、竹串とミキサー、塩と油、砂糖、針と糸、ミシン針、ありったけの布、洗剤、針金としても使えるだろうからたくさんのハンガー、それからこのバッグ」
「ありがとう。すぐには思いつかないけど、これでまた戦える。ミシン針は釘より鋭いのに太くて吹き矢の矢になりそうだね」
「うん、そうだね。布は、間藤のために持ってきた。体温維持にも、頭を冷やすのにも、担架に固定するにも使えるからね。怪我した男子たちにも必要だろうし」
そう言いながら、北本は不意にどこか遠くを見るような眼差しになった。
「……やっぱり、それはズルい」
視線を僕に向けた北本がつぶやく。
「なにが?」
僕は反射的に聞き返す。
「もういいや。
どうせ私たちは死ぬんだもん。並榎くん……」
ぴと。
北本にまで張り付かれて、僕は動転してなにがなんだかわからなくなった。だけど、女子ってのはいい匂いがするなぁってのだけは感じていた。
「マジで
「えっ!?」
北本が僕を見上げて言った言葉、それがなにを意味しているのか、僕には一瞬、本当に理解ができなかった。
「だって
は?
「家庭科室に行くって決めた私を、並榎くんは本気で止めてくれたよね。ね、並榎くん」
いや、それは相手が誰だって、本気で止めるだろ。身も蓋もない言い方だけど、北本だからって止めたわけじゃないぞ。
あとがき
第69話 言い方、ひどくない?
に続きます。
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